吉野山から大峯山は、古代から山岳信仰の聖地であり、平安時代以降は霊場として多くの参詣人を集めてきた所です。吉野・大峯の霊場は、和歌山県の高野山と熊野三山、及びこれら霊場同士を結ぶ巡礼路とともに世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」になっています。
金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野町にある金峰山修験本宗(修験道)の本山で、本尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小角(えんのおづぬ)または役行者(えんのぎょうじゃ)と伝えられています。
古くから山岳信仰の霊地とされ、神道・仏教・道教などが習合した宗教「修験道」の聖地となりました。役行者が創立した修験道の根本寺院として重要な役割を果たしてきました。
金峯山寺および大峯山寺の本尊であり、中心的な信仰対象となっているのは、蔵王権現という、仏教の仏とも神道の神ともつかない、独特の尊格です。金峯山寺の本尊は3体の蔵王権現で、その像容は、火焔を背負い、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開いて忿怒の相を表し、片足を高く上げて虚空を踏むものです。インドや中国起源ではない、日本独自の尊像であり、密教彫像などの影響を受けて、日本で独自に創造されたものと考えられ、修験道の伝承では、蔵王権現は役行者が金峯山での修行の際に感得した(祈りによって出現させた)ものとされています。
明治になり1868年の「神仏分離令」によって、吉野山の神仏習合の信仰は禁止され、1872年には「修験道廃止令」も発布されたため、金峯山寺も一時は廃寺に追い込まれましたが、1886年(明治19年)には「天台宗修験派」として修験道の再興が許され、金峯山寺は寺院として存続できることになりました。ただし、大峯山上の蔵王堂は「大峯山寺」として、金峯山寺とは分離され無事に復活して現在に至っています。
仁王門(国宝)は、本堂(蔵王堂)の北側に位置する入母屋造、本瓦葺きの二重門(二重門とは2階建て門で、1階と2階の境目にも屋根の出をつくるものを指す)。軒先に吊るしていた風鐸(ふうたく)の銘から室町時代の康正2年(1456年)の再興とわかります。
本堂が南を正面とするのに対し、仁王門は北を正面とし、互いに背を向けるように建っている。これは、熊野から吉野へ(南から北へ)向かう巡礼者と吉野から熊野へ(北から南へ)向かう巡礼者の双方に配慮したためといわれています。
仁王門の「阿形像」。像高約5.5mもある巨像で、室町時代の仏師・康成の作とされています
仁王門の「吽形像」。年月を感じますが、力強さは全く失われていません!
金峯山寺の3躯の蔵王権現立像にお会いできるのは、特別御開帳の時です。
三尊は、その昔、金峯山寺を開いた役行者が世の乱れを憂いて、衆中を救済する仏の出現を祈ったところ、過去・現在・未来の三世を救済するために、本地仏である釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩が現れたのだそうです。しかし、ありとあらゆる悪行がはびこり、仏をも恐れぬ悪人が増えた時代にあって、本来の仏の姿で登場するのではなく、悪を調伏させるためにこのような憤怒の形相に姿を変えている(権化した)のだとか。
普段は優しい表情のお釈迦さまが、こんな厳しい姿に変化したのかと思うと、ちょっとビックリな感じがします。
そんな蔵王権現さまたちと対面していると、本当に身がすくむような圧倒的な力が感じられました。仏像としての造りも見事なものですし、彩色も本当に美しく残っていて、思わず見とれてしまいますが、決して穏やかに癒されるような雰囲気ではなのですが、自然と背筋が伸びパワーをチャージされるようです。
特別ご開帳の期間中には、蔵王堂の裏手にある非公開のお堂「本地堂」にもお参りさせていただけます。2000年に建てられたまだ新しい堂宇ですが、蔵王堂の本尊3体の本地仏である、釈迦如来(過去)・千手観音(現在)・弥勒菩薩(未来)の三世仏が祀られていますので、とても暖かい感じのするところでした。
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