和歌山県田辺市本宮にある熊野本宮大社は、熊野信仰の中心地です。うっそうとした木々に囲まれた鳥居をくぐると、「熊野大権現」の白い奉納幟が両側にずらりと並び158の石段が続いています。神門をくぐると、檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が向かって左から第一殿・第二殿の相殿(あいどの)、第三殿、第四殿と3棟並んでいます。中央に鎮座する本社の重厚な存在感に圧倒されますが、「証誠殿(しょうじょうでん)」といい、主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみを祀っています。
家都美御子大神という名はのちに付けられたもので、平安初期には熊野坐神(くまのにますかみ)と呼ばれていました。「熊野にいらっしゃる神」ということでとても自然な感じです。
熊野本宮大社は、熊野三山の中心で、日本各地に3000社以上ある熊野神社の総本宮です。
日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みの八咫烏は、三本足の烏で熊野権現の使いとされています。カラスは太陽と強い結びつきを持つ鳥とされる。八咫烏も太陽神(もしくは太陽神の使い)であると考え信仰されているようです。、日本神話で、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏でもある。
明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点の「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありました。
大斎原には12の社殿やいくつかの境内摂末社、神楽殿や能舞台などがあり、現在の本宮大社の8倍の規模を誇っていたようです。
熊野信仰は自然崇拝から生じたものなのでしょう。那智は滝への崇拝から。新宮はその元宮が神倉神社であるとの説を受け入れれば、岩への崇拝から。そして本宮は川に浮かぶ森への崇拝からおこったものでしょうか。
新しい年への願いを込めた漢字1文字を一筆書きする「大筆書き」を九鬼宮司が筆を取り、昨年から始めたものを拝殿に吊るされていました。大筆書きは京都・清水寺の「今年の漢字」が有名ですが、新しい年がこうあってほしいとの願いを1文字に込めて表そうと、始められたそうです。昨年は「笑」でしたが、1年たつとさすがに薄れてきていますね。今年の1文字は「根」です。「根」ついて九鬼宮司は「熊野は根の国。根に足をつけ、しっかり歩んでほしいとの思いで決めた」とおっしゃっています。
雪の降りしきる天候でしたが、古代より熊野詣でをした人たちの思いを感じるとき、人を寄せ付けようとしない険しい山々を越えて命がけで目指した熊野の地は、人の生き方や在り方を感じられ、自然こそ神の姿だということで魂の再生が出来る場所だと信じられていたからなのでしょう。聖地、熊野は、あらゆる人々を受け入れ続けてくれますことを祈っています。
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