「はにわ館」に船形埴輪


  松阪市文化財センターで、市民ギャラリーにされている建物は大正14年に建設された旧カネボウ綿糸松阪工場の赤レンガ積みの綿糸倉庫を保存・改修したもので、平成14年には貴重な近代化遺産のひとつとして国の登録有形文化財に登録されました。

  宝塚古墳で出土した多数の埴輪は、国の有形登録文化財松阪市外五曲町にある松阪市文化財センターに平成15年にオープンした「はにわ館」の第1展示室で常設展示しています。第2展示室では特別展や企画展を随時開催します。

  現在、常設展では、「伊勢の王墓 宝塚古墳の謎」として、国の重要文化財に指定されている宝塚古墳から出たはにわを展示しています。



  船形埴輪は、全長140センチメートル、高さ90センチメートルとそれまでに発見された中では日本最大であると同時に独特の装飾がなされていたため、とても貴重なものとなりました。大刀(たち)・威杖(いじょう)・蓋(きぬがさ)をかたどった立ち飾りをもつ他に例がないものです。

  船の埴輪は、二つの円筒台にしっかりはめられ固定されていて、太刀や蓋も船の中に開けられた小さい穴に差し込まれています。真ん中にある穴には、木か布で旗が差してあったと思われますが、長い年月で土に帰ってしまったのでしょうか。とにかく5世紀頃の埴輪では特別手の込んだものになっています。




古代ロマンを感じることができる「はにわ館」でヒーリングタイムをお過ごしください。

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宝塚古墳の船形埴輪


  松阪市街から南に3キロほどの宝塚町から光町にかけての「ごけ山」の丘陵地の西から東へ伸びる山の尾根を利用して築造した古墳が、伊勢地方最大の前方後円墳である宝塚古墳です。3年ほど前から整備が進められ、宝塚古墳公園となり、古代ロマンを感じられる市民の憩いの場になりました。

  宝塚古墳は、二つの形の違う古墳があります。昭和7年に二つともに国指定史跡になっていましたが、詳しい調査は、平成11年6月から約半年かけて、古墳の保存整備事業として、松阪市と松阪市教育委員会を調査主体とした発掘調査が実施されました。その調査でともに5世紀はじめ頃の築造と判明して、1号墳は前方後円墳、2号墳は帆立貝式前方後円墳です。


  1号墳は、後円部前方部ともに3段築成で全長111m、後円部経約45m、後円部高7.8m、前方部幅約54m、前方部長約41m、前方部高 4.8mを測る伊勢地方最大の古墳です。

  宝塚古墳の最大の特徴は、前方部と後円部のくびれ部分に大きな方形の2段構造になった「造出し」(祭祀場と考えられている)があり、墳丘と土の陸橋で結ばれているのです。大きさは東西18m、南北16mです。この上部や周囲に船形、囲み形、家形、壺形などの埴輪が、ほぼ据えられた状態のままで並べられていました。


  埴輪の出土量が多いことでも貴重な古墳ですが、国宝級といわれるのが船の形をしたもので、この船形埴輪は、これまで近畿地方他から出土した埴輪に比べて極めて良好な遺存状態にあるため、今まで判明しなかった大型準構造船の構造は元より、琴柱形や蓋形埴輪などの威儀具とともに出土したことで、船形埴輪の持つ意味についても多くが明らかになったようです。
 船形埴輪は、軍事力の象徴だけでなく、葬送儀礼にも首長の権威を示し、黄泉の国までその権威が及ぶようにと考えられていたようです。
 ヤマトから離れたこの松阪でどれほどの権威を持った人がいて、この古墳が作られたのか、古代ロマンを感じます。


  一番高いところで、40mほどあります。そこからは、伊勢湾や松阪城跡の四五百森(よいほのもり)そして堀坂山が見える景色がいいところです。古墳の造り出しの周りにある埴輪は、市民の方々が作って焼いたものが並べられ、古代ロマンをより実感できます。

  公園内の桜が花を開きました。1500年の古代から草木や花は、変わらず春を告げてきたのでしょう。天気のいい日には、お弁当を持って散策に出かけたいところの一つです。

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松浦武四郎の生家


   松浦武四郎翁は、文化15年(1818年)2月6日、松阪市小野江町に松浦家の四男として武四郎は生まれました。父親は干支にちなみ「寅」と関わりの深い竹に、四男の「四」をつけ「武四郎」と名づけたといわれています。
 家の前には、旧参宮街道が通っていました。四日市の日永で東海道と分岐して伊勢神宮まで続く道で、多くの旅人たちが行き交いました。
 武四郎翁が、12歳の頃「文政のおかげ参り」というのが大流行します。全国各地から伊勢神宮へお参りする人々が、一年間に400?500万人もいたといわれていて、武四郎翁の家のあたりにも、宿屋さんがたくさんあり、「名所図会」で読んだいろいろな土地からやってくる旅の人たちを見て、武四郎は旅に出たいという気持ちを強めていきました。

  武四郎翁は、16歳で江戸へ初めて一人旅をします。ここから日本全国を歩いて巡っていくのでした。好奇心旺盛で、やると決めたらとことんやる性格のようで、近畿?四国?九州?山陽、山陰?北陸?東北へと歩いて歩いていきましたが、普通なら一日40キロがやっとといわれる当時の旅を、武四郎翁は小柄な体格にも関わらず60キロも歩いたといいます。全国各地をまわりながら、霊山と呼ばれ山々を登っています。江戸では水野忠邦の屋敷で奉公したり、また長崎では髪の毛を剃ってお坊さんになり、名前も「文桂」と改めました。
 そして26歳のとき10年ぶりに帰郷しますが、すでに父母は亡くなっていました。

  長崎にいたころ、日本の北のあたりにロシアの船が接近しているという話を聞いたことが、武四郎翁の人生に大きな転換をもたらしました。この頃、アジアにはアメリカやヨーロッパの国々が進出し、植民地を拡大していましたが、このままでは日本もロシアに奪われてしまうという思いにかられた武四郎翁は、まだどんなところかよくわかっていなかった蝦夷地(今の北海道)に行って、自分の目で確かめようと一大決心を固めたのでした。このとき弘化元年(1843年)、26歳。しかしその決意が実を結んだのは2年後のことでした。

  蝦夷に渡った武四郎翁は、商人たちの援助を受けましたが、後は、自分で探索に道なき道をアイヌの人達に手伝ってもらいながら合計6回も行い、択捉島にも渡っています。そして見事に北海道の地図を書き上げています。
 北海道では小学校のとき必ず松浦武四郎翁を授業で習うのでみんな知っているそうです。道内に武四郎翁の碑が大小54か所もあり、江差には武四郎翁を祀る神社もあるようです。一度お参りに行ってみたいものです。

  松浦武四郎記念館の玄関の床に武四郎翁が作成した地図があります。

  7年前には、生家が破産管理人の管理下に置かれていて、競売にかけられることになりましたが、松阪市が史跡指定地として約1550万円で購入し、武四郎翁ゆかりの主屋と離れのほか、土蔵2棟を改修し公開することになりました。
 文化財は一度壊してしまうと二度と再現が出来ませんから、今後も大切に保存して、顕彰していきましょう。

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春谷寺エドヒガン桜が満開


  松阪市飯南町向粥見にある春谷寺の桜は、毎年、松阪で一番早く満開になる樹齢推定400年の古木です。地元保存会により大切に保護され、花の数は多くないですが、可憐なピンク色の美しい花を咲かせます。

  今朝は、冷え込みが厳しくて、陽があたっていなくて光に映えていませんが、静けさの中に威厳を感じました。

  いつもは、お彼岸の頃には咲くので「青春桜」といわれているようです。


  山里に毎年咲く桜は、日本人の優しさと強さを見せてくれているようです。


  お寺なので、お墓も並んでいます。境内や川沿いに山のほうまで桜や桃の花が綺麗に咲いていてとても華やかなロケーションです。


  伊勢茶の産地の飯南には、茶畑が広がっています。朝日にまぶしい緑がとても清々しく、局ヶ岳の稜線がくっきり見えて気持ちいい朝です。もうすぐ新茶の季節ですが、今年は寒い朝が続いているので霜に影響されない極上の深蒸煎茶がいただけることを期待しています。

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本居宣長 鈴屋


  「松阪の一夜」として知られる宝暦13年(1763)、本居宣長翁は、松阪市日野町の旅館「新上屋」に宿泊中の尊敬していた賀茂真淵との対面を遂げることができました。そこで真淵に古事記研究の志を告げ、真淵もこれを激励してくれ、同年末に宣長は真淵に入門しています。
 翌明和元年(1764)、宣長35歳のときに古事記の研究に着手し、35年の歳月をかけて、寛政10年(1798)69歳で全44巻の「古事記伝」を完成させています。古事記伝は古事記の精密な解釈の書で、古代史研究の大成として、かつてだれもなし得なかった独創的な研究といえます。そんな中、宣長さんは、天明2年(1782)53歳のときに2階の物置を改造し、四畳半の簡素な書斎をつくっています。この小さな部屋が「鈴屋」で、宣長は研究に疲れると36個の小鈴を連ねた柱掛鈴を振って、その音を楽しみ癒されていました。


  本居宣長翁は、本当に日本らしい文化とは何かを考えていたようです。仏教や漢文学、蘭学などは、海外から来たもので日本古来からの伝統あるものを伝えるのは、「源氏物語」以前の書物であると確信していました。
  古事記の研究を始めるにあたって、最初の文字「天地」をどのように発音していたかが非常に大切なことで、読み方によって意味が全然違うと考えた。この最初の文字の解釈だけで数年も費やしたということです。

  宣長さんは、自分で6個の小鈴を6ヶ所に赤い紐で結び、柱などに掛け、紐の端を振って鳴らす「三十六鈴の柱掛鈴」を作って鳴らしていたそうです。現在、本居宣長記念館に保存されている柱掛鈴は、長男春庭の作ったレプリカで、オリジナルは残念ながら現存していません。

  宣長さんのシンボルは、なんといっても桜と鈴です。桜は一人の人としての象徴です。宣長さんは吉野水分神社の申し子として生まれ、山室にある奥墓の上には山桜が植えられています。鈴は書斎名「鈴屋」に象徴されるように学者としてのシンボルであったのです。


  この家には宣長の子孫が明治時代まで居住していましたが、1909年(明治42年)鈴屋遺蹟保存会の手によって松坂城二の丸跡地に移築され、宣長当時の姿に復元された。1953年(昭和28年)本居宣長旧宅と移築前の魚町の跡地は国の特別史跡に指定されました。
 宣長が診療を行った「店の間」や講釈や歌会に使用した「奥の間」など一部が公開されていますが、二階の書斎「鈴屋」は保存のため立ち入ることはできませんが、外の石垣の上から内部を見ることができます。
 桜の季節に鈴屋をご覧になってください。


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