松阪牛、女王の品格


  松阪牛は、三重県松阪市及びその近郊で肥育される黒毛和種。「まつさかうし、まつざかうし、まつさかぎゅう、まつざかぎゅう」と様々に呼ばれております。その中でも典型的な松阪牛は但馬地方(兵庫県)より、生後7ヶ月?8ヶ月ほどの選び抜いた子牛を導入し、約3年間、農家の手で1頭1頭手塩にかけ、稲わら、大麦、ふすま、大豆粕などを中心に与えながら肥育されます。
  松阪牛協議会の定義によると、生産区域が「旧22市町村と旧松阪肉牛生産者の会会員」(市町村数は2004年11月1日現在)で、対象牛は「松阪牛個体識別管理システムに登録された黒毛和種、未経産の雌牛」、肥育期間は「生産区域での肥育期間が最長・最終」であり、「牛肉枝肉格付をするなどシステムの条件を満たし出荷されたもの」と定められています。

  日本だけでなく、世界にその名を誇るブランド「松阪牛」。歴史を古くさかのぼると、生産者や関係者たちの努力の結晶であることは言うまでもありません。長い歳月をかけてゆっくり、じっくり築きあげられたブランド=宝物をこれからも大切にしていきたいですね。

  牛肉がここまで日本人に受け入れられたのが明治の文明開化による食に対する嗜好の変化です。当時大流行したのが「牛鍋」というもので、現在のすき焼きの始まりとされますが、材料はぶつ切りにした牛肉と五分(約1.5cm)の長さに切り揃えたネギのみで、これらを鉄鍋で焼き、最初のうちは割り下を用いず、牡丹鍋(イノシシ肉を用いる)風に味噌仕立てにしていたそうです。牛鍋は東京から全国へと一時広まっていきましたが、牛鍋屋の後には、関西から「すき焼き」が広まり、現在は、すき焼きという呼び名が全国共通となっています。

  松阪牛を全国に広めたのは、東京での販路を拡大するために松阪近隣から牛を集め、汽車も自動車もない明治5年(1872年)より始まり、同10年(1877年)以降はほとんど隔月に行なわれ、二十数年間にもおよび徒歩で一路東京を目指した、故山路徳三郎氏による「牛追い道中」と呼ばれる大行進がきっかけです。
  その後は、鉄道の発達による大型貨車輸送の開始も始まり、美味しさの研究をして、妥協しない良質の松阪牛を鹿鳴館や高級料理店などに貨車で送り続けていたのです。このことから、松阪地方の肉牛の優秀性が当時から東京で認められ全国そして世界から肉の芸術品「松阪牛」と言われるようになりました。

  松阪牛は、昭和10年(1935年)東京の芝浦で開催された全国肉用畜産博覧会で最高の「名誉賞」を獲得しました。そして昭和33年(1958年)には、松阪地方の出荷業者と東京の食肉業者が集まって「松阪肉牛協会」を創設、松阪肉流通の基礎を築くとともに、この頃から松阪肉は高級肉として東京を中心にその名声を高め、松阪肉牛のブランドを確固たるものとしたようです。
 昭和49年(1974年)からは松阪肉牛共進会の導入登録の際、牛の1頭1頭に「耳標」(耳につける番号札)をつけて個体を厳しく管理するようになりました。現在の国の家畜個体識別システムの先駆けと言えます。


  松本牧場さんは、毎朝4時過ぎから牛の世話をして1年中休みなしで、1頭1頭惜しみなく世話を続け、伝統を守りつつ工夫を重ねながら「松阪牛」というブランドを築き上げています。地道な仕事が大きな成果を出します。

  平成20年の松阪牛の競り市『松阪肉牛共進会』で、松阪牛のチャンピオンである最優秀1席を「としのぶ」号で獲得しました。現在、松阪駅前の観光情報センターでは、土、日、祭日この牛のパネルで記念写真が撮れます。記念に是非どうぞ!

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