天正12年(1584年)豊臣秀吉により、滋賀県日野町から松ヶ島十二万石に封じられた蒲生氏郷公は、天正16年、四五百(よいほ)の森に城を築き、この地を「松阪」と名付けました。
氏郷公は、は弘治2年(1556年)滋賀県蒲生郡日野町に、六万石の大名蒲生賢秀の嫡男として生まれました。永禄11年(1568年)蒲生賢秀は織田信長に降り、氏郷(幼名鶴千代)は人質として信長に仕えますが、信長は一目で鶴千代の非凡さを見抜き、翌永禄12年にはわが娘冬姫を氏郷に与え、若年ながら武将の列に加えたといわれています。当時、文武兼備の武将として有名な稲葉一鉄は「この子の行く末は百万の将たるべし」と賞賛したと伝えられています。
日野町では、蒲生氏郷公を郷土の誇りとして顕彰するため、大正8年(1919)日野町上野田・ひばり野に銅像が建設されましたが、昭和19年、第二次世界大戦に資源として供給されその後、幾度か再建への努力がかさねられました。
現在の銅像は、銅像建設審議会の答申に沿って、地域活性化及び景観対策事業として起工、地域の建設協力会はじめ、各地の多くの方々の尽力と協賛のもとに昭和63年(1988)4月に完成しました。
松阪で行われる氏郷まつりの50周年を記念して、9月18日にシンポジウムを開催します。そこの日野町長様と氏郷顕彰会の関係者様の参加依頼をしに町役場にお邪魔しました。
日野商人の特徴の一つには日野で造られた漢方医薬の販売があり、これが大きな利益を上げる一つになりました。
正徳四年(1714)に正野玄三が造り出した萬病感応丸は日野を代表する薬となって全国に広められました。ここは、現在、観光協会に利用されています。
近江商人の中でも、日野地方出身の商人を日野商人と呼び、他の近江商人と比べ出店数においては群を抜いていました。
しかし大店といわれるものが少なく、千両もたまれば新しい店を出すといわれるくらい小型店の拡張が多く、このことから日野の千両店という名称が生まれたようです。
風流郷邸(ふるさとてい)は、日野町商工会が、先人の残した遺産を地域の活性化に役立てようと、商人屋敷の活用をするため、約120年前に建てられた屋敷を借り受け、地元の物産品を販売するなど、人やモノ、情報の交流拠点を目指しています。ここに手作り甲冑が展示されています。
新名神高速道路の土山SAでも、松阪と氏郷まつりをPRしました。
真夏の暑さの中で、甲冑を着てのPRは大変でした。お疲れ様です。
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