上野の森 西郷どん


  東京・上野公園にある西郷隆盛像は、高村光雲作で明治31年(1898)12月18日に除幕されたものです。愛犬ツンは、後藤貞行作の薩摩犬です。
 上野の西郷像は、愛犬をつれ、腰に藁の兎罠をはさんで兎狩りに出かける姿であると言われています。この姿は大山巌がガリバルディのシャツだけの銅像から思いつき、西郷の真面目は一切の名利を捨てて山に入って兎狩りをした飾りの無い本来の姿にこそあるとして発案した。連れているのはお気に入りの薩摩犬であった雌犬の「ツン」であるが、銅像作成時は死んでいたため、海軍中将・仁礼景範の雄犬をモデルにして雄犬として作成された。
 
 明治維新において官軍の参謀西郷隆盛と勝海舟が会談し、江戸城が無血開城されて、江戸は戦火をまぬがれ江戸100万人の財産、人命がが助かりました。
 その後、明治4年?6年の間、実質、西郷内閣の時、廃藩置県、徴兵制度、身分制度の廃止、宮中の改革、学校、警察、銀行、太陽暦採用等、採用され、近代日本の礎を作りました。
 その後西南の役で悲劇の人生を終えられましたが、明治22年明治天皇より正三位を追贈されたのを機に、故吉井友実同士と友ににはかり、西郷さんの偉大な功績を銅像を建立してその由を後世に残すために立てられました。
 明治31年除幕式には時の総理大臣、山県有朋、勝海舟、大山巌、東郷元帥等や800名が参加して盛大に行われたようです。

 上野の森は、戦国時代には忍岡(しのぶのおか)と呼ばれており、元々江戸においては人口の少ない地域であった。
 1603年に江戸幕府が開かれた頃、忍岡には、伊勢国、伊賀国上野を本拠地とする外様大名・藤堂高虎の屋敷が置かれた。
 後に徳川将軍家の菩提寺である寛永寺が建立され、門前町が開けた。この頃から、寛永寺付近の一帯を「上野」と呼ぶようになる。これは、藤堂家の所領である上野に地形が似ていたためと言われている。

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