前日までの猛暑が和らぎ、夕方にわか雨に打たれましたが、松阪祇園まつりの宵宮に壮大に繰り広げられる三社みこしが威勢よく行われました!
夕方からの人出が多くて、日野町交差点が家族やグループで賑いました。
浴衣姿の方が多かったように思います!夏祭りらしさがとても感じられます。
駅からの人出が多くてゆっくりしかなかなか前へ進みません(>_<)
夜の神輿は、「チョーサヤ」の掛け声と激しい練り込みに見ている人たちが魅了されました! まじかで見れて迫力を感じます。
三社みこしは、平成元年に復活され活況を見れるようになりました! 八雲神社、松阪神社、御厨神社の三社に加え、子若みこしや地域の子供会のみこしも街中を練り歩きます。
八雲神社は、江戸期からのみこしを今年で退役させ、新しく今年作られた平成みこしを登場させました! ピカピカで気持ちいですね。
祇園祭りが終わると夏越祭を迎える八雲神社。
各町内でも人が集まって當家(頭屋)でスサノオウ様をお祀りしています。
松阪祇園まつり
みくもの七夕笹飾り
毎年、7月7日の七夕の日に雲出川にかかる雲出橋を通行止めにして、笹を飾り、近所からも笹を持ってきて差していくことができます。
近くにある星合神社の宮司さんが、お祓いをして笹をお祀りされます。
たくさんのお願いが天に届きますよう、お祈りをしていただきます。
家族連れで橋上に並べられた笹の葉の飾りを巡っていきます。
地元の保育園や幼稚園で飾られていた笹も並べられ、園児とその家族が自分の書いた短冊を探して歓声を上げます。
自分の書いた短冊の前で、記念撮影をする姿が微笑ましい夏の祭典!
短冊だけでなく、いろんな飾りが吊るされていて、楽しいですね。
青山高原に沈む夕日が雲出川に映って美しい!
空と川が赤く燃える夕焼けに見とれてしまいます。
近くの小野江神社でも七夕のイルミネーションが行われ幻想的な雰囲気。
茅の輪くぐりで無病息災をお祈り!
新上屋跡の石碑
松阪駅前の日野町交差点にあるカリヨンビルは、松阪の一夜といわれる歴史スポットです。ここに新上屋跡の石碑が昭和43年に当時の吉田市長が誕生した後、ここに新上屋跡石碑が設置されました!
江戸時代の1763年の5月25日(新暦で今年は7月3日)に本居宣長と賀茂真淵が1回だけあった場所が、新上屋という参宮街道にあった旅篭でした!
カリヨンビルには、市民活動センターや松阪プラザも入る複合ビルりですが、江戸時代のこの界隈は、参宮街道と和歌山街道との分岐点があり本陣・美濃屋や馬問屋を始め旅宿が何軒もあってにぎやかなところでした。
宝暦13年(1763)5月25日、本居宣長は、松阪に宿泊していた賀茂真淵を訪ねて、彼の『古事記』研究の意志を励まされ、自らの学問の全てを教示してもらうことを約束してもらった夜のことを‘松阪の一夜‘といいます。
ビル建て替えのため、本居宣長記念館に長年保存されていた石碑が、元の場所に移転され除幕式が行われました。
山中市長をはじめ、多くの関係者が参加して無事に式典が行われました。
本居宣長記念館の吉田館長が、宣長さんと賀茂真淵さんのお話をしてされました。
宣長さんが賀茂真淵に「先生は『万葉集』しか研究なさらないのですか。私は『古事記』を読もうと思います。いかがでしょうか」と尋ねると、真淵先生は、「よいことに気づかれた。私は『万葉集』だけで一生が終わるが、あなたは若い。まず、『古事記』を読むためにも『万葉集』を勉強しなさい。学問は基礎が大事。低いところを経て高きに登れるのです。」と言われたことが残っています。
7月朔日餅「竹流し」
伊勢では、毎月一日に普段より早く起きて、神宮へお参りする「朔日参り」というならわしが残っています。無事に過ごせた一ヶ月を感謝し、また新しい月の無事を願ってお祈りします。
赤福本店では、お参りにこられた方のおもてなしに、朔日餅を販売されていて、七月は、赤福の餡で特製した水ようかんを青竹に流し込み、笹の葉でふたをして、名づけて「竹流し」です。
12回の朔日餅の中で一番人気のある逸品の一つです。
よく冷やして食べると、自然の涼味が味わえるのが嬉しいですね。
むかしは、夏祭や縁日でよくみかけたもので、青竹を口にしたなつかしい思い出がある方もいらっしゃいます。竹流しには、玄米茶でさっぱりとした味と、のどごしが楽しめます。
赤福本店には、早朝から大勢の方が訪れいくつも買っていかれる姿が見られます。8時には売り切れとなっていました。
神宮は、一年を通じて朝5時にはお参りができます。赤福本店も同じように開店しているのが素晴らしいです。
松坂の大橋
旧参宮街道、坂内川にかかる橋が大橋といわれ、江戸時代には多くの人がここを渡って伊勢神宮へと向かいました。
朱色の欄干に擬宝珠が付いた橋は、松阪では見かけない珍しい姿です。
本居宣長の『日記』によれば、寛政4年(1792)に改修され渡り初めがあったそうで、その頃はまだ擬宝珠がありませんでした。擬宝珠が付いたのは文政9年(1826)だそうです。
橋を渡ると江戸時代の豪商のが軒を連ねた中町に入ります。
大橋を渡るとすぐ左に紙商として栄え、床下に万両箱が埋められていた小津清左衛門の御屋敷でした!現在、「松阪商人の館」として公開されています。
今は、人通りが少なく、車がよく通るところになりしたが、昔は、大勢の人が行きかいにぎやかだったんです。
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