伊勢のレトロな旅館


  JR伊勢市駅から外宮に向かう参道に約100年前から営業している「山田館」があります。4代目になる当主が言うには、創業当時のたたずまいをあまり手を加えずにそのままにしているのは、創業者である私の曽祖父が宮大工であり自分で建築した旅館であるのと戦火をのがれた事に思い入れがございます。伊勢神宮にお越しの際は、木造三層楼の旅館山田館をご利用ください。
 古さが売りだけに、お部屋の新しさと設備は期待しないことですが、駅に近いのと外宮への参拝や市内散策には便利です。

  宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルの一つともいわれるレトロさと三層楼造りが印象的です。

  麻吉旅館は、伊勢神宮の内宮と外宮の間の古市にあります。このあたりは江戸時代に、伊勢参りに訪れた人々が、精進落としとして飲んで騒いだ遊廓地として栄えたところで、かつて大料亭だった麻吉旅館は、唯一その当時の面影を残す場所です。古い建物なので、バリアフリーとはいきませんが、「懸崖造(けんがいづくり)」という地域特有の建築方法で、登録有形文化財にも指定されています。歴史好きの人、建築好きの人におすすめです。


   建築様式が、清水寺と同じ、急斜面独特の「懸崖造り」。その希少性や遊郭の地の宿という面白さも手伝ってか名建築の一つと言われていて、旅館は2004年に国の登録有形文化財に指定されています。
 宮崎駿監督の好みそうな建物で、この急な階段も印象に残ります。江戸時代から残る建物ですが、旅館として現在も営業されていますので、伊勢参りの思い出の一つに是非ご宿泊ください。

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  三重県松阪市白粉町357-5
TEL 0598-23-0663 FAX 0598-23-0664

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奇祭「ヤーヤ祭り」尾鷲神社


  三重県尾鷲市にある尾鷲神社では、毎年2月1日から5日まで「奇祭尾鷲ヤーヤ祭り」が行われます。期間中毎夜各町の若者衆が、町を練る行事「ヤーヤ」が通称となったもので、この「ヤーヤ」の名称は、戦国時代武士の立合いの名乗り(やあやあ我こそは、・・・)に由来するといわれています。白装束の男たちが喧嘩さながらの勇壮な練りをすることで知られています。

  1日の午前0時から宮司さんによる「扉開き神事」から祭りが始まります。これは、練や踊りを神さんにも楽しんでいただこうという中世からの伝統儀式だそうです。
 2日の夜から3連夜、練りのヤーヤが始まります。上半身シャツ姿、下半身は体操ズボンとなり、各町の若者衆は小頭の振る提灯の合図に従って一糸乱れぬ押し合いを当屋の町に仕掛けます。三回押し合った後は、当屋の町に合流して次に来る町の手伝いを待ちます。押し合いの時の掛け声は「チョウサじゃ」です。そして、各当務町のショードがヤーヤを従えて毎夜神社にお参りし、その際必ず海岸に立ち寄って当人・汐撫・弓射など主だった役人が身を清める意味で海水に飛び込む垢離(こり)をかく習わしとなっています。これは、真裸で泳ぐことになるようです。

  尾鷲神社の創基は、大宝年間(701?703)と伝えられる。牛頭親王(素盞鳴尊)を祭り、大宝天王といって尊崇されています。
 2月5日のお祭りの最終日は、尾鷲市内各所で、大名行列や道中手踊りが行われ、夕方からは神社の境内で弓を射る大弓の儀が行われた後、神宝獅子頭の出御(しゅつぎょ)、祷渡しの儀式があり、五日間にわたる祭りの幕を閉じます。
 そして東紀州に春が訪れるということになります。

  大楠伝説が残る尾鷲神社。鳥居の前に張り出したような二本対になっている楠があります。「夫婦楠」と書いてありましたが、夫婦とも巨大です。そして境内にも一本のクスノキ。幾分小さめですが、根でふさがれた空洞が何カ所もあり、まるで何かを隠しているかのようです。そして、社殿の裏にもクスノキが見えました。遠目に見てこれが一番大きく見えますが、残念ながら近づくことは出来ません。樹齢千年と書かれていますが、大迫力の夫婦楠で、夫婦円満に導いていただけるのと、こぶの部分を触ると安産が約束されるそうです。

  拝殿前になぜか観光地などにある記念写真をどうぞと尾鷲節、ヤーヤ祭りの立札と顔が出せるパネルが置いてありました。お祭りの時だけのサービスかも…。

  全国有数のサンマやかつおの水揚げを誇る尾鷲港でしたが、近年は漁獲高は減少しているようです。市場内では、2月から12月の第1土曜には、「尾鷲イタダキ市」と呼ばれる朝市が開かれ大勢の人でにぎわいます。早起きして、新鮮な美味しいさかなや干物を買いたいですね。

  尾鷲湾には、中部電力三田火力発電所の大きな煙突の鉄塔がそびえてランドマークとなっています。尾鷲は明治以来三重県東紀州地域の中心とされ、大正10年(1921年)より本格的な港湾事業が実施された。昭和42年(1967年)に重要港湾の指定を受けている。最近は、遠洋漁業や地場産業の輸送拠点、インドネシア、ベトナム等からの原油輸入拠点としての機能を持つ。また、三重県の「三重サンベルトゾーン構想」の重要拠点としても位置づけられている。
 尾鷲港には第4管区海上保安本部尾鷲海上保安部が置かれ、沿岸警備・海洋情報収集の他、尾鷲港における日出没・潮汐が常時観測されています。
 また、日本で最も雨の多い市で「雨の都、尾鷲」と言われています。

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節分 みろく院「星まつり」


  松阪駅近くにある、真言宗高野山金剛峰寺派の弥勒院善福寺は、毎年2月3日の節分に「星まつり」が開催されます。一年間の安全祈願・祈祷・古い人形や御札の炊き上げ、豆まき、餅まき、火渡り等が行なわれる。寺伝によれば、もともと隣接する八雲神社(牛頭天王社)の別当寺だったという。


  山伏姿の修行僧により、祈祷や護摩供養が行われます。密教では、願いをかなえるために祈るとき、護摩を焚いて神仏に祈るのが一番良いとされています。
 護摩とは、焚く、焼くを意味して、インド・サンスクリット語のホーマ(homa)を音訳したものです。護摩の炎に添えられる護摩木に書かれることは、願い事であるとともに、煩悩でもあるといわれますので、この煩悩を焼き尽くし清めて、願い事の速やかな成就を祈る儀式でもあるようです。

  星まつりについて・・・私たちの運命に影響を与える二つの星があります。一つは生まれた日に由来する「本命星(ほんみょうじょう)」と北斗七星に関係して当年の運期である「当年属星(とうねんぞくしょう)」により、良い年、悪い年が巡ってきて、運気の大小強弱や可能性があるということです。供養することによって、すべとの人の運気と運期を転換させ幸福を招くという祀りです。


  火渡りをして厄除け無病息災を祈願しますが、燃える木の上を歩いた人は、ぜんぜん熱くないと言います。信心が深いと辛い修行にも耐えられる力がわいてくるのでしょう。


  最後は、厄年の人が一人「鬼は外、福は内」と豆を投げて、それからは、8人ほどが豆とお餅それにお菓子をどんどんまいて歓声が上がりました。また、ひろった袋の中に紙が入っていると自転車や砂糖、洗剤などと引き換えられます。私は、ティッシュBOXを一ついただきましたので、厄を拭き(吹き)飛ばしますように使います。

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熊野 花窟神社 御縄掛け神事


  紀伊半島の熊野は、神話や伝説が数多く伝えられる地域で、その代表的なひとつが、三重県熊野市にある花窟神社(はなのいわやじんじゃ)です。日本書紀にも記述されている祭事「御縄掛け神事」が2月2日と10月2日に見られるます。巨岩を御神体とする神社の姿もほぼ当時のまま。もともと熊野では、社殿がなく岩や大樹を祀っている神社も珍しくなく、今も点在しています。その代表格の花の窟神社は、かつての自然崇拝を現代に伝える貴重な文化財といえます。

  御縄掛け神事は、地元、有馬の氏子6人と宮司さんがお祓いを受けた後、御神体の大岩に登ります。およそ10メ?トルの三旒の幡形、下部に種々の季節の花々や扇子等を結びつけたものを、日本一長い約170メートルの大綱に吊し、大綱の一端を岩窟上45メートル程の高さの御神体に結んで下におろします。それを神社関係者や一般参加者が一緒になって、海岸まで引っ張って境内にある塔の上を通してもう一端を南隅の松の御神木にわたす神事です。


  御縄掛け神事に用いられる御縄の綯え作業は、氏子や地元の方々が1日がかりで作られます。

  日本書紀に記されている日本最古の神社「花の窟」は、日本の神々の母・伊弉冉尊の御陵であり、熊野三山の根源地として我が国の古代信仰にとって非常に重要な神域です。
 百尋(166m)の御神体の窟頂上から「七里御浜」へ引き出して境内へ渡す「お縄かけ神事」(三重県指定無形民俗文化財)は、五穀豊穣を祈願するとともに、神と結びつながり、神の恵みをいただく太古から受け継がれる神事です。前回10月2日に掛けられた縄も残っていて、2本あると、豊作になるといわれているようです。



  神社関係者や一般参加者、近所の保育園児も一生懸命重い綱を引いていきます。この綱を引くと無病息災、健康で幸せな日々が送れるといわれています。今度の10月2日には、この神事に参加してみてはいかがですか。

  太陽信仰と縄掛け神事は関係が深いようです。10月2日に例大祭が行われるのは、古代から人々は、太陽により育くまれた作物を捧げて、今年一年の恵みを感謝し、太陽にどうぞゆっくりお休みください。と太陽神を送りました。
 2月2日、冬至を過ぎると、今度は太陽を呼びよせ、新しい年の五穀豊穣を祈願するのです。このように太古から自然崇拝が続けられているのですね。


由緒書きによると「一書曰 伊弉冉尊(イザナミノミコト)火神を生み給う時に灼かれて神退去(さり)ましぬ 故(か)れ紀伊国熊野の有馬村に葬しまつる 土俗(くにびと)此神の魂を祭るには花の時に花を以て祭る 又鼓吹幡旗を用て歌い舞いて祭る」
  伊弉冉尊は、神生みをなされ、最後に火の神、軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んだとき、火傷を負って亡くなられた。妻を失った伊弉諾尊(イザナギノミコト)は怒り、火の神、軻遇突智尊を切り殺してしまう。
 母、伊弉冉尊と息子、軻遇突智尊がともに眠るのがこの花窟である。 伊弉冉尊の魂を祀るために、土地の人々は、花を飾り、歌い踊って祭りを行うのでしょう。

  地元の小学生4人が、緊張の中、年長の二人が「浦安の舞」を年少の二人が「豊栄の舞」を見事に踊ってくれました。たくさん練習を重ねてきたのでしょう。とてもよかったですよ!お疲れ様でした。

  宝塚歌劇団出身の‘夢輝のあ‘さんが、♪澄みきった歌声の奉納をされていました。毎回、磐の前で歌や舞を奉納して伊弉冉尊と軻遇突智尊の鎮魂をされるのでしょう。古代より受け継がれている熊野の自然信仰に触れて感じることは、個人的な願いごとをするよりも、 宇宙の大きな愛を感じ、ただただ感謝の祈りを捧げていたいものです。
 岩も、木も、一りんの花も、感謝と愛と調和の波動を放つと ものすごい生命エネルギーを送ってくれるようです。

  冬、いつも大波が打ち寄せる熊野灘は、まつりの日は、穏やかで母なる大海原です。熊野は、いにしえの魂の記憶を思い出させてくれる場所かもしれません。いつの時も自然への畏敬を持ち、自然に感謝することを祈ってきたのでしょう。御礼。

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伊勢の名物「赤福餅」は♪ええじゃないか!


  日本のお土産売上トップの赤福餅は、江戸時代の1707年(宝永4年)に皇大神宮前の五十鈴川ほとりで販売されたと言い伝えられている。商品名の赤福は、まごころ(赤心)をつくすことで素直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という意味の「赤心慶福」(せきしんけいふく)に由来するとしている。名前の「赤」にちなんで包装も商品名のロゴも赤いが菓子自体の色は小豆色であり赤ではない。


  おはらい町、五十鈴川のほとりにある本店では、今朝も若い乙女が赤福餅をせっせと手作りしていました。寒い早朝からいくつものお社をお参りをして疲れた体には、熱いほうじ茶と美味しいあんこと餅によって癒されます。
 「赤福のれん」300年続いく伝統の味に感謝です。

  赤福餅の姿は、五十鈴川の清流にちなんで、白い餅でせせらぎの石を上にのせた漉し餡を指で押して二すじの波形を作って水の流れを表現しています。正岡子規は、「到来の赤福餅や伊勢の春」と詠まれました。

  今朝は、朔日餅も販売されていたので、早朝から多くの人が訪れているようです。赤福本店の建物は明治に造られて以来、130年以上大切にされています。 伊勢らしい切妻屋根は間口を広げるために高くし、正面に掲げた横書きの大きな看板には金色で赤福の二文字。妻入りの軒先にかかる海老茶色ののれんをくぐると、朱塗りのかまどから湯気が立ち昇っています。

  赤福本店の店頭には、朱塗りの竈(かまど)が据えてあります。この独特な形の竈・三宝荒神(さんぽうこうじん)と呼ばれるそうです。由来は、昔、伊勢参宮の時、足の弱いご婦人らに愛用された三人乗りの馬の鞍「三宝荒神」を造詣化したものだそうです。三宝荒神には別の意味もあり、三宝を守る火の神を「三宝荒神」といい、これを竈の神さまとして祀っているとのこと。店で出す番茶は、この竈で沸かした湯を使い、おもてなしの象徴でもある竈ですね。


  二月の朔日餅(ついたちもち)は、「立春大吉餅」でした。黒大豆と大豆を使った二種類の豆大福で、一つは、大粒の黒大豆とこし餡を餅生地で包み、もう一つは、こし餡と大豆を包んだ餅生地にきな粉をまぶしましたものでした。しっかりした餅とあんこの風味がとてもいい感じで、美味しくいただきました。
ごちそうさまでした・・・。また、食べたいです。

   赤福のテレビCMで長年、赤太郎という侍をイメージしたマンガのキャラクターが登場し「伊勢の名物・赤福餅はええじゃないか」とよく放映されていました。東海、関西では知らない人はいないのでは・・・。近頃はあまり目にしなくなったような気がしますので、懐かしく見ていただければ幸いです。
http://www.youtube.com/watch?v=MbUVT4NTscU&feature=player_embedded


  「立春」(二月四日)は、二十四節気の“元日”。前日の大晦日(二月三日)には、豆をまいて一年の邪気を打ちはらい、また新しい年を健康に過ごせるよう祈りましょう。
  包装紙の伊勢千代紙について、宮中や大奥から伝承されている文化を朔日餅の包装紙としてつつみ世の千代の繁栄を祈っているようです。

  赤福のれんは、順風満帆とはいかない時期がありました。2007年10月に消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件が日本中を駆け巡り大変驚きました。
  2007年10月19日から2008年2月5日まで全店で営業を休止しました。2008年のお正月は、赤福餅が食べれないという今までにない経験をしましたが、今は、経営改善や意識改革によって、以前よりおいしくなった赤福餅が食べれるようになってよかったです。子供のころは、一箱全部食べれたら日本一幸せと思ってました。

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