南紀白浜の夕陽


  和歌山県白浜町にある、白良浜海岸から見る夕日の素晴らしさに感動します。この海岸は、640mの遠浅で石英の砂なので真っ白でサラサラして名前通りの白くて良質の砂の浜です。日本の渚百選や快水浴場百選にも選ばれています。そしてあの有名なハワイ・ワイキキビーチと姉妹ビーチになっています。この美しいビーチからの綺麗な夕陽に心が洗われます。


  ここ白浜の砂は、明治から大正にかけては、ガラスの原料として採掘され大阪に運ばれていたというほど良質のものです。
  また、近畿地方では屈指の海水浴場で、夏季には主に京阪神方面から来遊する海水浴客で賑わう。例年、5月3日に海開きが行われ、これは本州で最も早いということです。


  夏以外でも、温泉地として有名で大型ホテルや旅館、民宿、ペンションや保養施設が多数あり年間100万人以上が訪れる観光地です。最近は、パンダの街としても売り出していますので、家族連れやカップルの姿も目立ちます。冬場はゆっくり海岸散策や景勝地の見学ができるので、おすすめです。


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奇岩・名勝 橋杭岩


  橋杭岩は、和歌山県南端の串本から向かいの大島へ、約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っています。海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見える奇岩です。吉野熊野国立公園にもなっているところです。

  橋杭岩にまつわる昔話・・・昔々、弘法大師と天の邪鬼(あまのじゃく)が熊野地方を旅したときのことである。
 天の邪鬼は弘法大師と話をしているうちに次第に大師の偉大さに圧迫されるように感じた。我こそは世界一の知恵者であると自負している天の邪鬼は、何とかして弘法大師の鼻をあかしてやりたいものと考えた末、妙案が浮かんだ。
 「弘法さん、大島はご覧の通り海中の離れ島で、天気の悪い日には串本との交通が絶え島の人は大変困るそうですが、我々はひとつ大島と陸地との間に橋を架けてやろうじゃありませんか。」と誘いをかけた。
 「それが良い、それが良い。」と弘法大師も早速賛成した。「ところで二人いっぺんに仕事するのもおもしろくない。一晩と時間を限って架けくらべをしましょう。」と天の邪鬼は言った。いかに偉い弘法大師でも、まさか一夜で架けることはできまい。今にきっと鼻をあかしてやることができると天の邪鬼は内心喜んでいた。

   いよいよ日が暮れて弘法大師が橋を架けることになった。一体どうして架けるのだろうと、天の邪鬼はそっと草むらの中から窺っていると、弘法大師は山から何万貫あるか分からない巨岩をひょいと担いできて、ひょいと海中に立てている。2,3時間のうちに早くも橋杭はずらりと並んだ。天の邪鬼はこの様子を見て、「大変だ! 大変だ! この調子でいくと夜明けまでには立派な橋ができあがる。」とびっくりして、何か邪魔する方法はないかと考えた末、「コケコッコー」と大声で鶏の鳴き真似をした。すると弘法大師は、「おやもう夜が明けたのか?」と自分の耳を疑って聞き耳を立てていると「コケコッコー」やはり鶏の鳴き声がする。弘法大師は本当に夜が明けたのだと思ってついに仕事を中止した。
 そのときの橋杭の巨岩が今に尚残っており、列巖の起点には弘法大師の小宇を祀っている。

  この橋杭岩は、砂や泥が海底に堆積してできた堆積岩中の割れ目にマグマが貫入して冷え固まったものだそうで、その後、隆起し、柔らかい堆積岩は海の波により侵食され、硬い火成岩の部分が断続的に取り残されて、橋脚が並んだような地形となりました。大地の歴史を示すこの独特の地形は、国の名勝・天然記念物に指定されています。

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風の潮岬灯台


 和歌山県串本町にある潮岬は、北緯33.45度 東経135.76度で紀伊半島の南端であるとともに本州最南端でもあります。明治6年(1873年)の初点灯以来、130余年もの間、海上交通の要所として沖行く船を照らし続けています。沖に広がる太平洋には、貨物船やタンカー、フェリーなどたくさんの船が航行するのが見ることができます。


  入り口を入って68段の階段を上って、最後のまた急階段を昇ると、そこからの眺めは、緩やかな弧を描く大海原が広がる素晴らしいもので、地球が丸いことが実感できます。

  灯台下には資料館もありこれまでの灯台の活躍を知ることができます

  潮岬の沖合いは潮の流れが速く、風も強いため古くから航海の難所として知られていました。江戸時代末期、開国により、イギリス、フランス、オランダ、アメリカと結んだ「江戸条約」で8つの灯台建設が決められました。
 潮岬灯台は、日本で最初に建設された8灯台の内の1つで、日本で始めての木造様式灯台でした。その後明治13年に現在の石造り灯台に建て替えられました。

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雪化粧の丸山千枚田


 三重県熊野市紀和町にある日本最大級の棚田の一つ丸山千枚田は、日本の棚田百選のひとつに選ばれています。白倉山の麓で斜面に石垣を築いて、段々に小さな水田が作られています。
 史料文献によると、関ヶ原の戦いの功により紀伊に移封された浅野幸長による慶長6年(1601)の検地の記録。7町歩(約7ha)、約2240枚の棚田があったと記録されているそうです。しかし、昭和40年代の高度成長で生産効率の悪さと、過疎化から荒廃が進み耕作は、500枚ほどになりました。そこで、この文化的景観を残そうと地元の人たちが保存会を立ち上げました。

  展望台から見る景色に圧倒されます。「耕して天にいたる」と形容される棚田の一段一段には、お百姓さんの汗と涙がこめられています。人と自然がゆっくり時間をかけてはぐくんだ風景は、幾百年の歳月をへた今も変わらぬ姿で現代の人を迎え入れてくれます。5月になると緑あふれる斜面に輝く一枚一枚の水田たち。絶やしたくない日本の原風景がここにあります。

  丸山千枚田保存会は、平成5年に丸山地区住民全員が会員となって発足したもので、530枚にまで減少し荒れてしまった千枚田を平成5年から5年がかりで現在の1,340枚まで復元し、現在ではその保全活動が行われています。保全作業のほかに、オーナーさんへの作業指導や案山子作りの指導など、都市住民と交流活動も行っています。
  田植えや草取り、稲刈りに参加でき、千枚田の新米10kgと地域の特産品のもらえるオーナー会員(年会費3万円)と農業体験はないが、新米2kgのもらえるサポーターとして応援する会員(年会費1間円)を毎年募集している。平成23年度会員を現在3月まで受け付けていますので、棚田保存に協力してください。


  「瑞穂の国」といわれる日本では、奥深い山あいの地に暮らす人々は、知恵をしぼって作った棚田が、貧しい里に豊かな恵みを与えてきました。
 現在では、平坦地の水田にくらべ昼夜の温度差が大きいことやきれいな水源に近いことなどから、棚田の米がおいしく上質であることが知られています。永い時を経て現存する棚田は、今もなお人々の手で米作りが行われ、先人の知恵や想いが大切に受け継がれています。

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斎宮歴史博物館


  三重県多気郡明和町にある斎宮歴史博物館は、昭和45年(1970)、大規模宅地造成計画に伴う事前発掘調査で、明和町竹川と、その東に接する斎宮の地が、「幻の宮」といわれた斎宮の跡地であることが判明、宅地造成は中止されました。その後も発掘調査は継続的に進められ(現在も継続中)、昭和54年には一帯の約137ヘクタール(東西約2キロメートル、南北約0.7キロメートル)が国指定史跡に。
 三重県立斎宮歴史博物館は、この史跡の一角に平成元年(1989)開館。全国でも珍しい、遺跡と連動した県立のテーマ博物館です。

  斎宮は伊勢神宮を考える上で不可欠な存在である。「幻の宮」と呼ばれたその遺跡が今、現実の中にその姿を現しつつある。そんな平安時代の遺跡と直に接することができて、しかも博物館でその調査成果の展示をも見ることができる所など、滅多にあるものではない。平安京にも平泉にも、このように遺跡と連動した府県立の博物館は、ありません。
 伊勢志摩に来る観光客が、年間800万人ともいわれるのに、この博物館を訪れる人は、ごく少数です。この斎宮に来てもっと歴史にロマンを感じていただきたいと願っています。

  竹の都とよばれた斎宮。それは、天皇に代わり、伊勢神宮の天照大神に仕える斎王の住まう所であった。そこは碁盤の目状に道路が走り、木々が植えられ、伊勢神宮の社殿と同じく清楚な建物が100棟以上も建ち並ぶ整然とした都市で、そこには斎宮寮を運営する官人や斎王に仕える女官、雑用係などあわせて500人以上もの人々が起居し、当時の地方都市としては『遠の朝廷(とおのみかど)』と呼ばれた九州の太宰府に次ぐ規模を持っていたのである。また、斎王を中心とした都市であることから、斎宮では貝合や和歌など都ぶりな遊びが催された。また、都との往来もあり、近隣の国からさまざまな物資が集まるこの地方の文化の拠点でもあったと考えられる。

  斎宮歴史博物館は、日本の古色・梅ネズミ色の外観。エントランスから展示室にかけての天井にはアコヤ貝をスライスした装飾が施されている。
 展示室1では、文字(文物)から斎宮を、展示室2では、もの(発掘品)からわかる斎宮をテーマにしている。展示室1の奥壁には原寸大の斎王の居室を復元。歴代斎王や歴史はパネル展示で。群行の様子もミニチュアで再現されている。展示室2では発掘品を展示。斎宮跡の航空写真からはスケール感が伝わってくる。またCGを駆使して立体的・視覚的にこれまでの研究成果を紹介する。
 大型3面マルチスクリーンによる映像は、3種類ありどれも見逃せない。「今よみがえる幻の宮」では斎宮の誕生から終焉までを幻想的に描く。勅使訪問などの様子は言葉使い、背景の時代考証は忠実に。平安時代の口調はいたくのんびりで、たどたどしい。

  近鉄、斎宮駅のそばに平成8年「いつきのみや歴史体験館」がオープンして、国史跡斎宮跡の案内機能を果たすために、斎宮のあらましや発掘成果のパネル、発掘調査の速報コーナーなどが設けられており、斎宮の歴史や発掘の概要を知ることできます。あわせて、斎宮の最盛期であった平安時代の歴史や文化、技術を実感することができる様々な体験プログラムに参加することができます。
 十二単(じゅうにひとえ)や直衣(のうし)の試着体験を毎日おこなっているほか、天皇や斎王の乗り物であった葱華輦(そうかれん)に乗ってみたり、盤双六(ばんすごろく)や貝覆い(かいおおい)などの古代の遊びに挑戦することができます。

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