松阪市小野江町出身の「松浦武四郎」翁は、北海道の名付け親として、最近、北海道各地で記念碑が建てられるようになってきました。人権や観察眼、健脚、地図作製能力、アイヌの風俗画などで素晴らしい能力を発揮しました。。教科書の片隅にも載っていないことが残念ですが、間宮林蔵をしのぐ偉人といっても過言ではありません。
江戸時代末期の北方探検家の松浦武四郎翁は、アイヌの人達と共に生活しながら探検を続けました。差別心を持たない人権感覚に優れた官僚として、北海道の地名の多くを考え、アイヌ語に漢字を当てはめていった業績は今もなを生き続けています。
晩年は、松前藩の圧力や政府のアイヌ融和政策に反発し、辞任してしまったため、政府からは、あまり良く見られなかったようですが、正義をつらぬいた姿は、素晴らしいと思います。そして、余生は、三重県と奈良県の県境にある「大台ケ原」の開拓をし、登山道をつけたり地図を完成させてりして貢献しました。地元では、大台ケ原に顕彰の登山をされています。
2月27日(日)は、1988年2月に亡くなった、松浦武四郎翁を偲ぶ「武四郎まつり」が、松阪市の松浦武四郎記念館で行われました。当日は、北海道のアイヌの方たちも参加され伝統の民族舞踊を披露していただきました。
松浦武四郎翁は、旅に生きた人生を締めくくるかのように、東京・神田五軒町の住まいをついのすみ家として選び、その東側に、8年の歳月をかけて書斎を設けました。一畳だけで完結した空間はかつてなく「自らの創作である」と自負していたそうです。
写真は、この「武四郎まつり」から公開されることになった書斎「一畳敷」の複製品が、松浦武四郎記念館内におかれたものです。全国巡回展として「松浦武四郎と一畳敷」展を開催していた住宅設備機器大手のINAXに山中光茂・松阪市長が譲渡を要請し、移設が実現したようです。
松浦武四郎翁は、知人に頼み、京都・渡月橋の橋げたや遷宮後の伊勢神宮用材など、有名な寺社仏閣などから91点の材料を集めて造ったという。屋根はススキぶきで、天井には龍の絵が描かれている。一畳の書斎を明治の評論家、内田魯庵は「好事の絶頂」と絶賛したという。
武四郎翁は、は著書「木片勧進」で「後世に残すためではなく、全国各地を歩き、さまざまな人々と交流した思い出のためで、自分が死んだら一畳敷の木材で死体を焼き、骨は大台ケ原に埋めてほしい」と記している。しかし、松浦家は極めて珍しい書斎のため、遺志には従わずに残した。現在は国際基督教大(東京都三鷹市)で国の登録有形文化財として大切に保存されている。
INAXが昨年6月から大阪と名古屋、東京で開いたギャラリーの展示用に造った複製品で、幅1・2メートル、奥行き2メートル、高さ1・8メートル。床の間や障子、天井は本物そっくりに造られています。
松尾芭蕉翁(伊賀市)、本居宣長翁(松阪市)とともに、三重県が生んだ偉人のひとり松浦武四郎翁は、北海道の探検に始まり、全国各地をすみずみまで旅をした人物で、武四郎の歩いた道をつなげば、日本地図ができ上がるとまでいわれたほど、その調査は日本全国に及んでいます。
旧三雲町は、松浦家で代々大切に保存され、寄贈を受けた武四郎ゆかりの資料を展示する博物館として、「松浦武四郎記念館」を、平成6年(1994年)に開館させています。ぜひ、一度探検にお出かけください。
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