日本橋を中心とした地域は、江戸郷前嶋村と呼ばれる地域だったといわれています。江戸は鎌倉時代の江戸氏の支配から大田道灌、さらに徳川家康が幕府を開きましたが、早くに町地として開発されたのがこの日本橋周辺の地域であったようです。日本橋が架けられ交通の要所として定められてからは、松阪商人の三井家が現在の三越の前身である越後屋を創業していて、大店が集まっていました。また付近には金座や銀座が置かれるなど、江戸を代表する場所として殷賑を極めた所です。
日本橋の中央には「日本国道路元標」の文字が埋め込まれており、裏側には当時の内閣総理大臣、佐藤栄作の名前が刻まれている。国道1号線と4号線は、日本橋が起点です。
橋の端に立つ獅子像は、盾の代わりに東京の紋章を持って守護しているようです。
今にも飛び立とうとしている麒麟は、繁栄をあらわしています。
日本橋室町のたもとには、日本橋魚河岸記念碑がります。これは、徳川家康の関東入国の後、摂津からの漁民が佃島に移り住み、幕府の膳所に供するために漁業を営みました。日々上納する残りの鮮魚を舟板の上で並べて一般に販売するようになったのが日本橋魚河岸の始まりです。
江戸から明治に大繁栄していたようですが、大正12年(1923年)関東大震災をきっかけに築地に移り、現在の中央卸売市場へと発展していきました。
記念碑は、乙姫を表していて、「日本橋 龍宮城の港なり」龍宮城の住人である海の魚がことごとく日本橋に集まったという意味のようです。この碑は、築地にも祀られています。
日本橋1丁目1番地1号に建つのは、三井家に先んじて江戸に店を構えた松阪商人であります「国分」です。松阪木綿などを扱っていた商人の国分勘兵衛でしたが、4代目の国分勘兵衛宗山が1712年、現在の茨城県土浦市で大黒屋の屋号でしょうゆの製造を始め、水利のいい日本橋に店を構えたのが創業で、来年には、300周年を迎える名門企業です。現会長兼社長は12代国分勘兵衛氏。
明治以降、海外からビール、香辛料、缶詰など新しい食品が輸入されるようになり、国内でもさまざまな食品産業が育ってきたのに伴い、しょうゆの製造は取りやめ、広く食品を扱う問屋となり、約100年前から自社ブランド「K&K」の食品も取り扱っている総合食品商社です。
日本橋のたもとの対面には、野村證券の本社、本店を見ることができます。
日本橋を挟んで国分、三越そして三井タワーを眺めると松阪商人タウンに思えてきます。江戸時代に多くの松阪商人が商いをした日本橋。そして松阪市射和の豪商の家は健在です。
http://www.e-matsusaka.jp/hightland-travel/index.php?date=2011-04-13
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