松阪もめんのルーツ


  松阪市の東部、斎宮に近いところに、太古の昔から変わらぬ姿であり続ける神の森があります。ここには、伊勢神宮で春と秋に行われる「神御衣祭(かんみそさい)」にそなえられる絹布(和妙・にぎたえ)と麻布(荒妙・あらたえ)を織る二つの機殿神社(はたどのじんじゃ)なんです。

  神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)は、絹布(和妙)を織り、神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)が麻布(荒妙)を織り奉ります。

  5世紀頃、大陸から紡織に優れた一団が移り住み、伊勢神宮の衣縫を担う服部神部(はとりかんべ)として織物地帯を形成していました。この名残は、機殿(はたどの)、御糸(みいと)、服部(はとり)、神部(じんぶ)という地名や苗字にもうかがえます。

  15世紀にインドから木綿が伝わり、松阪地域は雨が多く土壌に水分が多いところであったのと、近くの海で大量にイワシが獲れたのでそれを肥料として、木綿栽培に適した土地となりました。そして16世紀には、古代からの高度な織物技術が融合して「松阪もめん」が生まれました。


  安南(ベトナム)からは、柳条布という柳の葉の葉脈のような細い筋模様で、「千筋(せんすじ)」や「万筋(まんすじ)」などと呼ばれる松阪木綿の最も古典的な柄が伝わり、そこに松阪女性の高度な美意識があわさり独特の縞柄ができたのです

  江戸時代、このあたりで綿織物が多く作られ松阪木綿 伊勢木綿として、江戸をはじめ全国で売られ、松阪商人が活躍する時代を迎えました。

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城跡で薪能


  今年で25回目を迎える「松阪薪能」が松坂城跡の野外ステージで厳かに開催され、1000人近い人たちでにぎわいました。

  午後6時からは、地元で能を愛好されている方が、プロに劣らない素晴らしい演技を見せていただき、多くの観客が釘付けになっていました。


  午後7時に薪への火入れ式が行われ、松阪市の観光まちづくり交流部長の松林さんがあいさつされました。


  「能」をあらわす時にしばしば用いられる「幽玄」という言葉通り、夕暮れの空に半月が輝き城跡に薪が燃える独特の雰囲気に非日常を感じます。

 「奥深くはかりしれない世界」という幽玄を少しは感じることができました。

  演目
狂言「因幡堂」  井上 靖浩/佐藤  融

能「枕慈童」(喜多)  長田  驍  

  気持ち良い風が吹きわたり、じっくりと能舞台を堪能した人たちは満足気に帰路につきました。三重大学へ留学している欧米人15人程も招かれ圧倒された様子でした。


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善福寺会館「町屋」


  松阪市日野町の老舗だった弓矢商店さんを善福寺さんが購入して、今年の夏に「善福寺信徒会館 町屋」がオープンしました。 店先を展示ができるパブリックスペースにしてあるのを利用して<松阪撫子どんな花?祭り>第1回フォトコンテスト受賞者作品展が開催されています(^J^)

  5月に行われた祭りの際に多くの方が、行列や祭りの風景、着物姿や子供たちの様子を写真を撮ってコンテストしたものです。

         店内を改装して町屋の風情を残しています。

   江戸時代から残る蔵やお庭を見ながら作法で行う茶室もあるんです。

 松阪のまちなかには、歴史や文化を感じられるところがたくさんあります。

     防火もかねて古い井戸をリニューアルしています。

  150年ほども建っている蔵も改装しておもてなしができるようなっています。


  弥勒院善福寺(みろくいんぜんふくじ)さんは、真言宗高野山金剛峰寺の末寺で毎年2月の節分には、『星まつり』が行われ、一年間の安全祈願・祈祷・古い人形や御札の炊き上げ、豆まき、餅まき、火渡り等が行なわれる。寺伝によれば、もともと隣接する八雲神社(牛頭天王社)の別当寺だったといいます。

  境内の水かけ不動明王をこれからもっと知っていただこうと思います。

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松浦武四郎とアイヌの人


  今日は、松浦武四郎記念館にお邪魔して、山本学芸員さんからお話を聞くことができました。松浦武四郎翁は、文化15年(1818年)2月6日、松阪市小野江町に松浦家の四男として武四郎は生まれました。父親は干支にちなみ「寅」と関わりの深い竹に、四男の「四」をつけ「竹四郎」と名づけられました。

  好奇心旺盛で、やると決めたらとことんやる性格の武四郎翁は、28歳で蝦夷に渡たり、最初、商人たちの援助を受けましたが、後は、自分で探索に道なき道をアイヌの人達に手伝ってもらいながら合計6回も行い、択捉島にも渡っています。そして見事に北海道の地図を書き上げています。

  航空機や電車,自動車のない時代に,アイヌ民族の協力を得て,歩いて調査をおこなった武四郎翁は,その土地の様子をスケッチし,アイヌ語の地名,地形,動植物,アイヌ文化など見聞きしたことを事細かに記録しています。
一私人として誰から頼まれたわけでもなく,個人の意志で始めた調査であったが,3回の調査を終え,詳細な調査記録をまとめた武四郎のもとには,ロシアとの対外関係の中で蝦夷地に関心を持っていた各地の大名が使いを送り,その記録を写しに来たといいます。

  武四郎翁は,アイヌ民族の若者が次々と漁場へと連れて行かれ,過酷な労働で倒れていく姿を目の当たりにし,幕府に対し,明日の開発はもちろん大事であるが,それよりもまず今日のアイヌ民族の命と文化を救うべきであるという内容を,調査報告書の随所で訴えている。そして,民族と文化を守るためには,まず人びとにアイヌ文化を正しく理解してもらうことが必要であるとし,アイヌ民族の紹介に努めました。


 お話しの中で、現在、松阪木綿がアイヌの民族衣装に好まれよく使われているということに驚きました。江戸時代に粋と言われ江戸中で好まれていた松阪もめんが、北海道から反物での注文がたくんあるようです。

  武四郎翁が目指していた北海道は,アイヌ民族が安心して暮らすことができる大地です。そのためには,江戸時代にアイヌ民族を苦しめていた「場所請負制度」の廃止と商人の排除などを強く訴えたが,商人たちも自分たちの利益を守るために,長官に賄賂を送るなどして抵抗した結果,武四郎翁は疎外され,意見が聞き入れられることはなかった。そればかりか,政府の開拓政策は先住民族であるアイヌの人びとが長く暮らしてきた土地や生活・文化を奪い,民族としての尊厳を傷つけていくことにつながっていきました。

武四郎翁は,長年の功績が認められ国から従五位という位を贈られていましたが,開拓使を半年ほどで辞職するとともに,この従五位を国へと返上している。そこには,政府のアイヌ民族に対する政策への反発とともに,地位や名誉ではなく,アイヌの人びとを守るために力を尽くしたが果たせなかった無念な気持ちでいっぱいだったことと思われます。

松浦武四郎記念館で、蝦夷地であった江戸から明治のしらざる知識をたくさんいただいことに感謝しています。

  今から150年前の江戸時代,武士を頂点とする社会では,すべての人びとが平等ではなく,人権という考え方は多くの人びとの心の中には芽生えていませんでした。

その中で,アイヌ民族の人権を守るために力を尽くした武四郎翁でしたが,ともすれば閉鎖的で同調を強いる社会構造の中で,彼はなぜアイヌ民族の文化を受け入れることができたのでしょうか。その答えは,彼が蝦夷地へ渡るまでの間にあると思われます。

武四郎翁の生家は伊勢参宮街道沿いにあり,小さい頃から多くの旅人を見て,その姿に刺激を受けて育ったいたのです。

そして,若い頃から全国各地を歩き,各地の文化に触れ,学者に出会い,見聞を広めることで,さまざまな考え方,価値観を受け入れることができる広い心をもつ人間へと成長していったのでしょう。

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行燈で送り火


  お盆を迎え各地で盆踊りや灯籠流しなどの行事が行われていますが、松坂城下の御城番屋敷の小路に行燈が並べられ幻想的な雰囲気になっています。

 江戸時代から残る小路は、石畳に整備され風情ある佇まいになっています。

   槇垣に囲まれた武家長屋には、5軒の末裔の方が住まわれています。

      人通りがほとんどなく、静かなお盆の夜となっています。

  全国的に現存例の少ない武士の組屋敷である松阪御城番の住まいは、小路を挟んで主家2棟からなる構成で残されているのは全国でもここだけです。主屋2棟・前庭・畑・南竜神社・土蔵よりなり、周囲に槇垣が巡らされて、江戸時代にタイムスリップします。

  御城番の先祖は、徳川家康に仕えた横須賀党の勇猛な武士団でした。横須賀党は、家康の息子・徳川頼宣のお付きとなり、紀伊の国へ。しかし、和歌山城勤めではなく、南の田辺の勤務となりました。当時、田辺城主は安藤家が務めており、「田辺与力」の名前で安藤家で仕事をしていたそうです。現代社会でいう「出向」ですね。
 安政2年(1855年)に、安藤家の家臣になるよう命令が下された田辺与力らは、徳川家直系でいたいと猛然と抗議しましたが、認められませんでした。そこで、藩士の身分を捨てて浪人になる道を選んだのです。
 仕事を辞めた彼らは、6年にも及ぶ浪人生活という苦渋の間、藩復帰のために様々な活動を続けた後、紀州徳川家の菩提寺である長保寺の住職・海弁僧正の支援により、松阪城の御城番として藩に復帰することとなりました。こうして御城番屋敷が建設されたのです。

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