松阪市の東部、斎宮に近いところに、太古の昔から変わらぬ姿であり続ける神の森があります。ここには、伊勢神宮で春と秋に行われる「神御衣祭(かんみそさい)」にそなえられる絹布(和妙・にぎたえ)と麻布(荒妙・あらたえ)を織る二つの機殿神社(はたどのじんじゃ)があります。
荒妙を織るのが、神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)で地元では、上機殿(かみはたでん)や上館(かみたち)さんと親しく呼ばれています。内宮が所管社である神麻続機殿神社と同神社末社八所がご鎮座になっています。本殿の隣に萱葺で、千木、鰹木のある八尋殿があり、この殿内で荒妙(あらたえ、麻布)が奉織され、五月と十月の十四日、皇大神宮及び荒祭宮で行われる神御衣祭に、この八尋殿で奉織された荒妙と、神服織機殿神社の八尋殿で奉織された和妙(にぎたえ、絹布)がたてまつられる。神宮神職が五月と十月の一日から十三日まで両神社に各一人参向し、地元の青年が古い伝統のままに奉織を奉仕します。神麻続機殿神社は、御機殿(八尋殿)の鎮守の神をおまつりしているのです。
田園が広がる中にこんもりとした森が印象的ですが、楠や杉の大樹が茂っていて、普段はほとんど人気がないので、広い空間を独り占めできるのが贅沢な感じです。ご神木の大楠は、、樹高35m、目通り幹周4.97mと記されています。
麻布(荒妙)を織る上機殿に対して、3kmほど離れた神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)は、絹布(和妙)を織ります。地元では、下機殿(しもはたでん)や下館(しもだち)と呼ばれています。
斎庭のつくりは、上機殿とよく似ていて、鳥居の正面が八尋殿、その左に機殿神社、ほか末社八所が鎮座しています。お参りの順番は、神服織機殿神社に参拝、左を向き末社2所に参拝、振り向いて末社4所に参拝。実際末社は8所ですが、残りの2所は神服織機殿神社の御垣の内側にあるので、遥拝しましょう。
室町時代から戦国時代にかけて機殿神社は、荒れてしまい、伊勢神宮から管理されなくなってしまいました。江戸時代に入り、天下泰平となった元禄12年(1699年)には神御衣祭が再興され、糸が奉納された。しかし神宮から神職が参行するまで復興されたのは明治7年(1874年)であり、奉織が再興されたのは大正3年(1914年)5月のようです。
享保3年(1718年)、この地の領主の津藩主、藤堂高敏の寄進により両機殿が修理されました。
一番大きい社が八尋殿で、その左が本殿になり、御垣内には、小さな末社が鎮まっています。
毎年5月と10月の初旬、両機殿の八尋殿で皇太神宮正宮と別宮の荒祭宮での神御衣祭に供える御衣を奉織する。地元で「おんぞさん」と呼ばれるこの行事は戦国時代に途絶えましたが、明治の終わりごろから奉織が愛知県木曽川町で復活しました。機殿地区の人は、任せきりでは、いけないと感じ機織りの技術を習得し、伝承することにしました。1967年(昭和42年)以降、和妙は祖父らから継承された女性が奉織することになりましたが、荒妙は現在も男性が奉織しています。松阪市は1975年(昭和50年)9月27日、和妙と荒妙の奉織を「御衣奉織行事」として無形民俗文化財に指定しました。
地元住民による両機殿での奉織は神御衣祭に必要な和妙36匹(正宮24匹、荒祭宮12匹)と荒妙120匹(正宮80匹、荒祭宮40匹)のうちの各1匹のみです。
江戸時代、このあたりでは、綿織物が多く作られ松阪木綿 伊勢木綿として、江戸をはじめ全国で売られました。松阪商人の三井高利は、江戸・日本橋の越後屋で松阪木綿を現金掛値なしで商売をし、粋な江戸の人たちに大いに受け入れられました。このあたりの地名には、機殿、御糸、服部など織物にちなむ地名があります。
鎮守の森は、心を癒してくれる身近な聖地です。これからの少し暖かくなったら出かけしてみてください。
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