平安時代をしのぶ斎宮


  竹の都とよばれた斎宮は、平安時代に天皇に代わり、伊勢神宮の天照大神に仕える斎王の住まう所でした。そこは碁盤の目状に道路が走り、木々が植えられ、伊勢神宮の社殿と同じく清楚な建物が100棟以上も建ち並ぶ整然とした都市で、そこには斎宮寮を運営する官人や斎王に仕える女官、雑用係などあわせて500人以上もの人々が起居し、当時の地方都市としては『遠の朝廷(とおのみかど)』と呼ばれた九州の太宰府に次ぐ規模を持っていたのです。

  斎宮歴史博物館は、文字(文物)やもの(発掘品)から斎宮をテーマにしていて、原寸大の斎王の居室を復元したり、歴代斎王の歴史をパネル展示して、京からの群行の様子もミニチュアで再現されています。

  「いつきのみや歴史体験館」は、国史跡斎宮跡の案内機能を果たすために、斎宮のあらましや発掘成果のパネル、発掘調査の速報コーナーなどが設けられており、斎宮の歴史や発掘の概要を知ることできます。あわせて、斎宮の最盛期であった平安時代の歴史や文化、技術を実感することができる様々な体験プログラムに参加することができます。

  十二単(じゅうにひとえ)や直衣(のうし)の試着体験を毎日おこなっているほか、天皇や斎王の乗り物であった葱華輦(そうかれん)に乗ってみたり、盤双六(ばんすごろく)や貝覆い(かいおおい)などの古代の遊びに挑戦することができます。

  女房装束の代表格・十二単は、成人女性の正装で、 宮中などの公の場所で晴れの装いとして着用されました。記念写真を撮れるので、思い出になります。

  この時期は、優雅な平安絵巻の時代のひな人形が飾られていて、見ごたえあります。

  葱華輦(そうかれん)は、天皇、皇后と斎王だけが乗ることができました。

  斎宮制度は伝説の時代を除くと、天武天皇(てんむてんのう)皇女・大来皇女(おおくのひめみこ)から始まって南北朝に廃れるまでの約660年間続いたそうです。
 天皇の代替わりがあると伊勢の斎王も交代します。斎王は皇族の未婚の姫(天皇の娘とは限りません)の中から占いで選ばれました。

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松阪の縄文遺跡


  平成8年9月、松阪市飯南町の粥見井尻遺跡で縄文時代草創期の土偶が、ほぼ完全な形で発見されました。約1万年以上も前に土器や弓矢が使われ始めた縄文時代草創期のもので日本最古のものの一つです。土偶は、女性の上半身を形どった、全長 6.8cm、幅4.2cm、厚さ2.6cmの小さなものですが、縄文時代の暮しや社会の様子などを知ることのできる大きなヒントになると全国から注目されました。

  粥見井尻遺跡から2つの土偶が発見され、そのうち1つはほぼ完全な形で、もう1つは頭だけのものが別々の竪穴住居跡から発見されました。2点とも同じ大きさ、形で、砂粒の混じりの少ない粘土が使われ、明るい黄土色をしています。

  土偶は遊動生活をしていた旧石器時代には無く、定住を始めた縄文時代に流行し、その後本格的な農耕を始めた弥生時代には消えています。

  粥見井尻遺跡では、竪穴住居跡が4棟見つかりました。長い旧石器時代から縄文時代へ移行した時で、旧石器時代の住居が平地に屋根をかけた簡単なものであったのに対し、縄文時代の始まりの頃には直径4?6m程度、深さ1m程度地面を掘って、垂木を立てかけ屋根を葺いた住居跡が出現したようです。

  住居跡では、一度に1棟か2棟が建ててあり、2、3回立て替えられています。旧石器時代と違って同じ場所に住み続ける「定住」が始まったことがうかがえます。また、家の大きさから数人から十数人住んでいたと思われ、縄文初期の竪穴住居がたくさん見つかることは、日本中でも大変珍しいことのようです。

  平成8年(1997年)松阪市飯南町粥見の国道368号のバイパス工事に先だち、道路予定地で行われた発掘調査で、竪穴住居跡と土偶が2個発見され、鑑定の結果、日本最古のものとわかったため、地名を取って「粥見井尻遺跡」と名付けられました。


  遺跡の周りは茶畑が広がり、櫛田川がすぐ近くで、のどかなところです。

  松阪茶として、深蒸しにしてコクがありまろやかな美味しいお茶の産地です。

  土偶は、県の有形文化財に指定され、県埋蔵文化財センターに保管されています。また当初土盛で計画されていた国道が高架の工法に変更され、縄文人の竪穴住居が復元されています。

  このあたりは、櫛田川が大きく蛇行しているところで、この櫛田川の近くで花開いた縄文人の生活がしのばれます。

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駒場公園の洋館


  東京の目黒区にある駒場公園は、加賀百万石の当主だった旧前田家の前田利為侯爵駒場邸跡です。
 前田侯爵がこの地に邸宅をかまえたのは昭和のはじめのことで、明治11年設立した駒場農学校(後の東京帝国大学農学部)が本郷に移転したので、その跡地を、第一高等学校(現東京大学教養学部)、東京農業教育専門学校(東京教育大学農学部、現在の筑波移転跡地)とともに分割使用したものです。
 建物は、昭和初期の和洋両建築の粋を集めたもので、化粧レンガやタイル張りのほどこされた洋館は昭和4年に造られ、芝生の広場が設けられました。

  イギリス後期ゴシック様式の流れを引くチューダー様式の建物では、華々しい社交の場となったようです。しかし、この優雅な豪邸も、第二次大戦中に前田侯爵が、昭和17年ボルネオ沖での不慮の死のため、私人の手に渡り、終戦とともに占領軍に接収されました。
 昭和32年10月に接収が解除されるまでの12年間は、連合軍司令官の官邸などとして使われました。現在の公園は、昭和42年に東京都が公園として開園したもので、昭和50年4月から目黒区に移管され憩いの場として親しまれています。


  30年ほど前には、授業がない日や休日よく利用させていただいた公園です。今も変わらずゆったりした時間が流れる場所のままなのにホッとしました。本当に新緑の季節がいいですね。

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「はにわ館」に船形埴輪


  松阪市文化財センターで、市民ギャラリーにされている建物は大正14年に建設された旧カネボウ綿糸松阪工場の赤レンガ積みの綿糸倉庫を保存・改修したもので、平成14年には貴重な近代化遺産のひとつとして国の登録有形文化財に登録されました。

  宝塚古墳で出土した多数の埴輪は、国の有形登録文化財松阪市外五曲町にある松阪市文化財センターに平成15年にオープンした「はにわ館」の第1展示室で常設展示しています。第2展示室では特別展や企画展を随時開催します。

  現在、常設展では、「伊勢の王墓 宝塚古墳の謎」として、国の重要文化財に指定されている宝塚古墳から出たはにわを展示しています。



  船形埴輪は、全長140センチメートル、高さ90センチメートルとそれまでに発見された中では日本最大であると同時に独特の装飾がなされていたため、とても貴重なものとなりました。大刀(たち)・威杖(いじょう)・蓋(きぬがさ)をかたどった立ち飾りをもつ他に例がないものです。

  船の埴輪は、二つの円筒台にしっかりはめられ固定されていて、太刀や蓋も船の中に開けられた小さい穴に差し込まれています。真ん中にある穴には、木か布で旗が差してあったと思われますが、長い年月で土に帰ってしまったのでしょうか。とにかく5世紀頃の埴輪では特別手の込んだものになっています。




古代ロマンを感じることができる「はにわ館」でヒーリングタイムをお過ごしください。

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宝塚古墳の船形埴輪


  松阪市街から南に3キロほどの宝塚町から光町にかけての「ごけ山」の丘陵地の西から東へ伸びる山の尾根を利用して築造した古墳が、伊勢地方最大の前方後円墳である宝塚古墳です。3年ほど前から整備が進められ、宝塚古墳公園となり、古代ロマンを感じられる市民の憩いの場になりました。

  宝塚古墳は、二つの形の違う古墳があります。昭和7年に二つともに国指定史跡になっていましたが、詳しい調査は、平成11年6月から約半年かけて、古墳の保存整備事業として、松阪市と松阪市教育委員会を調査主体とした発掘調査が実施されました。その調査でともに5世紀はじめ頃の築造と判明して、1号墳は前方後円墳、2号墳は帆立貝式前方後円墳です。


  1号墳は、後円部前方部ともに3段築成で全長111m、後円部経約45m、後円部高7.8m、前方部幅約54m、前方部長約41m、前方部高 4.8mを測る伊勢地方最大の古墳です。

  宝塚古墳の最大の特徴は、前方部と後円部のくびれ部分に大きな方形の2段構造になった「造出し」(祭祀場と考えられている)があり、墳丘と土の陸橋で結ばれているのです。大きさは東西18m、南北16mです。この上部や周囲に船形、囲み形、家形、壺形などの埴輪が、ほぼ据えられた状態のままで並べられていました。


  埴輪の出土量が多いことでも貴重な古墳ですが、国宝級といわれるのが船の形をしたもので、この船形埴輪は、これまで近畿地方他から出土した埴輪に比べて極めて良好な遺存状態にあるため、今まで判明しなかった大型準構造船の構造は元より、琴柱形や蓋形埴輪などの威儀具とともに出土したことで、船形埴輪の持つ意味についても多くが明らかになったようです。
 船形埴輪は、軍事力の象徴だけでなく、葬送儀礼にも首長の権威を示し、黄泉の国までその権威が及ぶようにと考えられていたようです。
 ヤマトから離れたこの松阪でどれほどの権威を持った人がいて、この古墳が作られたのか、古代ロマンを感じます。


  一番高いところで、40mほどあります。そこからは、伊勢湾や松阪城跡の四五百森(よいほのもり)そして堀坂山が見える景色がいいところです。古墳の造り出しの周りにある埴輪は、市民の方々が作って焼いたものが並べられ、古代ロマンをより実感できます。

  公園内の桜が花を開きました。1500年の古代から草木や花は、変わらず春を告げてきたのでしょう。天気のいい日には、お弁当を持って散策に出かけたいところの一つです。

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