別宮 瀧原宮


  三重県度会郡大紀町滝原にご鎮座する皇大神宮の別宮である滝原宮は、志摩市磯部の伊雑宮とともに、古くから皇大神宮の遙宮(とおのみや)と称せられて厚く信仰されてきています。

  訪問する人が少ないので、鳥のさえずりがないと、静寂の中、杉の巨木の参道を歩いていくので、神聖な雰囲気が感じられます。

  国道42号線から200mほど入った鳥居をくぐると、神域に入ります。皇女倭姫命が、御枚代(御使い)として天照坐皇大御神を奉戴して、宮川下流の磯宮をお発ちになり、上流の方に御鎮座の地を求めてお進みになると、砂をも流す急流の瀬があり困っていたのを、真奈胡神がお出迎えをしてお渡しされました。
  倭姫命はさらに真奈胡神の案内でお進みになると、「大河の瀧原の国」という美わしい土地があったのでこの地に草木を刈り払って新宮を建てられたのが、瀧原宮の起源です。 そののち皇大御神の御神意によって再び伊勢の方へ向われたので、瀧原に御滞留の期間はさほど長くはなかったと思われます。

  太鼓橋を渡ると手水舎があり、そばには、お札やお守りを授けて下さる宿衛所があります。


  手水舎の前を脇に降りていくと、清流が流れていて、御手洗場となっています。木立の中にある川からは、たくさんのマイナスイオンが噴き出されています。

  瀧原宮の神域が四十四?あり、その地勢が皇大神宮と極めてよく似ていて、あたかも皇大神宮の雛型のようです。 後に山をひかえて南面し、すぐ前には東から西に向って流れる枝川があり、それが南から北へ流れる大川に落ち合うT宇型の地形です。 宮域内の鬱蒼と茂る杉の大森林は、他に比類が少なく、これこそ自然林の典型であると思います。

  若宮神社には、別宮で唯一、御船代(みふなしろ。御神体を入れる船の模型)を納める御船倉があるのが大きな特徴です。

  川島神社は1218年ころに書かれたと推定されている瀧原宮宮域之図(神宮文庫所蔵)には名前はあるものの、社殿は書かれていない。1874年(明治7年)以降、長由介神社(ながゆけじんじゃ)に合祀されるようになったようです。長由介神社:長由介神 は、由緒不明ですが御饌の神とされることから豊受大神の御霊あるいは分霊とする説があります。

  本殿の瀧原宮と瀧原竝宮〔たきはらならびのみや〕が並んで鎮座していて、御祭神はいずれも内宮と同じ天照坐皇大御神です。両別宮とも構造は皇大神宮に準じ、神明造であって、御屋根の樫木は偶数で六本、東西両端には内削ぎ(水平切)の千木が高く聳え、周囲には瑞垣、玉垣の二重の御垣があり、御垣にはそれぞれ瑞垣御門、玉垣御門があります。

  両別宮ともに天照大御神御魂。瀧原宮はその和御魂(にぎみたま)、瀧原竝宮は荒御魂(あらみたま)が祀られているとされています。

  古代からの大木の森のある瀧原宮は、内宮に近い神気がありますので、ゆったりお参りしてパワーをいただきましょう。

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猿田彦神社 御神田


  伊勢市の猿田彦神社には、本殿の裏手に御神田があり、毎年5月5日に御田植祭が執り行われます。

  当日は、本殿においての神事に始まり、御神田のお払い、稚児行列、さだひこ太鼓の披露等に続いて神前に早苗をお備えして祈祷を行いお田植えが始まります。五穀豊穣、大漁満足を祈願するもので、鎌倉時代から続いていると言われています。

  神社本殿で玉苗を供え御田祭の斎行(さいこう)を奉告されると、神田まで8歳の童女「八乙女(やおとめ)」が玉苗を運び、桃山時代の装束をまとった神社継承家の男8人女8人の植方(うえかた)が一列に並び、一苗一苗を丁寧に挿苗する。囃方(はやしかた)は作業終了まで、笛や太鼓による田楽を奏で、古代から続く悠々とした時が流れていきます。

  田植えが終わると神田の中央に恵比寿と大黒が描かれた大きなうちわを持った植方2人が「団扇角力(うちわずもう)」をとる。どちらが勝つかでその年の豊漁、豊作を占い、恵比寿が勝つと豊漁、大黒が勝つと豊作になるといわれています。

    猿田彦神社の本殿を右手から撮影しています。神々しいですね。


  神田での行事の後、本殿前では、「ハエーヤハエ、ハエーヤハエ」と掛け声をかけながら踊るユニークな豊年踊りが植方らによって行われる。「ハエーヤハエ」は「早く生えてこい」という思いが踊りの掛け声になったといわれている。踊りが終わると団扇角力で使用したうちわを破る「団扇破り」が行われ、参列者らによって一斉に破られる。うちわの紙片をいただけると、お守りになると伝えられています。三重県の無形文化財の指定を受けているお田植祭が、伊勢地方に初夏の知らせとなっているのですね。

  今年の御神田における、稲の発育状況をお伝えしていければと思っています。

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ベトナムの味


  今日は、ベトナム料理の夕食会。鯵のソテー・ベトナム風味、酸っぱいスープ、ホウレンソウ炒め、ベトナム風チャンプル、鯛の蒸焼きとナンプラーソースというメニューでした。

  パイナップル、トマト、もやしの入った酸味のきいたベトナムスープは、アジアンテーストで癖になる味です。

  ベトナム風野菜炒めにも、パイナップルが入っていて、イカやパプリカ、セロリともやしの絶妙なバランスが味を引き立てます。新鮮な鯵のソテーは、ナンプラーソースを少しつけていただくとベトナムの味がよく出ます。

    今日のおかずは、ご飯がすすみます。

  5月24日は、私の誕生日。みんなで楽しくいただき美味しかったです。ありがとうございました。来年の生誕50周年に向って1年間頑張ります。

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お多賀さま


  滋賀県多賀町にある「多賀大社」は、通称お多賀さまと呼ばれ多くの信仰を集めています。
 多賀の語義は、高地だと言われています。伊勢神宮、外宮の豊受大神をお祀りする正宮に次いで尊いとされる荒御魂をお祀りする別宮を多賀宮と言います。正宮から石段を98段登った丘の上の檜尾山にご鎮座しています。
 鎌倉以降は、多賀神社と称されていましたが、昭和22年、多賀大社と改称し、現在に至っています。

  室町時代中期の明応3年(1494年)には、神仏習合が推し進められ、多賀大社には神宮寺として不動院(天台宗)が建立され、多賀大明神として全国にお札を配って信仰を広めていきました。
 中世から近世にかけて伊勢・熊野とともに庶民の参詣で大いに賑い 「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」、「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあたったほどで、「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子である神話体系を歌詞に映したものでしょう。


  お多賀さまは、長寿祈願の宮として、年配の方が多く参拝に来ていらっしゃいます。


  神殿にある「延命石」は、鎌倉時代の初頭、東大寺再建を発念してはや20年にならんとする齢61の俊乗坊重源が、着工にあたり成就祈願のため伊勢神宮にて17日間の参籠(さんろう)を行ったところ、夢の中に天照大神が現れ、「事業を成功させるために寿命を延ばしたいのなら、多賀神に祈願せよ」と告げた。 重源が取り急ぎ多賀社に参拝すると、眼の前にひとひらの柏の葉が舞い落ちてきた。 見ればその葉は「莚」の字の形に虫食い跡の残るものであった。 「莚」は「廿」と「延」に分けられ、「廿」は「二十」の意であるから、すなわちこれは「(寿命が)二十年延びる」と読み解ける。 神の意を得て大いに歓喜し奮い立った重源は以後さらに20年にわたる努力を続け、見事、東大寺の再建を成し遂げている。 全てを終えた重源は報恩謝徳のため当社に赴き、そうして、境内の石に座り込むとそのまま眠るように亡くなったと伝えられる。


   「延喜式」によれば、近江国には五社があり、その中に”多何ノ神二座”とあります。 その二柱とは「伊邪那岐命」「伊邪那美命」であります。 この二柱によって「国生み」の大業がおこなわれ、日本国の生々発展の源となったので縁結びの神、生命の親神という信仰が生まれました。


  神殿の奥には、心落ち着く御庭がありとても癒されます。

  大鳥居と神門前の間を流れる車戸川に架橋されている太鼓橋は、相当急な傾斜の神橋なのですが、参拝者も実際に渡る事ができます。古例大祭時の御神輿は、この橋を渡るそうです。
 太閤秀吉が生母・大政所の病気平癒を同社に依頼した際の1万石によって築造されたたため「太閤橋」と呼ばれるようになったそうですが、現在の太閤橋は寛永の大造営によって寛永15年に再築されたものだそうです。

  「お多賀杓子(お-たが-じゃくし)」と称し、お守りとして杓子(しゃもじ)を授ける慣わしがあります。 これは「お玉杓子」や「おたまじゃくし」の名の由来とされているようです。

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初めての振袖!


 松阪市の三珍花とされる「松阪ナデシコ」をPRする「松阪撫子 百人一首大かるた会」が22日午後、松阪市本町の産業振興センターで初めて開かれました。

  今年で5回目のお祭りですが、東北大震災への配慮から、300人の女性が振袖を着て街をパレードする恒例行事が中止になり屋内の催しだけとなりました。

  午前中には、産業振興センター3階ホールでセレモニーが行われ、水谷会長が振り袖姿であいさつされ、松阪撫子をこよなく愛された、第119代光格天皇役の山中市長やなでしこ姫、松阪撫子を作りだした継松栄治役の方が壇上にいらっしゃいます。


  松阪に住んでいた紀州藩士・継松栄治(1803〜1866年)は、長年にわたって栽培していた河原撫子の中から、花弁が深く切れ込み縮れて長く垂れ下がるものを見付け、これの育生選抜を重ねて松阪撫子を作出したと伝えられています。

  かるた会には、100人ほどの人が参加し、振り袖姿の方たち60人が、今年募集した、松阪や撫子にちなんだ百人一首のかるたに挑戦しました。中には、外国人の人たちや子供のグループもあり、難しい漢字の読み方に苦労してかるたを探していました。



  ベトナムから実習に来ている女性たちは、振り袖姿に興奮気味で、美しい姿を何枚も写真に収めていました。楽しい時間とともに日本ならではの一番の思い出の一つになったようです。



  かるた会の後は、御抹茶とお菓子をいただきました。

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