高知城の銅像


  高知城は南北朝の頃、この地方の豪族大高坂山松王丸が居城し、北朝方と戦ったが、落城しそののちは廃城になっていたものを、関ヶ原の戦いの活躍で掛川から鞍替えとなった、「駿馬と妻の十両」で知られる山内一豊によって築かれたものです。

  内助の功のお手本として知られている山内一豊の奥様の名は、山内まつ、山内千代ともいいます。一豊の死後は出家して見性院となりました。有名な話しは、かつて一豊が織田家に仕えていた頃、馬市で名馬を見いだしたが、買うお金がありませんでした。その時、千代は嫁入りの時に実家から持たされた黄金十枚を鏡の下から取り出し、「いざという時の蓄えにしていたので、使ってください」と差し出したという。それからほどなくして、安土城下で馬揃えがあったが、その馬を見た信長の目にもとまり、出世の糸口になったとのこと。そんなエピソードを像にしたものです。

  高知城天守は、外観は四層とも五層とも見えますが内部は六階、白亜ですが搭載型の変形で最上層に望楼風高欄がついています。この天守には珍しく御殿が付属していて懐徳館と呼ばれていて、正殿上段の間、溜の門、納戸、玄関があり、大名の生活が偲ばれます。
 本丸には天守、正殿の他、東多聞、廊下門、詰門、西多聞、黒鉄門などの建物が残っていて城郭建造物の様式を見ることができます。



   天守閣から黒鉄門が下に見え、高知の街並みが180度見渡せます。



  追手門を抜けた前に立っているのが、板垣退介の銅像です。板垣退介は、自由民権運動の指導者として知られていますが、明治時代の政治家で、1837年(天保8)4月17日高知城下中島町に生まれました。若い頃は、土佐藩における倒幕派の急先鋒となり、1865年(慶応元)3月京都において薩摩藩士小松帯刀、西郷隆盛らと薩土秘密倒幕同盟を結ぶ立て役者となりました。戊辰戦争では土佐藩の大隊指令となり、東山道先鋒総督府参謀を命ぜられて、各地を転戦、会津城攻略においては指揮官として活躍した。明治維新後は新政府の参議に任じられましたが、征韓論で破れ下野、高知へもどり、立志社を創設、自由民権運動を展開し、リーダー的存在となりました。1881年(明治14)自由党総裁となり、全国的に活動し、憲法発布、国会開設へと向かわせたことは有名です。1882年(明治15)4月6日、岐阜での遊説途上、刺客に襲われ、「板垣死すとも自由は死せじ」の名言を残し他界しました。

  像の題字は、再建当時の内閣総理大臣吉田茂の揮毫です。自由民権運動の発祥の地と言われる高知県を象徴している銅像といえますね。


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