天照大神の神人分離


  崇神天皇6年(紀元前92年)、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。これを神人分離という。
 天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせ、その後各地を移動したが、垂仁天皇25年(紀元前5年)に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。倭大国魂神を渟名城入媛命に託し、長岡岬に祀らせたが(現在の大和神社の初め)、媛は身体が痩せ細って祀ることが出来なかった。
 崇神天皇7年(紀元前91年)2月、大物主神、倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣する。11月、大田田根子(大物主神の子とも子孫ともいう)を大物主神を祭る神主とし(これは現在の大神神社に相当し、三輪山を御神体としている)、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、疫病は終息し、五穀豊穣となりました。

  第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿(どうしょうきょうでん)」にお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎王)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててお祀りされました。その神蹟は実にこの檜原の地であり、大御神の伊勢御遷幸ののちもその御蹟を尊崇し、檜原神社として天照大神を引続きお祀りしてきました。そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。

  大神神社の摂社「檜原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。

  檜原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。
  三輪山がご神体ですから三ツ鳥居があるだけで、本殿は持っていません。

  大和では、三輪山が聖なる山とされていて、ここは、「太陽の道」といわれる北緯34度32分のライン上にいくつかの山や神社、寺、遺跡などが存在するところを春分の日と秋分の日に真上を太陽が通ることから太陽信仰の象徴と言えるでしょう。檜原神社もこのライン上にあります。
  東は、伊勢湾の入り口にある「神島」でここから太陽が昇るとされ、斎王宮を通り、堀坂山から美杉、室生寺、長谷寺を経て三輪山、檜原神社と来て、卑弥呼の墓といわれている箸墓古墳を通り西へ、二上山そして日本武尊が白鳥になって飛んで行ったといわれる「大鳥神社」から淡路島の伊勢の森までが太陽の道と呼ばれているところです。

  「三輪山」を中心にして、真東に103キロ行ったところに神島があり、真西に80キロ行ったところが淡路島北淡町の伊勢の森。この伊勢(遠いところという意味)を結ぶ北緯34度32分の上に、ほぼ3キロの等間隔に神社(それも天神を祭った神社)や遺跡(巨石)が並ぶといいいます。天神を祭るということは、太陽信仰ということ。真東は陽が昇り、真西は陽が沈む。つまり、産まれる所と死ぬところの象徴です。

大きな地図で
癒しの旅、歴史散策、神社スポット、寺院スポット、巡礼の旅、グルメな旅
ヒーリングツァー http://healingtour.jp
  三重県松阪市白粉町357-5
TEL 0598-23-0663 FAX 0598-23-0664

癒しの旅について等、お問い合わせありましたらお気軽にご連絡ください。 highlandybb@ybb.ne.jp TEL 0598-23-0663

★☆★☆大きい写真のブログも見てください・・・
 http://healingtour.blog116.fc2.com/


カレンダー

 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

お問合せ先

住所:三重県松阪市日野町12
TEL:0598-23-0663
営業時間:9:00 ー 18:00
定休日:日曜日、祝日、年末年始
URL:http://www.healingtour.jp/theme/index.html

ログイン