伊勢本街道 伏拝坂


  三重県多気町と玉城町の境にある「伏拝坂」は、伊勢詣の人が山仕事の人に伊勢への道中を尋ねたところ「三里山道五里畷」(畷とはあぜ道・まっすぐな道とのこと)と聞かされ、ここから神宮を遙拝して踵を返したという。少し登ると、石碑が立っているだけで、遠くまで見晴らすことができません。江戸時代は見えたのでしょうか?神宮までもう少しで折角ここまで来たというのに、残念無念だったでしょう。ここまでの歩いてきた疲労と、この先の余りの長さに元気をなくし断念してしまった人がたくさんいたのでしょう。

  このあたりの道は、少し坂になっていますが、樹木におおわれていて狭くて舗装がされていないので、暗い感じが印象的です。ここの気は、旅人に勇気をなくさせてしまうのかもしれません。

  多気町西池上(にしいけべ)の常夜灯は、笠が円形という珍しいものです。

  相可小学校の近くの山麓に水分神社(みまくりじんじゃ)と山の神が祀られています。昔はここに清水が湧き出ていて茶屋で休む旅人の喉を潤したそうです。水分神社は小さいながらも神明造り、鳥居も伊勢式である。土地の人たちは「しょうずんさん」と呼んでいます。



    いろんな神様がお祀りされています。

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水神 丹生川上神社


 奈良県東吉野村小(おむら)にある丹生川上神社は、水を司る「罔象女神(みずはのめのかみ)」を祀った、歴史ある神社。地元では蟻通さんといわれています。今は上社・中社・下社の3つに分かれているため、それほど大きな規模ではありませんが、二十二社の一つで、近代も官幣大社に選ばれているお社なのです。神社の目の前を流れる高見川の自然ともども、色々と楽しめるところです。
  ところで、二十二社というのは国家の一大事(天変地異・戦乱)の祭に国から特別予算を割り当てられる22の神社の事です。成立時期は白河法皇の治世。摂関政治から脱却し、院政つまり天皇家主導の政治が行われるようになった時期です。

  丹生川神社は、応仁の乱以後、たとえば『親長卿記』明応五年(一四九六)には既に祈雨奉幣のための資力がないというような記事があり、丹生川上神社そのものの所在すら消息を失ってしまった。明治四年(一八七一)に、丹生大明神社(現下社)を官幣大社丹生川上神社としたが、これに対して寛平七年の太政官符にのる四至に適合しない、としてむしろ現、上社をあてるべきとする『大日本史』に従い、同七年、高靇神社を官幣大社丹生川上神社奥宮とした。が、これにも異義の生ずるところとなり、同二九年、丹生川上神社を下社、奥宮を上社とした。さらに東吉野村の蟻通神社が、その社辺をとおる高見川を古代の丹生川であるとして請願したことからこれを中社と認定するに至り、このとき中社の祭神を罔象女神、上社を罔象女神から高靇神へ、下社は高靇神から闇靇神へ改められたという経緯があります。

  この神木には「ふくろう」が住みついて境内の夜の番人となっているそうです。その事に因んで、奉納された木彫りのなでフクロウが置かれています。
 ふくろうは不苦労、福来朗、幸福ろうと読むことから縁起の良い鳥として、なでると福が来るとされています。

  「丹生の真名井」と呼ばれる湧水の採水場があります。本殿裏の乎牟漏岳からの地下水脈を水源とし、本殿地下を通り、この「丹生の真名井」にて湧出している御神水です。
 丹生川上神社は、「水の神様のみずみずしい清めのお水、生命のお水を戴いて活力ある日々をお過ごし下さい。」と呼びかけています。

  境内には、樹齢1000年を超えるとされる高さ51.5m、幹廻り7.1mの古杉が堂々と立っています。「叶えの大杉」と言われています。
 この幹に手を当てて祈ると願いが叶えられるそうです。

  拝殿・本殿などは、それほど大きなものではありませんが、とてもシンプルで質実剛健的な美しさがあります。

  すぐ隣に木材、林産業の守りの神の木霊神社があります。昭和57年に、小川郷の木材林産協同組合市場開設30周年を記念し、和歌山の伊太祁曽神社から勧請したということです。現在は、丹生川上神社の末社になっています。
 祭神の五十猛命は須佐之男命の御子神で、林業の神として信仰されています。

  神社の前には、綺麗な高見川の流れを見ることができます。少し上流には、「夢淵」と呼ばれる聖域があります。境内東にある「高見川」「日裏川」、そして「四郷川」が合流する深い淵。この「丹生川上の紺碧の深い淵」、「夢淵」は、古来より信仰の対象とされてきました。その風光明媚な景観には誰しもが心を奪われるほどです。古来より水神をまつる神社の聖域です。

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神社の境内にJRの線路がある!


  松阪市山添町の神山(こうやま)神社は、飯野高宮といわれ櫛田川の近くの山麓にありますが、もともとは、山上にあったようです。参道を進むとJR紀勢本線のレールがあり、踏切を渡って階段を上り参拝します。

  神山神社の地は、天照大神が倭姫命を御杖代として、大宮地を求めて諸国を遷行された際、藤方片樋宮より遷幸し、4年間奉齋されたところで飯野高宮の地といわれています。また元伊勢神社ともいわれます。

  倭姫命が伊勢へ遷幸された後、ご祭神を猿田彦命、天鈿女命を仮主としてお祀りして以来、約2000年鎮座されているということです。
 猿田彦命は私たちすべて善い方にみちびき守ってくださる神様で、天鈿女命は天の岩戸の前で舞をした芸能の神様でもあります。


  狛犬たちが睨みを利かせています。

      境内には安産の神様!

      10体もの大小様々な山の神様!

   踏切に近ずくと列車に注意をするようにアナウンスが流れます。


  櫛田川を渡ると、伊勢と熊野への分岐するJR多気駅です。

  新しいしめ縄が各所に置かれて新春らしさがあり、気持ちいい気がたっぷり感じられます。

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東海道 要塞都市「亀山」


 三重県亀山市はとても小さな城下町なのですが、東海道が東西に通り発達した街です。旧城下町は丘陵地の崖地の上に広がり、そこから、さらにせり上がる高石垣の上に城下町唯一の遺構 多門櫓がそびえています。
 この城下町は、丘陵地を切り開いて城地を整備し、谷筋を埋め立てて堀を造りだしてきました。
 寛文年間には、家数370、旅籠屋21軒が記録されている亀山宿には、東町と西町に分かれ、東町にあった大手口の前には樋口本陣と椿屋脇本陣がおかれました。

  亀山は鈴鹿山脈の南麓の中腹に位置し、南を東流する鈴鹿川沿いにある亀山駅からみると20?30m上がった小高い丘の上に位置しています。麓下にある県道(旧国道1号線)から北方向を見上ると、斜面の緑が帯状に連続し旧城下町と宿場町が丘陵地にあることが実感できます。
 東海道の鈴鹿の関に近い亀山の地は、交通の要所であるだけでなく、西方からの防衛最前線の役割も持っていたのかもしれません。
 亀山城下町は、周囲から一段高く急峻な崖地に囲まれた場所にあり、鈴鹿山脈を越えてきた上方からの侵攻を食い止める要塞都市として建設されたのです。
 東海道はもともと鈴鹿川沿いに通っていたのを城下へ引き入れ宿場町をつくったようです。

  江戸から東海道を上る旅人は、桑名の渡し場で船を下りたあと、四日市宿、石薬師宿、亀山宿、関宿を通り鈴鹿の峠を越えて畿内に入ります。
 広重は、モノトーンに近い雪景色の静寂の中に京口門と斜面下に佇む家並みを描き、斜面を登る旅行列をわずかに覗かせてアクセントとしています。そして中央の松が迫上がり、京口門を押し上げている斜面を一層鋭角に見せています。
 静かな町並みで「亀山に過ぎたるものの二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門」と謳われた亀山宿京口門を出て、旅人達は関を目指した。広重の東海道五十五枚中の三代役物のひとつとされている傑作『亀山雪晴』はこの場所から描いたと言われている。現在はかつてここに門があったことを伝える案内板があるのみだが、広重が心に留めたであろう亀山城の方向を仰いで、往時を偲ぶことができます。

  亀山西小学校は、東三の丸御殿のあった場所にあります。最近建て替えられたようですが、白壁が美しく古い町並みに無理やり合わせることなくて、とてもきれいなデザインでいい感じです。道の向かい側には、市役所があります。


  亀山市は、昔から交通の要衝でしたが、亀山ローソクに代表される地場産業があったにすぎなかった。
 近年になると、隣接する鈴鹿市に本田技研工業の鈴鹿工場があるために自動車関連産業が、また、古河電気工業の銅線工場に代表される非鉄金属産業が市内の製造品出荷額のそれぞれ4分の1以上を占めてきた。
 2002年にシャープの液晶工場(シャープ亀山工場)が建設稼働して「世界の亀山モデル」と吉永小百合さんのCMで一躍名を馳せました。以降、液晶関連産業の集積も進んでいましたが、シャープ亀山工場の一部海外移転など今後の課題もあります。

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江戸を指す最西端の道標


 奈良県東吉野村鷲家(わしが)にある道標は、高見越え伊勢街道と東熊野街道が交わる要衝に立てられてます。江戸時代の文政11年(1828)建立の銘があり、上部に常夜燈がとりつけられています。
 

  鷲家は当時紀州藩領で、本陣・伝馬所・旅籠がありました。宇陀地方と熊野を結ぶ交易の中継として賑わったようです。また、参勤交代路として、江戸と和歌山間の七里役所の所在地でした。
 (東)右紀州 かうや  左大峯山 たかはら 道
 (南)右いせ 江戸  左はせ 大坂 道
 (西)右小川谷 河上  左いせ  くまの
 (北)文政十一戌子年       施主当村岩井庄兵衛と刻まれています
 大和(奈良県)に現存する道標のなかでは、一番遠方の江戸を示す道標といわれています。

  伊勢南街道(三重県側では、和歌山街道)は、吉野川沿いに高見峠へ出て、櫛田川沿いに下る道で、一方、五条(五條市)からは西へ川を下って紀州にも出るので紀州街道、紀州では大和街道ともいう
 橋本(和歌山県橋本市)から五条へ入った道は吉野町の上市・三茶屋から東吉野村の鷲家・杉谷と進み、高見峠を越えて三重県に入り、松阪市波瀬を経て末は、松阪市飯南町横野で伊勢本街道と合流する。
 南北朝時代、北畠親房が興国4年(1343)吉野の行宮へ向かい、正平2年(1347)楠木正行の使僧寂恵が伊勢へ向かった道でもある。
 江戸時代に和歌山藩主が参勤交代の道としてからは、鷲家には宿場の本陣や宿屋が並び、伊勢参や行商の人で賑わったといわれています。

 和歌山街道で伝馬所があったのは、伊勢国内では松坂・大石・粥見(かゆみ)・滝野・七日市・波瀬、大和国内では鷲家・越部・土田、紀伊国内では橋本・名手・岩出に設けられていました。
 この伝馬所には、人馬を常備して、藩役人の往来、公用文書や荷物の逓送を行なっていたところです。
 七里役所の制というのは江戸と和歌山の間の交通を円滑にすりために七里ごとに七里役所を設けるとともに「七里の者」を配置したところです。
 役所では毎月、江戸では五の日、和歌山では十の日に公用の書状を発送するほか、人馬の継立てなど普通の宿駅と同じような業務を行っていたようです。

  鷲家の道標の少し北に八幡神社があり、天文2年(1533)に岩清水八幡宮より勧請されました。上鷲家の大岩に天正3年(1575)に社殿を造営慶長年間(1596?1615)頃に現在地に遷座したといことです。朱色が鮮やかな清々しい境内です。
 


  手水舎の水は、龍の口から勢いよく噴出しています。下の水溜り場には、榊が入れてあり冷たい水にもありがたさを感じました。

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