珍布峠(めずらしとうげ)は、R166からはずれて旧和歌山街道の宮前と赤桶の間にあり、国分け伝説の残る史跡です。
伝説によると、天児屋根命(あまこやねのみこと)がいう国境に疑問をもった天照大神(あまてらすおおみかみ)が、そばにあった大岩を川に投げ込み、その波の止まったところを国境に定めたといわれています。
その二人が出会った場所が“珍布峠”で、投げ込んだ大岩がその近くの川の中にある“礫石(つぶていし)”です
和歌山街道は、伊勢参宮の道者が行き交う道であるとともに、紀州の殿様が江戸と地元を行き来するのに使った道で、殿様の行列が通る際は、付近の村々から人足を調達してこの峠を越えたそうです。宮前から山に入り「死人谷」「道行谷」などを経ると、珍布峠に至ります。険しい山道をふさぐ巨岩を削り取った切り通しの景観は圧巻です。まさしく和歌山街道で最も強いパワースポットの一つといえるところです。
礫石(つぶていし)?国分け伝説
むかしむかし、ある日のこと。天照大神(あまてらすおおみかみ)が白馬に乗って旅をしていました。飯高町の赤桶(あこう)にさしかかった時、「誰か、この地の国境を知るものはいないか?」とお尋ねになりました。
すると、水屋の森から春日の神でもある天児屋根命(あめのこやねのみこと)が現れ、「この下の“堺ヶ瀬” が伊勢と大和の両国の堺でございます。」と答えられました。ところが大神はその答えに満足されず「この堺はちょっとおかしい」とおっしゃられ、石を川に投げ入れて、波の止まるところを国境と決めることになりました。
大神はそばにあった大石を軽々と持ち上げ礫のように川の中へ投げ込まれました。川水は滝のように流れ落ち、後にそのあたり一帯は「滝野」と呼ばれるようになりました。また落下した水は川上へ流れ込み、その波の様子からそれぞれの地名を「加波(かば)」の里、「波瀬(はぜ)」の里、「舟戸(ふなと)」の里、そして波は止まったところを「波留(はる)」と名付けました。波は高見山にまで達し、大神はこの日から高見山を伊勢と大和両国の国境とするとお決めになりました。(旧飯高町ホームページより)
『倭姫命世紀』によれば、垂仁天皇二十二年、天照大神がご鎮座される地を求めて伊勢に入られた倭姫命がこの地を旅したとき、お迎えした飯高氏の族長、乙加豆知命(おとかずちのみこと)にこの地の国名を聞かれ、乙加豆知命が「飯高国」と申し上げると、「飯高(ご飯が茶椀に高々と盛られている)とは貴い」とおよろこびになったという倭姫命の碑が礫石に向って建てられています。
車が停めれる所から櫛田川に沿って400mほど歩いていきます。眼下に見える清く澄んだ川と景色に癒されます。
車を停めることのできる所には、お地蔵様と常夜灯が安置されていますが、もとは礫石の上にあったそうです。お参りしてからでかけましょう。
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