参宮街道 妻入り格子戸の町屋


 松阪市市場庄は、妻入町屋がほとんどで、参宮街道沿いに20軒近く残っています。妻入町屋は軒を道に直交させ、道側に主要な出入り口を設けたものです。これは、伊勢神宮内宮前のおはらい町の家々と同じタイプです。しかし、隣接する六軒や松阪の家並みは妻入ではなく、反対の平入りということなので、市場庄だけが独立していることになります。
 格子戸は古くは明和年間(1764?1772)、新しいものでは大正初期という。お盆と正月前になると、各家のお嫁さんらが一本ずつせっせと拭いて磨き上げています。これは、女性たちが伝えてきた習慣です。

  いちのや(宇野家住宅)は、大正三年(1914)に宇野家の別宅として建てられたもので、建物は切妻造り妻入り形式で、そこに庇屋根を付け、通りに面した側には大きな出格子を付けている。 内部は、北側に店、中間、仏間、屋敷が一列に並んでいる。 明治以前のこの地区の町屋で見られる摺り上げ戸から出格子戸への過渡期の建物である。 この変化は宿場町から農村集落へと市場庄町が性格を変えてきた明治中期から大正初期ともほぼ一致している。

  切妻造り、連子格子に出格子、雁木のある家「いちのや」は、市民グループの「格子戸の会」が市からの援助で管理・運営してきました。松阪市は、個人所有物の維持に公費を出すことが、問題視されるようになったため、所有者との契約の打ち切りを決めました。会では、存続を望んでいますが、3月の期限切れが迫ってきています。

  市場庄は、もともと零細な農村に過ぎなかったようで、往来の増加で次第に商業町的な意味合いを帯びていったものと思われる。参宮者の土産物屋や旅装束を商う店が並んでいたといわれ、背後に畑地や田地を持ち農業で生計を立てながらも、旅人相手の商売が盛んに行われていったのだろう。「市場文楽」などともてはやされた娯楽や浄瑠璃なども上演されたといい、旅の者のみならず近隣住民にも魅力的なところだったらしい。
 参宮街道に沿い線状に続く町並は、隣との取合いに適度な余裕があって、都市型の町並のようにぎすぎすした感じでないのも、もともとは農村集落だったことを感じさせます。
 ぞうりや、石安、磯八、かご兵…、軒には屋号を記した木札がかかっています。町づくりグループ・格子戸の会が調査し、制作したものです。屋号は職業・出身地・先祖の名などにちなんでつけられ、専業農家にはありません。例えば、仙台屋さんは仙台出身で、お伊勢参りに来て、そのまま市場庄の娘と結婚し住まうようになったという。屋号を見て歩くと、家々から歴史を醸し出しているように感じます。

  街道沿いにある「忘井之道」の道標を少し行くと、忘れ井と山神が祀られています。「忘れ井」は、斎王といわれる鳥羽天皇の、(1100年代)皇女(恂子内親王)が斎王として伊勢の斎宮に向かう途中この井戸に水を求めよった際、甲斐という女官が詠んだ「別れ行く都の方の恋しきに いざ結びみむ忘れ井の水」という詩から「忘井」の名が付いたとされている。
 水に写った自分の顔をみて、都への思いを断ち切らなければとの、おもいで詠まれたようです。


  斎王の群行(ぐんこう)に加わり、京の都に別れていきますが、都の方が恋しくてなりません。「忘井の水(わすれいのみず)」を飲めばきっと都のことを忘れるかもしれません。さあ、「忘井の水」を手で掬って(すくって)飲みましょう・・・・
 一見、華やかな群行ではあっても、斎王の胸中には、神に仕えることの晴れがましさよりも、住み慣れた都や親しい人々との別れの悲しさが強かったかもしれない。斎王だけでなく、それに従う女官ともなれば、その想いはいっそう募ったことなのでしょう。

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纏向遺跡の古墳群


  大和盆地東南部の三輪山山麓には、巨大な前方後円墳群があります。それらは日本で最初の統一政権、大和朝廷の有力者の墓として築かれたものですが、山の辺の道に沿って行燈山古墳(崇神天皇陵)、渋谷向山古墳(景行天皇陵)、箸墓などが1?2キロの間隔で並んでいます。
 これらの古墳群のなかでも最古の前方後円墳とされる箸墓(はしはか)のある纏向(まきむく)遺跡には、さらに古い古墳群があります。石塚や矢塚など弥生の墳丘墓と呼ばれるものですが、これらの墳墓群もすでに前方後円形をしています。「ホタテ貝型」と呼ばれる墳墓です。
 また、箸墓のすぐそばには、箸墓と同時期に作られたとされるホケノ山古墳もあります。これはすでに前方後円墳の形をしています。つまり、纏向遺跡では、いくつかの大きな弥生の墳丘墓が築造されたあと、箸墓という最初の巨大な墓が出現します。

  卑弥呼の墓と目される箸墓は、初期大和朝廷の創始者、崇神天皇の古墳よりも前に造られています。
 『日本書紀』によると、箸墓は倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)の墓とされています。 倭迹迹日百襲姫は、大和朝廷の初代崇神天皇のそばに仕える巫女のような存在、と『日本書紀』には描かれています。何か予言の能力のようなものを持っていたようです。
  倭迹迹日百襲姫は、大物主神の妻となったが、大物主神は夜しか訪れないため、姿をはっきりと見ることができなかった。
 そこで、姫は朝までいて姿を見せて欲しいと懇願すると、妻の願いを聞き入れた神は、「明日の朝、櫛箱の中にいる。自分の姿を見ても決して驚くな」という。
 翌朝、櫛箱の中にいたのは、下紐ほどの小さくて美しい蛇であった。姫は驚いて声を上げてしまう。
 大物主神は、恥じて人の姿に戻り、姫を恨んで「おまえにも恥をかかせてやる」といって、空へ上って三輪山へ帰ってしまった。
 姫は後悔して座り込んだところ、箸が陰部に刺さって死んでしまった。そこから箸墓という名がついたようです。
 この女性が、『魏志倭人伝』が伝える卑弥呼の巫女(シャーマン)的な姿と重なるのは事実です。「昼は人が造り、夜は神が造った」と伝説がいうとおり、箸墓古墳は、十分な存在感と神秘性をもっています。


  箸墓古墳は、全長276mの前方後円墳で、大きさでは全国で11番目、奈良県下では3番目の規模の大きな古墳であります。
  前方部が撥(ばち)形に開く墳形を持ち、一般の円筒埴輪が見られず、特殊器台形埴輪・特殊壺形土器を持つなど最古式の古墳の特徴を持つ。 
  北緯34度32分の太陽の道は、箸墓古墳の中心を通って東西に繋がっていて、古代から太陽信仰の跡となっているものです。また、太陽の道に沿っては、日置・弊岐・戸岐・戸木・部木・引・疋・曳など、「ひき」又は「へき」と呼ばれる太陽と関係のある地名が多いということです。


  纏向石塚古墳は、古墳時代前期初頭の3世紀前半頃のもので日本最古の前方後円墳とされています。
  前方後円墳、全長96m、前方部長約32m・巾約34m、くびれ部巾約12.8m、周濠巾約20m、葺石・埴輪無。埋葬部詳細不明ですが、石材未確認なので木槨または木棺直葬と推定されます。周濠から弧紋円盤・鶏形木製品・鋤・鍬・横槌・水槽・建築部材等木製品が出土。
 弧紋円盤は、吉備地方にルーツをもつとされる、直線と曲線の組み合わせ紋様を持つ、木製の埴輪です。

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天照大神の神人分離


  崇神天皇6年(紀元前92年)、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。これを神人分離という。
 天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせ、その後各地を移動したが、垂仁天皇25年(紀元前5年)に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。倭大国魂神を渟名城入媛命に託し、長岡岬に祀らせたが(現在の大和神社の初め)、媛は身体が痩せ細って祀ることが出来なかった。
 崇神天皇7年(紀元前91年)2月、大物主神、倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣する。11月、大田田根子(大物主神の子とも子孫ともいう)を大物主神を祭る神主とし(これは現在の大神神社に相当し、三輪山を御神体としている)、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、疫病は終息し、五穀豊穣となりました。

  第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿(どうしょうきょうでん)」にお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎王)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててお祀りされました。その神蹟は実にこの檜原の地であり、大御神の伊勢御遷幸ののちもその御蹟を尊崇し、檜原神社として天照大神を引続きお祀りしてきました。そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。

  大神神社の摂社「檜原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。

  檜原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。
  三輪山がご神体ですから三ツ鳥居があるだけで、本殿は持っていません。

  大和では、三輪山が聖なる山とされていて、ここは、「太陽の道」といわれる北緯34度32分のライン上にいくつかの山や神社、寺、遺跡などが存在するところを春分の日と秋分の日に真上を太陽が通ることから太陽信仰の象徴と言えるでしょう。檜原神社もこのライン上にあります。
  東は、伊勢湾の入り口にある「神島」でここから太陽が昇るとされ、斎王宮を通り、堀坂山から美杉、室生寺、長谷寺を経て三輪山、檜原神社と来て、卑弥呼の墓といわれている箸墓古墳を通り西へ、二上山そして日本武尊が白鳥になって飛んで行ったといわれる「大鳥神社」から淡路島の伊勢の森までが太陽の道と呼ばれているところです。

  「三輪山」を中心にして、真東に103キロ行ったところに神島があり、真西に80キロ行ったところが淡路島北淡町の伊勢の森。この伊勢(遠いところという意味)を結ぶ北緯34度32分の上に、ほぼ3キロの等間隔に神社(それも天神を祭った神社)や遺跡(巨石)が並ぶといいいます。天神を祭るということは、太陽信仰ということ。真東は陽が昇り、真西は陽が沈む。つまり、産まれる所と死ぬところの象徴です。

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日本最古の神社


   奈良県桜井にある大神神社(おおみわじんじゃ)は、背後にある三輪山をご神体とする、御神殿を持たない日本古来の神道の形式を今に伝えています。神話にも登場し、大和朝廷の設立から存在しているので、「日本最古の神社」と呼ばれる歴史ある神社です。高さ32mの大鳥居が一の鳥居です。

  二の鳥居をくぐると、両側に杉や椎、樫、ケヤキの巨木が並ぶ参道が続く。参道の左側を御祓川が流れていて、涼しげなせせらぎの音が聞こえてくる。御祓川にかかる小さな木の橋を渡り、緩やかな石段を上るとすぐ左に手水舎があり、正面の石段の上に太い〆柱が建っている。

  〆柱から拝殿と巳の神杉を見ています。鳥居が独特で、2本の柱(標柱)の大注連縄がわたしてあります。最も大神神社らしい光景です。


  大神神社の「拝殿」は、寛文4年(1664)に徳川4代将軍家綱によって造営された。切妻造りで、正面に唐破風がつけてあり荘重な外観を呈している。中央部分の床が一段低い割拝殿形式になっている。江戸時代を代表する堂々とした建物で、重要文化財に指定されている。



  拝殿前には、斎庭の右側に玉垣で囲まれた二股の老杉がある。白蛇出現の信仰の対象とされている神木で、「巳の神杉」と呼ばれている。蛇の好物の卵と、御神酒がいつも備えられている。江戸時代には「雨降りの杉」と呼ばれていた記録がある。雨乞いのとき里の人々が集まり、この杉にお詣りをしていた。この老杉の根方にポッコリと穴があいており、そこに棲みついた蛇が御祭神の化身と畏敬され、いつの頃からか「巳の神杉」と呼ばれるようになったという。現在、杉の木の穴には長さ2mを越える青大将が数匹棲みついているそうです。

  三輪山には、神の御座である磐座として三カ所の巨石群が存在する。大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が鎮まる奥津(おきつ)磐座、大己貴神(おおなむちのかみ)が鎮まる中津(なかつ)磐座、少彦名神(すくなひこなのかみ)が鎮まる辺津(へつ)磐座である。参拝者は拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して、これらの磐座を拝んでいるのであり、原初の神祀りの様が今に踏襲されている。


  参道左側に「夫婦岩」があります。これは、昔大和にそろって長命であった夫婦の古跡であるという。この岩に祈れば縁結び、夫婦円満、子宝に恵まれるといわれているようです。

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宝恵駕籠道中行列


  松阪の初午大祭の最終日は、好天に恵まれ多くの人出でにぎわいました。午後3時に宝恵駕籠(ほえかご)道中行列が、八雲神社を出発しました。
  明治時代に始まったという伝統がありますが、第二次大戦の混乱から60年ほど途絶えていました。一昨年に念願の復活をして行列として3年目を迎えました。


  19歳の厄年の女性は、華やかな振り袖姿で神輿のようにかつがれて道中を往きました。また、七五三の子供の着物姿がとてもかわいらしく行列に参加していました。

  33歳の厄年の女性の籠を担ぐA先輩が、とても楽しそうですね。沿道で声援を送ってくださる方がとても多くいて、参加している人も見ている人も行列を楽しんでいるのが印象的です。

  山中松阪市長とゆるキャラ”ちゃちゃも”が、にこにこ沿道の人たちに愛想を振りまいていました。市長曰く、ちゃちゃもは低年層向けに、自分は、高年齢向けに手を振ったり、握手をしたそうです。市長のターゲットは、20歳以上なんでしょうね。

  出発から1時間半かけて、岡寺山継松寺に到着しました。

  本堂前で記念写真とセレモニーが行われ無事に宝恵駕籠道中行列は、終えることができました。「家族の絆」をテーマに赤ちゃんからおばあちゃんまでたくさんの方が参加されました。これからも皆さんが絆を深め合い、大切にしていただけることを願っています。


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