津 市杵島姫神社


  津の伊勢参宮街道沿いの市杵島姫神社の場所は、大昔には庚申塚でした。市杵島姫は、南朝の重鎮であった北畠氏一族の守護神として北畠氏滅亡まで、津市美杉町多気の城内に御鎮座されていました。
北畠親房公、顕家公、顕能公と大変崇敬心厚く、その心は代々家臣に至るまで受け継がれ、その後この地の産土神様になられました。

  万物の生命をつかさどる水の神、音楽芸能、子孫繁栄の神様として崇敬され、付近の人々は、「弁財(べざい)さん」と親しみをもって呼んでいましたので、このあたりの地名が下弁財町、上弁財町の名がつきました。

        境内は、静かで清々しい感じがします。


  境内には樹齢が四百年とも五百年ともいわれる、大きなイチョウの御神木があります。昭和二十年の津を襲った空襲の戦災の時、湯気のようにもうもうとしたものが出て御神殿をつつみこみ焼失を防ぎ、風の向きもかえ火の手を止めたといわれています。そして今もたくさんの銀杏がなります。


  市杵島姫神は仏教の弁才天と習合したことから、通称で弁才天(弁財天、弁天)と呼ばれています。市杵島神社は、全国に20以上ありますが、姫が入る市杵島姫神社は、宝塚市と橿原市の3神社だけです。

  津市下弁財町の旧参宮街道沿いで閻魔堂の隣に鎮座する市杵島姫にお参りしてご縁をいただいてください。水にかかわること、芸を磨きたい方にお奨めです。

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津 参宮街道の閻魔堂


  津は徳川家康の信任が厚かった藤堂高虎が慶長13年(1608)に津城主となり、城を大改修して城下町を整備しました。その際、海岸近くを通っていた伊勢街道を、城下に引き込んで津を宿場町としても発展させたのです。江戸時代は、五街道をはじめとして全国の交通体系が整備されましたので、江戸や京から伊勢へ向かう途中にあたる津は、伊勢参宮の人々で大いに賑わい、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」といわれるほどでした。


  津は、中世に日本三津の一つと言われるほど、湊として繁栄していましたが、明応7年(1498)の大地震で大きな被害を受け、湊も浅くなってしまい、復興しないまま昔日の面影が無くなったのですが、地震前の町に4,000?5,000軒もの家があったと伝えられています。

  江戸前期、津の城下は、津領新町(弁財町)の南端、閻魔堂(真教寺)辺りを町はずれとしていたので、角町の守護として二代藩主藤堂高次が建立したもので、本尊は閻魔大王坐像です。

  悪霊や疫病が津の町に入らないようにとの願いもあって、天和2年(1682年)閻魔大王坐像が据えられたということで、エンマ堂の愛称で知られていて、前には「エンマ堂」というバス停留所もあります。正式名は、天台宗阿古木山眞教寺です。

  閻魔天(えんまてん)は一般に閻魔大王の名前で知られています。八方天及び十二天の一で、方角としては南方に配置されています。インドではヤマといい、元々は世界で最初の人間であり、結果的に最初の死者であり、最初に冥界に行った人物とされ、そのまま冥界の王になったとされます。また、最初の人間であるということから祖霊の王ともされます。ヤマは水牛に乗り、手に人頭の幢(とう)を持つ姿でよく描かれています。

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参宮街道 月本追分?六軒茶屋


  松阪市六軒町は、伊勢音頭に「明日はお立ちか、お名残おしゅうや、六軒茶屋まで送りましょう。六軒茶屋の曲がりとで・・」と歌われた町です。
  三渡川の南側にある「いがごへ追分」は、参宮街道と初瀬(はせ)街道の追分である。初瀬街道は伊勢と大和・京方面を結ぶ街道で、初瀬(長谷)から名張、青山峠を越え、いがごえ追分で伊勢街道へ通じる。
 道標の銘文には「やまとめぐりかうや道」「右いせみち六軒茶屋」「大和七在所順道(やまとしちざいしょじゅんみち)」とある。大和七在所順道とは大和国(奈良県)の七つの名所・寺社だけではなく、畿内の河内・和泉・摂津・山城の名所・寺社を巡る道です。


  三渡川は、川を渡るとき伊勢湾の潮の干満により通過地点が3ヶ所(上の渡、中の渡、下の渡)あったためこの地名が付けられました。
 道の反対側には、大阪の人が二反半の田を付けて寄進したといわれる、文政元年(1818)建立の常夜燈があり、常夜燈の反対側の空き地のところに伊勢講の常宿として繁盛した旅籠磯部屋があったようです。 

  月本追分は現在の松阪市中林町の枝郷にあり、参宮街道と奈良街道との分岐点である。現在の月本の道標は江戸時代後期に建てられたもので、東面に「月本おひわけ」、西面に「右さんぐうみち」、北面に「右いかご江なら道」、南面に「左やまと七在所順道」と刻まれている。この道標は高さ3.1mで参宮街道最大のものである。
 この追分には角屋、村田屋、錦屋などの立場茶屋や煮売屋があり、近くには古くから月読社が勧請されており、月読社の本の集落という意味で「月本」という名前が付いたと言われている。


  二つの街道が合流する月本の追分では、役人の常駐する立場があり、旅人を相手にする旅籠や支度店が軒を並べており大変な賑わいを呈していたようです。
 天保年間に建立されのちに明治3年11月に再建された常夜燈(高さ6m)が今も残っており、往時の名残をとどめています。

  このあたりには、たくさんの道標や石燈籠を見ることができますので、歴史を感じながらの散策にいいところです。20年前に第61回神宮御遷宮を記念して地元の人が建てた道標と燈籠があります。

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  庚申堂と山の神そして道標が並ぶ参宮街道(伊勢街道)です。


参宮街道 妻入り格子戸の町屋


 松阪市市場庄は、妻入町屋がほとんどで、参宮街道沿いに20軒近く残っています。妻入町屋は軒を道に直交させ、道側に主要な出入り口を設けたものです。これは、伊勢神宮内宮前のおはらい町の家々と同じタイプです。しかし、隣接する六軒や松阪の家並みは妻入ではなく、反対の平入りということなので、市場庄だけが独立していることになります。
 格子戸は古くは明和年間(1764?1772)、新しいものでは大正初期という。お盆と正月前になると、各家のお嫁さんらが一本ずつせっせと拭いて磨き上げています。これは、女性たちが伝えてきた習慣です。

  いちのや(宇野家住宅)は、大正三年(1914)に宇野家の別宅として建てられたもので、建物は切妻造り妻入り形式で、そこに庇屋根を付け、通りに面した側には大きな出格子を付けている。 内部は、北側に店、中間、仏間、屋敷が一列に並んでいる。 明治以前のこの地区の町屋で見られる摺り上げ戸から出格子戸への過渡期の建物である。 この変化は宿場町から農村集落へと市場庄町が性格を変えてきた明治中期から大正初期ともほぼ一致している。

  切妻造り、連子格子に出格子、雁木のある家「いちのや」は、市民グループの「格子戸の会」が市からの援助で管理・運営してきました。松阪市は、個人所有物の維持に公費を出すことが、問題視されるようになったため、所有者との契約の打ち切りを決めました。会では、存続を望んでいますが、3月の期限切れが迫ってきています。

  市場庄は、もともと零細な農村に過ぎなかったようで、往来の増加で次第に商業町的な意味合いを帯びていったものと思われる。参宮者の土産物屋や旅装束を商う店が並んでいたといわれ、背後に畑地や田地を持ち農業で生計を立てながらも、旅人相手の商売が盛んに行われていったのだろう。「市場文楽」などともてはやされた娯楽や浄瑠璃なども上演されたといい、旅の者のみならず近隣住民にも魅力的なところだったらしい。
 参宮街道に沿い線状に続く町並は、隣との取合いに適度な余裕があって、都市型の町並のようにぎすぎすした感じでないのも、もともとは農村集落だったことを感じさせます。
 ぞうりや、石安、磯八、かご兵…、軒には屋号を記した木札がかかっています。町づくりグループ・格子戸の会が調査し、制作したものです。屋号は職業・出身地・先祖の名などにちなんでつけられ、専業農家にはありません。例えば、仙台屋さんは仙台出身で、お伊勢参りに来て、そのまま市場庄の娘と結婚し住まうようになったという。屋号を見て歩くと、家々から歴史を醸し出しているように感じます。

  街道沿いにある「忘井之道」の道標を少し行くと、忘れ井と山神が祀られています。「忘れ井」は、斎王といわれる鳥羽天皇の、(1100年代)皇女(恂子内親王)が斎王として伊勢の斎宮に向かう途中この井戸に水を求めよった際、甲斐という女官が詠んだ「別れ行く都の方の恋しきに いざ結びみむ忘れ井の水」という詩から「忘井」の名が付いたとされている。
 水に写った自分の顔をみて、都への思いを断ち切らなければとの、おもいで詠まれたようです。


  斎王の群行(ぐんこう)に加わり、京の都に別れていきますが、都の方が恋しくてなりません。「忘井の水(わすれいのみず)」を飲めばきっと都のことを忘れるかもしれません。さあ、「忘井の水」を手で掬って(すくって)飲みましょう・・・・
 一見、華やかな群行ではあっても、斎王の胸中には、神に仕えることの晴れがましさよりも、住み慣れた都や親しい人々との別れの悲しさが強かったかもしれない。斎王だけでなく、それに従う女官ともなれば、その想いはいっそう募ったことなのでしょう。

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