和歌山街道 波瀬


  松阪市飯高町波瀬は、江戸時代に本陣が置かれた宿場町で、伊勢と大和を分ける国境、高見山の麓にあり自然と歴史を感じられます。波瀬は江戸時代のはじめは松阪藩領、元和5年(1619)から紀州松阪藩領になっている。波瀬宿は和歌山街道の宿場町で吉野(奈良県)から高見峠を越えて伊勢国に入った最初の宿駅で、本陣(中村甚之進)が置かれ、旅籠屋も4軒あった。

 和歌山街道は、和歌山と松阪を結ぶもので、紀伊半島を横断し、海上交通に較べて時間短縮に役立っていた。
元和9年(1623)に徳川頼宣が参勤交代の帰りに、この和歌山街道を通り、以後暫く参勤交代路として利用され、波瀬にも本陣・脇本陣が決められた。だが、延享元年(1744)第6代藩主宗直の帰国を最後にこの街道は利用されなくなった。
 街道筋は百姓・人足では足りず、助郷はもとより、旅籠の不足、膨大な出費に耐えられず、百姓総中は和歌山街道を通らぬよう嘆願し、以後伊賀越え、船旅となったらしい。
 だが、慶応4年(1868)にも紀州藩主徳川茂承の夫人倫宮則子女王が、波瀬の本陣に泊まっている。この時にも勢州奉行を中心とした沿道住民の苦労は大変なものであったようだ

 現在も中村屋「田中家」が本陣跡として保存されている他、往時を偲ばせる町並みが残されています。
櫛田川左岸の対岸の段丘上に国道を見下ろす形で集落が形成されており、国道166号線がバイパスとしてつくられたので、これらの町並みが宿場町の雰囲気を色濃く残しながら存続しています。

 波瀬地区から8キロほどの所に、中央構造線がむき出して見れる珍しい場所があります。月出の里から山中へ急こう配を登っていきます。車を置いて急坂を上り下りしますので、歩きやすい靴がいいですね。

 月出の中央構造線は、高さ80?×幅50?ほどの範囲で山の斜面が大きく崩れており、明らかに色の違う地層が観察できる。向かって左側が領家系(日本海側)の変成岩層、右側が三波川系(太平洋側)の変成岩層で、約60度の角度で直接接している。超高温・高圧の状態が長年月続くと地層の界面は変質し、脆(もろ)くなって岩屑帯となっている様子がはっきりとわかる。
 西日本全体にまたがる中央構造線ですが、岩石がもろくなっており、地下水もしみこみやすいため、地表で見ることのできる場所はほとんどありません。月出のワサビ谷の崖には、断層部分が30メートル以上にもわたり露出しており、調査していただいている専門家からは、日本で最も規模が大きく、しかもわかりやすい観察地であると高い評価を得て、国の天然記念物に指定されています。

 中央構造線は日本で最大規模の「断層」で、関東から九州まで約1,000キロメートルも続いています。中央構造線近辺は鉱物資源が多く、銅や水銀等の鉱物資源が豊富である。
 はるか昔は、中央構造線の一部に沿って流れる櫛田川では、鉄や銅がとれ、多気町丹生では水銀採掘がされていた。生活において神仏と央構造線のつながりが結構深くあるようで、中央構造線が通過する場所の地形が、急に変化する場所や人里と山との境、また鉱物資源が豊かな場所であるため、その不思議さから神仏につながり神社やお寺が多くあるのでしょうか。
 三峰山の山麓にある月出の冬は、空気が澄んで高見山、国見山など台高山脈といわれる紀伊山地の山々が美しいです。

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