松阪市小阿坂町にある阿射加神社は、伊勢自動車道の松阪ICから3分ほどの阿坂山の麓にある自然豊かな森に囲まれた静かな所で、伊勢平野の松阪市街を見渡すことができます。また、1kmほど離れた、大阿坂町にも同じ名前の神社があります。
『延喜式』神名式、伊勢国壹志郡の名神大社、「阿射加神社 三座」の論社。
朝廷が祈年祭班幣を行う神社のリストとして編んだ『延喜式』の「神名式(神名帳)」に、伊勢国は全国でも五指に入るほどの多くの神社が登録されているが、その中に大社は十八座あり、そのうちの十四座は伊勢神宮にあって、残りの四座はこの阿射加神社三座と、桑名郡の多度神社(現在の多度大社)。
古くから大きな尊崇を集めていたと思われます。
ここは『古事記』に猿田彦神が溺れたと伝える伊勢国阿邪訶の地であり、その時に化生した猿田彦神の3つの御魂である底度久御魂(そこどくみたま)・都夫多都御魂(つぶたつみたま)・阿和佐久御魂(あわさくみたま)が当社祭神の3座であると唱え(『神名帳考証』)、本居宣長もこの説を襲って(『古事記伝』)以来、上述の「荒振る神」の様態と、「記紀」の天孫降臨段に記す猿田彦神のそれが重なり合うことから、当社祭神3座を猿田彦神の3つの御魂と見るのが有力な説となっており、現在の両阿射加神社も、祭神として猿田彦神・伊豆速布留神を掲げている。なお、古代の海士はワタツミ三神や住吉三神・宗像三女神に認められるように、「3」を聖数視しているので、当社祭神が猿田彦神の3つの御魂であるならば、本来当地の海士がその3つの御魂を奉斎していて、そこから『古事記』の伝承が生まれたと見ることもできます。
神話によると、ニニギノミコトは、アメノウズメノミコトにこう言いました。
「あなたは、わたしをここに案内してくれたサルタヒコの名前を明らかにしてくれた。だから、あなたがサルタヒコの神を送って行ってあげなさい。そして、その神の名をあなたが譲(ゆず)り受けるのがいいでしょう。」
こういうわけで、天皇にゆかりの深い神社で、神楽(かぐら=神さまをおまつりするために行う歌や踊り)を行う女性たちを「猿女の君(さるめのきみ)」と呼ぶのは、その名前がサルタヒコ(猿田比古)という男の神さまの名から由来(ゆらい)しているのです。
そのサルタヒコが、阿耶訶(あざか。現在の三重県松阪市)というところへ行った時に、海で魚を獲(と)っていたところ、ヒラブ貝に手をはさまれて海の底に沈み、溺(おぼ)れてしまいました。そこで、そのサルタヒコの神が、海に沈んでいるときの名前を「底どく御魂(そこどくみたま)」といい、沈んで行く時に海水がぶつぶつと泡立つときに名前を「つぶ立つ御魂」といい、またその海の泡がはじけるときの名前を「あわ咲く御魂」と言いうのです。
アメノウズメノミコトは、サルタヒコを送り届けて帰って来ると、大小さまざまな海の魚たちを呼び集めて、聞きました。
「おまえたちは、天の神の御子さまにお仕えするか。」
すると、魚たちはみな
「もちろん、お仕えいたします。」
と答えましたが、ナマコ(海鼠)だけは、何も言いませんでした。これに怒ったアメノウズメノミコトは、
「この口は、答えることができない役立たずの口だ。」
と言って、紐の着いた小さな刀で、その口を割いてしまった。こういうわけで、ナマコの口は割けているのです。
このような理由で、志摩の国が初物の魚を天皇に献上する時に、猿女の君らにそれを賜るのです。
水田等の耕作地に囲まれた阿坂山山麓丘陵の下部に広がる神社林の内1.45haが社叢として天然記念物に指定されている。スダジイ、アマモガシ、ミミズバイ、サカキ、タブノキなどの常緑樹からなる照葉樹林で、樹高15m前後、胸高径1mほどのスダジイが林冠を覆い、一部にヒノキの人工樹が混じるものの、ほぼ自然林に近い状態で保存されている。このような樹林は伊勢平野丘陵部の本来の植物的自然をうかがい知る貴重な植生です。
参道には古い石の太鼓橋が苔むしていて、古いたたずまいです。
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東京・上野公園にある西郷隆盛像は、高村光雲作で明治31年(1898)12月18日に除幕されたものです。愛犬ツンは、後藤貞行作の薩摩犬です。
上野の西郷像は、愛犬をつれ、腰に藁の兎罠をはさんで兎狩りに出かける姿であると言われています。この姿は大山巌がガリバルディのシャツだけの銅像から思いつき、西郷の真面目は一切の名利を捨てて山に入って兎狩りをした飾りの無い本来の姿にこそあるとして発案した。連れているのはお気に入りの薩摩犬であった雌犬の「ツン」であるが、銅像作成時は死んでいたため、海軍中将・仁礼景範の雄犬をモデルにして雄犬として作成された。
明治維新において官軍の参謀西郷隆盛と勝海舟が会談し、江戸城が無血開城されて、江戸は戦火をまぬがれ江戸100万人の財産、人命がが助かりました。
その後、明治4年?6年の間、実質、西郷内閣の時、廃藩置県、徴兵制度、身分制度の廃止、宮中の改革、学校、警察、銀行、太陽暦採用等、採用され、近代日本の礎を作りました。
その後西南の役で悲劇の人生を終えられましたが、明治22年明治天皇より正三位を追贈されたのを機に、故吉井友実同士と友ににはかり、西郷さんの偉大な功績を銅像を建立してその由を後世に残すために立てられました。
明治31年除幕式には時の総理大臣、山県有朋、勝海舟、大山巌、東郷元帥等や800名が参加して盛大に行われたようです。
上野の森は、戦国時代には忍岡(しのぶのおか)と呼ばれており、元々江戸においては人口の少ない地域であった。
1603年に江戸幕府が開かれた頃、忍岡には、伊勢国、伊賀国上野を本拠地とする外様大名・藤堂高虎の屋敷が置かれた。
後に徳川将軍家の菩提寺である寛永寺が建立され、門前町が開けた。この頃から、寛永寺付近の一帯を「上野」と呼ぶようになる。これは、藤堂家の所領である上野に地形が似ていたためと言われている。
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全国各地に数多くの伝説を残す弘法大師・空海(774?835)。日本の山岳宗教を中国で学んだ密教により体系化し、真言宗を開いた日本史上最大の宗教家。
空海は、その「空と海」というスケールの大きな名に相応しい、巨大な人物でした。空海には様々な顔があります。
密教の思想家であり、山々を駈ける山岳宗教者であり、「弘法筆を択ばず」ということわざを生んだほどのすぐれた書家であり、当代一流の詩人であり、権力操作に長けた政治家でもあったようです。
また、日本初の庶民のための総合大学「綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)」を開いたり、土木・建築・鉱業・自然科学・医療と驚くほどの才能を様々な分野で発揮しています。
弘法大師が伝えてきたものは「密教」の教えです。 「密教」の教えとは何か・・・弘法大師は、その特徴を密教以外の仏教すなわち「顕教」と対比することにより明確にしています。その中で最も分かりやすい特色が悟りに至る考え方です。つまり、「顕教」では悟りに到達するまでに、何代にも渡って生まれ変わり、気の遠くなるような時間を要するとしているのに対して、 「密教」では今ある肉身のままで直ちに悟りに至ることができるとしています。
弘法大師は、「六大」すなわち「地大」「水大」「火大」「風大」「空大」「識大」という、六つの根源的なものが宇宙の万物を構成しており、仏も人間も本質的な差はないと説いています。 また私たちが眼にしている現実の世界は、法身である大日如来の現れであるから、現実はそのまま絶対であるとも説いています。つまり、仏も人間も根源的なものは同じであり分かちがたいものであるから、大日如来の慈悲を固く信じ、悟りを求める心をもって仏と一体化できるよう努力をすれば、迷いから脱して真理を知ることができると教えています。
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元旦は、初日の出がのぼってから、近くの神社(氏神さま)にお参りにいきましょう。お正月は家に年神さまを迎えるので、元旦は、家の中で過ごし、どうしても出かける用事があるときは、2時間以内に戻ってくること。遠くに行く場合は3日以降が良いですね。
初詣で幸運を引き寄せるために、行く前、家では願い事を炭で紙に書き出しましょう。できれば100個くらい書くと良いのですが、もっとも重要な願いを3つ書いてください。初詣にはそれを持って行き、3日間同じことを誓うと叶いやすいといわれています。また、神様はお酒やみかんなど香るものが好きなので、その土地で収穫したものに「ありがとう」という想いを込めてお供えすることをおすすめします。人が頑張って作ったものは神様も喜びます。
破魔矢の祀り方について、基本的に神社で頂いた縁起物や御札は東か南に向くように祀っておくようです。
祀る際には目線よりも上に祀り、神様を見下ろさないようにします。
破魔矢は名前から「魔を破る矢」と思われがちですが、本来「破魔矢」の「ハマ」は弓射に用いた的の事を指し、元々は年占の際に弓で競って作物の豊凶を占ったものです。それが後に当て字がなされいつの間にか「魔を破る矢」と呼ばれるようになりました。
上棟祭の時に鬼門と裏鬼門に飾り矢弓を設けることもありますが、通常の破魔矢は上棟祭のよう特に方角は決められていません。
ただ、神社では太陽神である天照様を中心としていますので、太陽に矢の先が向かないようするのも大切だと思います。
清々しい気持ちで、新年の誓いを立て、今年も一年のお陰をいただき、ご縁を広げて生きたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。
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鏡餅の飾り方は、地方によって多少違うようです。
■三方〈白木の箱を利用してもよい〉に半紙を四方に垂らして敷き、その上にゆずり葉、またはうらじろを左右に置いて、鏡餅をすえます。鏡餅は上を丸く、下を中高に丸めた大、小一組で重ねてある餅です。餅の上から昆布を垂らし、上にだいだいの実、または、みかんや伊勢エビをのせます。周りにはかち栗、ごまめ、ひいらぎの葉などの縁起ものをのせたりもしますが、各家庭のしきたりですればよいので、どれが正しいということはないようです。
■一般の家庭では、丸いお盆に半紙を敷いて鏡餅をおき、その上に小さな葉つきのみかんをのせただけでもお正月らしくなりますね。
伝統あるお正月遊びは、テレビゲームにはないおもしろさがあります。例えば、「羽根つき」や「凧揚げ」がありますよね。
由来は、室町時代に中国で行われていた硬貨に羽根を付けたものを蹴る遊びが日本に伝来したのが羽根つきの始まりです。
羽根につきには「魔除け」の力があると言われています。羽根に使われている「ムクロジ」という植物は「無患子」と書くことから「子供が患わない」と言われているのです。失敗すると顔に墨を塗るというルールはよく知られていますが、これも魔除けのおまじないと言われているのだそうです。
羽子板はシンプルなものでしたが、京都で豪華な飾りつけをした羽子板が作られるようになると、観賞用の華やかな羽子板も出回るようになりました。
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