山の神さま


  山の神は山に宿る神のことである。山民の生業に対し恵をもたらす神である。生業の種により神徳が異なり、神のまつり方も違う。山の神が女性であったという伝承は、北から南にかけ国土山地に広く分布する。必ずしも女性と考えなかった土地もあるが、女神であるとするのが圧倒的に多い。
 農耕民の信仰する山の神は、農神である。山の神は年々歳々山と里のあいだを去来するといわれています。山の神は、春に山から里に下り、田の神となって稲作と守り、秋には収穫をもたらして山に帰り、また山の神になる。このことにもとづいて日本の祭りの主要な部分がかたちづくられている。
 山の口および山中には山の神の祭場がある。それらはだいたい、大木(枝振りが尋常でない木)、岩、小祠、石塔などによるささやかなものである。
 この写真は、津市南家城にあるかわいい山の神ですが、二つの石は、猿田彦大神と天鈿女命と思います。

  松阪市小片野町にある「山の神」は、人里から500mほど山に入ったところにあるので、比較的お参りしやすいところにあります。別名を「乳母神(ちちんばさん)」と言われていて、お参りしてから、前に湧き出る水を飲むと、子供ができてから、たくさん母乳が出るといわれています。

  こんな山の中へ乳神の御利益を求めてお参りに来る人が絶えません。

  この山の木々は、いつも清々しく癒してくれます。日本に住む人々の思想や文化の発達の仕方、あるいは日本人の宗教生活にも山と山地が大きな影響を持ってきたと思います。
 日本の小学校や中学校の校歌において、その土地の山を讃美していないものはほとんどないではないでしょうか。


 一方、「山の神」といえば、男性が自分の妻のこと、特に結婚後、年を経てから口やかましくなった女房を指して人に話す代名詞にも使われていますね。「家のカミさんは、よく仕事をするが・・・・」
 しかし、もとの意味は、山を支配する守護神のことですよね。

 日本語大辞典によれば、山の神と奥様との結びつきについて次のように記されている。
1 恐ろしいものの代表としての山の神。その神が山ばばであるということから。
2 多くの神は女性だから。また、山ばばの子育て伝説などで、山との関係が深かった。
3 女の取り乱した姿が山の神に似ている。
4 人の妻を指す敬称としてカミサマ(上様)と言う。これを「神様」としゃれ、これを「山の神」とした。
5 農村では山の神をまつるのは女性がつかさどっていた。
6 山の神は女神であり、山全体の主導権を握っていた。
7 醜女のイワナガ姫が姫の山の神の一員であったという「古事記」による。


  山の木々と水、空気から本当に生きる気をいただきます。感謝。

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湯の山温泉 折鶴伝説


  三重県四日市の奥座敷、菰野町にある湯の山温泉は、御在所岳の麓に湧き出るアルカリ性ラジウム温泉で、地元の木こりが、鹿が湯に浸かっているところを見つけた所に、猟師が近づいて来たことを知らせて逃がせたことにより、鹿から怪我に効くお湯がわき出ていると教えてもらったという伝説があります。
 湯の山温泉の名が一般に知られるようになったのは、西郷隆盛が反乱を起こした「西南の役」からで、そのときこの地が負傷兵の臨時療養所として利用されたことから、療養を終えた兵士が湯の山の景勝と温泉の効用を全国に伝えたとされています。
 神経痛や外傷、皮膚病、婦人病に効果があり、身体が温まります。また、お肌がきれいになる成分を含んでいることから「美人の湯」とも呼ばれ若い女性からご婦人、ご老人にいたるまで好評です。

 

 

 折鶴伝説・・・ときは江戸時代。上方の大店、ひとり娘の葵と使用人の佐吉は、結ばれぬ恋を思いつめ湯の山に。
そして、蒼滝にふたりで身を投げようとしたその時、ひとりの僧兵が現れ「温泉にでもつかれば、気持ちも変わるかも知れんぞ」と励ましたのです。
その言葉に気を取り直したふたりが湯に入ると、なぜか思い詰めていた気持ちが、ほんのりと解けていくのが分かりました。
あくる朝、僧兵に礼をと三岳寺を訪れたところ姿がみえません。せめて感謝の気持ちを伝えようとふたりは鶴を折り、寺へ奉納しました。すると折鶴は連なってひらひらと舞い上がり、飛びたっていきました。
この不思議な出来事に、明るい望みが生まれ、ふたりは上方に帰る決心をしたのです。
それから数年後、幸せになったふたりは三岳寺を訪ね、住職にあの僧兵のことを話すと、もう何十年も僧兵はいないとのこと。ふたりを救った僧兵は仏様の仮のお姿だったのでしょか…。
今でも三岳寺では、永遠の愛と、幸せに結ばれることを願い、折鶴を奉納する恋人たちの姿が絶えません。
毎年、柔らかな緑が芽吹く早春には、この心あたたまる伝説にあやかって「折鶴まつり」が華やかに行われています。

 昭和二十五年には、愛知国体の登山競技開催地として全国に知れわたり、昭和三十四年の御在所ロープウエイ開通で爆発的な人気を集めました。
その間、多くの文豪や歌人、動植物研究家が訪れた湯の山温泉は、都市近郊にありながら豊な自然が残る温泉地です。
御在所岳へ登れば琵琶湖、伊勢湾を一望し、天気の良い日には遥か富士山をも遠望でき、温泉街には三岳寺や蒼滝、大石といった見所を訪ね歩く遊歩道があります。


 冬の湯の山温泉は、湯治場として人気があり、長期滞在をされる方も多いようです。また、御在所岳ロープーウエイを利用して山頂に行けばスキーができるので、ファミリーに人気です。坂道ですので雪が降ると危険です。、雪道での車の運転には、くれぐれも気を付けてください。是非、折鶴伝説の湯の山温泉にお出かけください。

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法然上人800年大御忌


  浄土宗の教祖、「法然」は、1133年4月7日、美作の国(岡山県久米郡誕生寺)に豪族の家にお生まれになりました。幼名を勢至丸と名付けられ、両親、一族の深い寵愛を受け健やかに成長されました。
 しかし、9歳の時に父が夜襲にあい、非業の死を遂げてしまうことになりました。父は、臨終間際に少年の法然上人に遺言を言われました。「決して仇を討ってはならない。仇は仇を生み、憎しみは絶えることがなくなってしまう。それならどうか、すべての人が救われる道を探し、悩んでいる多くの人を救ってほしい。」と残しました。

  法然上人は、父死後9歳で、母方の叔父のお寺である「菩提寺」に預けられ仏教に手ほどきを受け6年後には、比叡山に昇り正式な出家の身となり天台宗の勉学にいそしんだ。
 しかし、当時の比叡山は名誉や派閥争い等、俗世間的な争いも多かった。又出家のための仏教であって一般民衆は置き去りにされていた。勢至丸は比叡山の中でも高僧が集い、より修行、修学に励むことが最適な黒谷に隠遁する決意を固めた。

  法然上人の正式な名前は、「法然房源空」。黒谷青竜寺では、比叡山の厳しい修行を勤めると同時に、一切経と向い合って学問にも励んでいった。上人の比叡山での修学は28年間もの長きにわたる。その間、常人では一生かかっても読破できないような膨大な量の一切経を5度も読み返したのであった。そのため「智慧第一の法然房」「ふかひろの法然房」と名声ばかりが広がっていったが、求める教えは見つからず上人の苦悩が晴れることは決してなかった。
  善導大師に導かれて・・・法然上人は「観経疏」という唐の善導大師がお書きになった書物を8度も読み返していた。それには「南無阿弥陀仏と念仏を称えれば、全ての人が漏れなく救われる。なぜなら阿弥陀如来の誓い(本願)だからである」という一文をご覧になった。阿弥陀如来の誓い=本願念仏によってのみ全ての人が救われる。善導大師のご文に導かれ、ようやく長年の苦悩が晴れ「これですべての人々が救われる」という確信を得た。
 こうしてついに承安5年(1175年)43歳の春、法然上人は浄土宗をお開きになったのである。
(浄土宗のお寺と仏壇には必ず向って右側に善導大師をおまつりします)


  法然上人が75歳の時、無実の罪で四国へ流されることになり弟子達は高齢の上人を心配して念仏を止めてはどうかと勧める者もいたが、「たとえ死刑にされるとしても念仏の教えを説くことは決して止めない!」と断固とした厳しい態度で戒めた。そして「長年、地方に行って念仏の教えを説くことが願いだった。今回それが果たせるのも朝廷のお陰である。念仏の教えは止めようと思っても広がっていくだろう」とお話になった。そうして四国へと向い、行く先々で多くの人々に念仏の教えを説いて聞かせたのである。
 罪が許され約5年ぶりに京都に戻った。吉水の禅房は荒廃していたため大谷の禅房(現在の総本山知恩院)にお住まいになったが、高齢と所労が重なりほとんど病床につくようになった。
 亡くなる2日前、横になり念仏しながら過ごす上人に、弟子の一人がどうか形見に一筆書いて下さいと懇願をした。そして念仏の要諦、浄土宗の肝要を『一枚起請文』としてお誓いになられ、書き残してくださったのである。
(「一枚起請文」は現在の浄土宗においてもお勤めの中で拝読しお経と同様にお読みしている)
 建暦2年(1212)正月25日の正午、頭北面西のまま「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の経文を称え、眠るがごとくに極楽浄土へ往生された。80歳のご生涯であった。


 法然上人が亡くなられて今年が800年という節目の年になり、各地で追悼する行事が行われます。京都にある総本山智恩院の大遠忌法要は平成23年3月27日から4月25日までの30日間行われます。「またとない勝縁にお出合いしましょう」とご参詣をPRされています。
 法然上人は、お念仏を称えれば、誰でも極楽往生できるという教えを法然上人が広められたおかげで、初めて、仏教は万民のものになったのです。ぜひご縁をいただきましょう。

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大河ドラマ「江」伊勢上野城跡


  いよいよ今年のNHK大河ドラマ「江?姫たちの戦国?」が、1月9日(日)にスタートします。江は、1573年生まれました。父は近江国小谷城主・浅井長政、母は織田信長の妹・お市の方。姉は、淀(幼名:茶々)と初。 “浅井三姉妹の末娘” しかし、生まれて間もなく叔父である織田信長の配下、豊臣秀吉によって浅井家は滅ばされたことにより、激動の人生が始まるのです。

  近江国小谷(おだに)城主・浅井(あざい)長政と、織田信長の妹・お市の方の三女。江には、父の記憶がない。生後まもなく父・長政は信長に滅ぼされ、織田の裏切り者として近江を追われた母・市と江たち三姉妹は、伊勢・上野城でひっそりと暮らしてきた。江は、母からは何も知らされず、天真爛漫に幼少期を過ごす。
 成長した江は、天下を手中に収めようと勢いづく信長と安土城で出会い、父の仇であることを初めて知るが、江は信長の魅力に惹かれていく??。

  伊勢上野城は、永禄12年、織田信長は、中伊勢の名族長野藤光を長野城を攻めるが攻めあぐね、弟信包を長野藤光の養子にすることで和睦した。 長野氏の養子となった信包は、元亀元年に山城の長野城を廃し、長野氏の分家分部光嘉が築城した上野城へ居城を移した。
 市と三姉妹は、小谷城落城後、信包のもとに預けられ7年後の本能寺の変までこの地で静かに生活していました。現在、城跡は、公園として整備されていて、展望台の立つ主郭天守台からは、伊勢湾が一望の景色が楽しめます。明日の放映後は、大勢の人が訪れることになるでしょうか。商工会の方々は、資料館をオープンしておもてなしをされています。 

  資料館の展示室は小さくてこじんまりしていますが、津市河芸町の人たちの「江」への思いがこもっています。

 展望台からは、美しい伊勢湾が見ることができます。お市の方や江をはじめ三姉妹もこの地で前向きに生きていたのでしょう。伊勢の地でとれた農作物や魚介類を食べて育っていったと思うと戦国時代に思いを馳せらていきます。

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猿田彦大神 総本社 


  鈴鹿市にある椿大神社は、昭和10年、内務省の調査により、この神社が日本のすべての猿田彦大神を祀る神社の総本社に認定されました。

  『延喜式』神名式に伊勢国鈴鹿郡、椿大神社と記される式内小社。そして伊勢国一宮とされる。ご神体である入道ヶ嶽・椿ヶ嶽の麓で伊勢平野をはるかに見渡す地に鎮座しています。
 創祀は、社伝では垂仁天皇二十七年。前年に皇大神宮を定めた倭姫命が神託によりこの地に猿田彦大神と、その相殿神として瓊々杵尊(天孫降臨した皇孫)・栲幡千々姫命(瓊々杵尊の母神)を社殿を建てて祀らせたとする。
 猿田彦大神は、天孫降臨にあたって天の八衢で皇孫を出迎え道案内を行った神で、導きの神、また別名を岐神(ふなどのかみ)といい、境界の神として信仰を集めています。『日本書紀』に記される魁偉な容貌から、天狗の原型ともいわれる。

 猿田彦大神のご神徳は、往古より天照大神の幽契による御旨を地上に実施される地祇の根本の神、即ち地球国土の神として、地球上に生きとし生けるものの平安と幸福を招く「みちびきの祖神」とあがめ奉り、御神徳として、 特に地まつり(地鎮祭)・方災解除・厄祓・土地家屋敷国土の御守護が霊験あらたかとされ、「清めの御砂」をもって地鎮祭・家屋敷の祓い清めを行い獅子舞神事による天下泰安の方除厄除祈祷は1300年の伝統があります。
 大神の別名は、「興玉の神」と称え奉り、神々のミタマを奮い起こす導きの神として、先達・延命長寿・縁結び・安産等の御神徳あらたかです。又、大神は「道祖の神」として人類はもとより地上に生命あるものかくあるべしと教え諭し、 家内安全・無病息災・交通安全・警備・商工業の隆昌発展・進学・就職等人間生活の開運を導きになり、又「船玉の神」として、大漁満足・航海・航空・旅行安全の守り神としても篤き崇敬を受けています。
 大神はその広大無辺の御神徳に因んで別名を「大行事権現」「衢の神」「土公神」「佐田彦大神」「千勝大神」「精大明神」「塞神」「岐神」「大地主神」「白髭大明神」「供進の神」「山の神、庚神様」「道別大明神」「椿大明神」と称え奉られています。 


 今年のお正月は、寒波の影響で境内にうっすら雪が残っていて、とても静かで厳かな雰囲気です。

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