東海道、三重県の一歩目は、七里の渡し前にある伊勢神宮遥拝のための一の鳥居から歩き始めることになります。
慶長6年(1601)東海道が制定されて、江戸から京へ向うと宮宿(熱田神宮)と桑名宿の間は、街道唯一の海路利用で七里の渡船と定められました。所要は3?4時間と思われますが、潮の干満によりコースは違っており、時間も一定できず気象状況により欠航も多かったようです。
歌川広重は江戸寛政9年に誕生。安藤家家業の火消しを継ぎ、その後に浮世絵師に。浮世絵師として安藤広重という名は使用しておらず、歌川広重が正式名。
桑名宿は、東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せていました。江戸後期の調査では、本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠屋120軒を擁し、家数2,544軒、人口8,848人(男4,390人、女4,458人)であったと記録されている。東海道では旅籠屋数で宮宿に次ぐ2番目の規模を誇っていた。
鳥居は江戸時代の天明年間に伊勢国のはじめの地にふさわしい鳥居をと願い、矢田甚右衛門と大塚与六郎が関東諸国に勧進して立てたのが始まりで、明治以降は神宮式年遷宮のたびに宇治橋外側の鳥居を削って建て直されている。
鳥居のそばにある常夜燈は江戸や桑名の人達の寄進によって建立され、元は鍛冶町の東海道筋にあったが、移築された。元は天保4年(1833)建立のものであったが、昭和37年に台風で倒壊したので、台石は元のままであるが、上部は多度大社から移したもので、安政3年(1856)銘がある。
桑名城は、現在九華公園として市民に憩いの場として親しまれていますが、ここの初代お殿様は、徳川四天王の一人、本多忠勝と言う人物で「家康に過ぎたるものが二つあり唐の頭に本多平八(忠勝)」とまで言われた名将であり、それがためか、お城近くには巨大な忠勝像があります。以後は、徳川家ゆかりの松平家が代々藩主となり、大政奉還の折も会津、箱舘と最後まで幕府軍として戦いました。
今は、ウミネコさんたちの居城になっています。
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