纏向遺跡の古墳群


  大和盆地東南部の三輪山山麓には、巨大な前方後円墳群があります。それらは日本で最初の統一政権、大和朝廷の有力者の墓として築かれたものですが、山の辺の道に沿って行燈山古墳(崇神天皇陵)、渋谷向山古墳(景行天皇陵)、箸墓などが1?2キロの間隔で並んでいます。
 これらの古墳群のなかでも最古の前方後円墳とされる箸墓(はしはか)のある纏向(まきむく)遺跡には、さらに古い古墳群があります。石塚や矢塚など弥生の墳丘墓と呼ばれるものですが、これらの墳墓群もすでに前方後円形をしています。「ホタテ貝型」と呼ばれる墳墓です。
 また、箸墓のすぐそばには、箸墓と同時期に作られたとされるホケノ山古墳もあります。これはすでに前方後円墳の形をしています。つまり、纏向遺跡では、いくつかの大きな弥生の墳丘墓が築造されたあと、箸墓という最初の巨大な墓が出現します。

  卑弥呼の墓と目される箸墓は、初期大和朝廷の創始者、崇神天皇の古墳よりも前に造られています。
 『日本書紀』によると、箸墓は倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)の墓とされています。 倭迹迹日百襲姫は、大和朝廷の初代崇神天皇のそばに仕える巫女のような存在、と『日本書紀』には描かれています。何か予言の能力のようなものを持っていたようです。
  倭迹迹日百襲姫は、大物主神の妻となったが、大物主神は夜しか訪れないため、姿をはっきりと見ることができなかった。
 そこで、姫は朝までいて姿を見せて欲しいと懇願すると、妻の願いを聞き入れた神は、「明日の朝、櫛箱の中にいる。自分の姿を見ても決して驚くな」という。
 翌朝、櫛箱の中にいたのは、下紐ほどの小さくて美しい蛇であった。姫は驚いて声を上げてしまう。
 大物主神は、恥じて人の姿に戻り、姫を恨んで「おまえにも恥をかかせてやる」といって、空へ上って三輪山へ帰ってしまった。
 姫は後悔して座り込んだところ、箸が陰部に刺さって死んでしまった。そこから箸墓という名がついたようです。
 この女性が、『魏志倭人伝』が伝える卑弥呼の巫女(シャーマン)的な姿と重なるのは事実です。「昼は人が造り、夜は神が造った」と伝説がいうとおり、箸墓古墳は、十分な存在感と神秘性をもっています。


  箸墓古墳は、全長276mの前方後円墳で、大きさでは全国で11番目、奈良県下では3番目の規模の大きな古墳であります。
  前方部が撥(ばち)形に開く墳形を持ち、一般の円筒埴輪が見られず、特殊器台形埴輪・特殊壺形土器を持つなど最古式の古墳の特徴を持つ。 
  北緯34度32分の太陽の道は、箸墓古墳の中心を通って東西に繋がっていて、古代から太陽信仰の跡となっているものです。また、太陽の道に沿っては、日置・弊岐・戸岐・戸木・部木・引・疋・曳など、「ひき」又は「へき」と呼ばれる太陽と関係のある地名が多いということです。


  纏向石塚古墳は、古墳時代前期初頭の3世紀前半頃のもので日本最古の前方後円墳とされています。
  前方後円墳、全長96m、前方部長約32m・巾約34m、くびれ部巾約12.8m、周濠巾約20m、葺石・埴輪無。埋葬部詳細不明ですが、石材未確認なので木槨または木棺直葬と推定されます。周濠から弧紋円盤・鶏形木製品・鋤・鍬・横槌・水槽・建築部材等木製品が出土。
 弧紋円盤は、吉備地方にルーツをもつとされる、直線と曲線の組み合わせ紋様を持つ、木製の埴輪です。

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