熊野古道のシンボル


  熊野古道中辺路にある牛馬童子(ぎゅうばどうじ)は、箸折(はしおり)峠にあり、平安時代の花山法皇の旅姿を偲んで彫られた石仏(明治時代に制作)です。この牛馬童子の石仏は高さ50cmと小さくてかわいらしく、今では中辺路のシンボル的存在となっています。

 法皇の法衣と経を埋め建てられたという「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」もあり、これは鎌倉時代のものと推定されて県指定の文化財です。


  花山法皇が、この先の峠で休憩した時、「昼食の弁当を開いたが箸がついてなかったので、ススキの軸を折って箸にした」、このことから箸折の峠名が付けられたという。 この時、ススキの軸の赤い部分に露がつたうのを見て、「これは血か露か」と尋ねられたので、この地が「近露」(ちかつゆ)という地名になったと言われています。



  事件です。2008年6月18日午後、牛馬童子像の頭部が何者かによって叩かれて壊され、無くなっているのが発見されました。和歌山県警田辺署は、器物損壊の疑いで調べました。事件発覚後、市職員や地元住民ら延べ約330人が捜索を続けたが発見には至らなかったため、頭部を復元することとなり彫刻家の岡村哲伸に復元を依頼し、和歌山県立博物館で展示されているレプリカの牛馬童子像を作った際の型枠を使用して石膏で頭部を復元した後、それを参考に胴体と同じ地元産の砂岩を使って頭部を彫るという手順で復元が行われました。
 同年10月3日、頭部の複製が完成し、胴体にステンレス製のボルトで取り付けられました。
 それから約2年後の2010年8月16日、田辺市内バス停のベンチにて切断された頭部らしきものが発見され、本物と確認されたが、既に復元は完了しているため頭部の取り扱いは検討中のままで本物の頭部は保管されているようです。



熊野古道は、中世、日本最大の霊場であった熊野へと続く信仰の道。
 熊野はあらゆる人々を受け入れる聖地であったがため、日本中のあらゆる階層の人々がこの道を歩きました。
 「蟻の熊野詣」と、蟻が餌と巣の間を行列を作って行き来する様にたとえられるほどに、大勢の人々が列をなして、この道を熊野を目指して歩きました。
 上皇や女院や貴族が歩き、武士や庶民も歩き、盲人やハンセン病者など社会の底辺に生きる人々も極楽往生や現世利益や治癒の奇跡を求めて歩きました。
 さまざまな人々がさまざまな思いを抱いて、さまざまな願いをこめて歩いた祈りの道。それが熊野古道なのです。

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