西国三十三所の寺院の中で、最も大きい本堂を有するのを初め、千手堂・大門・中門の4棟が国の重要文化財に指定されている粉河寺。
粉河寺は、宝亀元年(770)の創建で、西国第3番札所で、鳥羽僧正による「粉河寺縁起絵巻」(国宝)が残されていて、観世音の化身がもともとここに霊地を開いたとされています。
入母屋造で本瓦葺きの楼門は、左右の間に四天王像を安置する中門。
棟札によれば明和(1764 – 1772年)頃から長い年月をかけて天保3年(1832年)に完成した立派な門です。
「風猛山」の扁額は、紀州十代藩主徳川治宝の力強い筆で書かれています。
粉河寺の栄華は、天正13年(1585年)の豊臣秀吉が紀州に攻め入ったことから、全山焼失しました。根来寺や雑賀衆とともに抵抗したものの粉河寺縁起絵巻が焼損したり、その後の正徳3年(1713年)にも火災があったりで、現在の伽藍はほとんどが江戸時代中期以降の再建です。
粉河寺の復興には、江戸時代に入ってきた紀州徳川家の歴代藩主の尽力がありました。
境内奥にある十禅律院は、平安時代の正暦元年(990年)石崇上人によって創建され粉河寺の塔頭十禅院でしたが、 江戸時代後期の寛政12年(1800年)、紀州藩10代藩主徳川治宝により十禅院を安楽律院に属する天台宗の寺院に改宗されました。紀州徳川家と深い結びつきのあった地域なんです。
本堂の裏手には、粉河産土神社「こかわうぶすなじんじゃ」の階段があり、登っていくと本殿があります。
粉河寺を創始する770年に近隣各村の氏神を勧請して祀るのに始まり、現在は粉河郷の総社となっています。主祭神は、丹生津比賣命 天忍穂耳命で、配祀神が大伴孔子古命 大伴船主命です。
紀州三大祭の一つである粉河祭がこちらの神社の祭礼なので、その山車の写真が飾られていたり、この時期、江戸、明治、大正、昭和、平成の雛段が飾られて違いを見ることができます。また、立派な孔雀が住んでいたりもします。
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