「熊野にいらっしゃる神」ということで平安時代には熊野坐神(くまのにますかみ)と呼ばれていた熊野本宮大社は、熊野信仰の中心で、日本各地に3000社以上ある熊野神社の総本宮です。
鳥居をくぐり158の石段を登り、神門をくぐると、檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が向かって左から第一殿・第二殿の相殿(あいどの)、第三殿、第四殿と3棟並んでいます。中央に鎮座するのが、「証誠殿(しょうじょうでん)」といい、主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみを祀っています。
明治元年(1868年)の神仏分離令以前の熊野では神仏は習合していて、6世紀に伝来された仏教が次第に神道と融和していったので、平安時代後期には本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想が浸透していきました。
神の本体は仏であるという考えから、熊野本宮の主神の家都美御子神は阿弥陀如来、那智の牟須美神は千手観音、新宮の速玉神は薬師如来を本地とするとされ、本宮は西方極楽浄土、那智は南方補陀落(ふだらく)浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土の地であると考えられ、熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。
宮司によって毎年書かれる一文字が今年は「挑」です。その前に日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みの八咫烏の像がありますが、八咫烏は、三本足の烏で熊野権現の使いとされています。カラスは太陽と強い結びつきを持つ鳥とされる。八咫烏も太陽神(もしくは太陽神の使い)であると考え信仰されているようです。、日本神話で、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏です。
平安時代に後白河上皇34回、鎌倉時代に入って、御鳥羽上皇が28回も熊野詣をした記録がありますが、皇族や貴族などの上流階級のものであった熊野信仰を一遍上人をはじめとする時衆の念仏聖たちは熊野の勧進権を独占し熊野詣を庶民にまで広め、熊野信仰をもりたてていきました。それにより室町時代には、有名な老若男女庶民による「蟻の熊野詣」状態が生み出されたのです。
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