江戸を指す最西端の道標


 奈良県東吉野村鷲家(わしが)にある道標は、高見越え伊勢街道と東熊野街道が交わる要衝に立てられてます。江戸時代の文政11年(1828)建立の銘があり、上部に常夜燈がとりつけられています。
 

  鷲家は当時紀州藩領で、本陣・伝馬所・旅籠がありました。宇陀地方と熊野を結ぶ交易の中継として賑わったようです。また、参勤交代路として、江戸と和歌山間の七里役所の所在地でした。
 (東)右紀州 かうや  左大峯山 たかはら 道
 (南)右いせ 江戸  左はせ 大坂 道
 (西)右小川谷 河上  左いせ  くまの
 (北)文政十一戌子年       施主当村岩井庄兵衛と刻まれています
 大和(奈良県)に現存する道標のなかでは、一番遠方の江戸を示す道標といわれています。

  伊勢南街道(三重県側では、和歌山街道)は、吉野川沿いに高見峠へ出て、櫛田川沿いに下る道で、一方、五条(五條市)からは西へ川を下って紀州にも出るので紀州街道、紀州では大和街道ともいう
 橋本(和歌山県橋本市)から五条へ入った道は吉野町の上市・三茶屋から東吉野村の鷲家・杉谷と進み、高見峠を越えて三重県に入り、松阪市波瀬を経て末は、松阪市飯南町横野で伊勢本街道と合流する。
 南北朝時代、北畠親房が興国4年(1343)吉野の行宮へ向かい、正平2年(1347)楠木正行の使僧寂恵が伊勢へ向かった道でもある。
 江戸時代に和歌山藩主が参勤交代の道としてからは、鷲家には宿場の本陣や宿屋が並び、伊勢参や行商の人で賑わったといわれています。

 和歌山街道で伝馬所があったのは、伊勢国内では松坂・大石・粥見(かゆみ)・滝野・七日市・波瀬、大和国内では鷲家・越部・土田、紀伊国内では橋本・名手・岩出に設けられていました。
 この伝馬所には、人馬を常備して、藩役人の往来、公用文書や荷物の逓送を行なっていたところです。
 七里役所の制というのは江戸と和歌山の間の交通を円滑にすりために七里ごとに七里役所を設けるとともに「七里の者」を配置したところです。
 役所では毎月、江戸では五の日、和歌山では十の日に公用の書状を発送するほか、人馬の継立てなど普通の宿駅と同じような業務を行っていたようです。

  鷲家の道標の少し北に八幡神社があり、天文2年(1533)に岩清水八幡宮より勧請されました。上鷲家の大岩に天正3年(1575)に社殿を造営慶長年間(1596?1615)頃に現在地に遷座したといことです。朱色が鮮やかな清々しい境内です。
 


  手水舎の水は、龍の口から勢いよく噴出しています。下の水溜り場には、榊が入れてあり冷たい水にもありがたさを感じました。

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