城跡に見事な桜


  松坂城跡は、天守閣など建物がなく、関ヶ原の合戦以前の豊臣時代の石積が残された城跡ですが、平成になってからも手入れされているので、素晴らしい石垣とともに桜や梅、藤そして銀杏などのたくさんの木々があって静かなヒーリングスポットです。

  石垣の保存状態は良好で、中世の自然石による「野面(のづら)積み」の石垣のほか、後世の修復で築かれた切石による「切り込みはぎ」など、さまざまな手法による石垣が残されてます。日本の石垣文化を考える上で重要な遺構となっているほか、近世の城郭や政治、軍事を知る上で貴重な遺跡といえます。ここに来ると、400年から500年も昔にあった戦国の世や江戸時代の文化に思いを巡らせ、蒲生氏郷公や本居宣長翁に尊敬の気持ちが湧いてきて、感謝したくなります。

  標高約35メートルの丘陵に築造され、広さは約4万7千平方メートルあり、堅固な石垣を配した近世の平山城でとても価値があります。山中光茂松阪市長は「2月7日の国指定をはずみに史跡に恥じない整備を進め、歴史マニアなどに発信していきたい」と話しているように、もっと観光や歴史探訪に人を呼びたいと思っています。毎年11月3日に開催される「氏郷まつり」が今年50回目の記念イベントですので、あらゆる方法で子供や県内外にもたくさん発信して、「来て、見て、楽しんで」もらいましょう。

  本居宣長記念館のヤマザクラも咲いています。いわゆる里桜(ソメイヨシノ、ヒガンザクラなど)は、花が咲いた後から葉が出てきますが、山桜(ヤマザクラ、エゾヤマザクラなど)は、葉と花がほとんど同時に開きます。宣長翁は、このヤマザクラに感動され愛でられたのしょう。奥墓も少し遅れて咲きだしますね。

  お城から見下ろすと、御城番屋敷や松阪工業高校のあたりの古い街並みと桜がとてもきれいで気持ちいいです。


  松阪工業校の100年を超える伝統の象徴、明治41年に製図室として建てられた「赤壁校舎」は、経済産業省から「近代化産業遺産」に認定されていて、現在は資料館になっています。

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「はにわ館」に船形埴輪


  松阪市文化財センターで、市民ギャラリーにされている建物は大正14年に建設された旧カネボウ綿糸松阪工場の赤レンガ積みの綿糸倉庫を保存・改修したもので、平成14年には貴重な近代化遺産のひとつとして国の登録有形文化財に登録されました。

  宝塚古墳で出土した多数の埴輪は、国の有形登録文化財松阪市外五曲町にある松阪市文化財センターに平成15年にオープンした「はにわ館」の第1展示室で常設展示しています。第2展示室では特別展や企画展を随時開催します。

  現在、常設展では、「伊勢の王墓 宝塚古墳の謎」として、国の重要文化財に指定されている宝塚古墳から出たはにわを展示しています。



  船形埴輪は、全長140センチメートル、高さ90センチメートルとそれまでに発見された中では日本最大であると同時に独特の装飾がなされていたため、とても貴重なものとなりました。大刀(たち)・威杖(いじょう)・蓋(きぬがさ)をかたどった立ち飾りをもつ他に例がないものです。

  船の埴輪は、二つの円筒台にしっかりはめられ固定されていて、太刀や蓋も船の中に開けられた小さい穴に差し込まれています。真ん中にある穴には、木か布で旗が差してあったと思われますが、長い年月で土に帰ってしまったのでしょうか。とにかく5世紀頃の埴輪では特別手の込んだものになっています。




古代ロマンを感じることができる「はにわ館」でヒーリングタイムをお過ごしください。

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宝塚古墳の船形埴輪


  松阪市街から南に3キロほどの宝塚町から光町にかけての「ごけ山」の丘陵地の西から東へ伸びる山の尾根を利用して築造した古墳が、伊勢地方最大の前方後円墳である宝塚古墳です。3年ほど前から整備が進められ、宝塚古墳公園となり、古代ロマンを感じられる市民の憩いの場になりました。

  宝塚古墳は、二つの形の違う古墳があります。昭和7年に二つともに国指定史跡になっていましたが、詳しい調査は、平成11年6月から約半年かけて、古墳の保存整備事業として、松阪市と松阪市教育委員会を調査主体とした発掘調査が実施されました。その調査でともに5世紀はじめ頃の築造と判明して、1号墳は前方後円墳、2号墳は帆立貝式前方後円墳です。


  1号墳は、後円部前方部ともに3段築成で全長111m、後円部経約45m、後円部高7.8m、前方部幅約54m、前方部長約41m、前方部高 4.8mを測る伊勢地方最大の古墳です。

  宝塚古墳の最大の特徴は、前方部と後円部のくびれ部分に大きな方形の2段構造になった「造出し」(祭祀場と考えられている)があり、墳丘と土の陸橋で結ばれているのです。大きさは東西18m、南北16mです。この上部や周囲に船形、囲み形、家形、壺形などの埴輪が、ほぼ据えられた状態のままで並べられていました。


  埴輪の出土量が多いことでも貴重な古墳ですが、国宝級といわれるのが船の形をしたもので、この船形埴輪は、これまで近畿地方他から出土した埴輪に比べて極めて良好な遺存状態にあるため、今まで判明しなかった大型準構造船の構造は元より、琴柱形や蓋形埴輪などの威儀具とともに出土したことで、船形埴輪の持つ意味についても多くが明らかになったようです。
 船形埴輪は、軍事力の象徴だけでなく、葬送儀礼にも首長の権威を示し、黄泉の国までその権威が及ぶようにと考えられていたようです。
 ヤマトから離れたこの松阪でどれほどの権威を持った人がいて、この古墳が作られたのか、古代ロマンを感じます。


  一番高いところで、40mほどあります。そこからは、伊勢湾や松阪城跡の四五百森(よいほのもり)そして堀坂山が見える景色がいいところです。古墳の造り出しの周りにある埴輪は、市民の方々が作って焼いたものが並べられ、古代ロマンをより実感できます。

  公園内の桜が花を開きました。1500年の古代から草木や花は、変わらず春を告げてきたのでしょう。天気のいい日には、お弁当を持って散策に出かけたいところの一つです。

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松浦武四郎の生家


   松浦武四郎翁は、文化15年(1818年)2月6日、松阪市小野江町に松浦家の四男として武四郎は生まれました。父親は干支にちなみ「寅」と関わりの深い竹に、四男の「四」をつけ「武四郎」と名づけたといわれています。
 家の前には、旧参宮街道が通っていました。四日市の日永で東海道と分岐して伊勢神宮まで続く道で、多くの旅人たちが行き交いました。
 武四郎翁が、12歳の頃「文政のおかげ参り」というのが大流行します。全国各地から伊勢神宮へお参りする人々が、一年間に400?500万人もいたといわれていて、武四郎翁の家のあたりにも、宿屋さんがたくさんあり、「名所図会」で読んだいろいろな土地からやってくる旅の人たちを見て、武四郎は旅に出たいという気持ちを強めていきました。

  武四郎翁は、16歳で江戸へ初めて一人旅をします。ここから日本全国を歩いて巡っていくのでした。好奇心旺盛で、やると決めたらとことんやる性格のようで、近畿?四国?九州?山陽、山陰?北陸?東北へと歩いて歩いていきましたが、普通なら一日40キロがやっとといわれる当時の旅を、武四郎翁は小柄な体格にも関わらず60キロも歩いたといいます。全国各地をまわりながら、霊山と呼ばれ山々を登っています。江戸では水野忠邦の屋敷で奉公したり、また長崎では髪の毛を剃ってお坊さんになり、名前も「文桂」と改めました。
 そして26歳のとき10年ぶりに帰郷しますが、すでに父母は亡くなっていました。

  長崎にいたころ、日本の北のあたりにロシアの船が接近しているという話を聞いたことが、武四郎翁の人生に大きな転換をもたらしました。この頃、アジアにはアメリカやヨーロッパの国々が進出し、植民地を拡大していましたが、このままでは日本もロシアに奪われてしまうという思いにかられた武四郎翁は、まだどんなところかよくわかっていなかった蝦夷地(今の北海道)に行って、自分の目で確かめようと一大決心を固めたのでした。このとき弘化元年(1843年)、26歳。しかしその決意が実を結んだのは2年後のことでした。

  蝦夷に渡った武四郎翁は、商人たちの援助を受けましたが、後は、自分で探索に道なき道をアイヌの人達に手伝ってもらいながら合計6回も行い、択捉島にも渡っています。そして見事に北海道の地図を書き上げています。
 北海道では小学校のとき必ず松浦武四郎翁を授業で習うのでみんな知っているそうです。道内に武四郎翁の碑が大小54か所もあり、江差には武四郎翁を祀る神社もあるようです。一度お参りに行ってみたいものです。

  松浦武四郎記念館の玄関の床に武四郎翁が作成した地図があります。

  7年前には、生家が破産管理人の管理下に置かれていて、競売にかけられることになりましたが、松阪市が史跡指定地として約1550万円で購入し、武四郎翁ゆかりの主屋と離れのほか、土蔵2棟を改修し公開することになりました。
 文化財は一度壊してしまうと二度と再現が出来ませんから、今後も大切に保存して、顕彰していきましょう。

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春谷寺エドヒガン桜が満開


  松阪市飯南町向粥見にある春谷寺の桜は、毎年、松阪で一番早く満開になる樹齢推定400年の古木です。地元保存会により大切に保護され、花の数は多くないですが、可憐なピンク色の美しい花を咲かせます。

  今朝は、冷え込みが厳しくて、陽があたっていなくて光に映えていませんが、静けさの中に威厳を感じました。

  いつもは、お彼岸の頃には咲くので「青春桜」といわれているようです。


  山里に毎年咲く桜は、日本人の優しさと強さを見せてくれているようです。


  お寺なので、お墓も並んでいます。境内や川沿いに山のほうまで桜や桃の花が綺麗に咲いていてとても華やかなロケーションです。


  伊勢茶の産地の飯南には、茶畑が広がっています。朝日にまぶしい緑がとても清々しく、局ヶ岳の稜線がくっきり見えて気持ちいい朝です。もうすぐ新茶の季節ですが、今年は寒い朝が続いているので霜に影響されない極上の深蒸煎茶がいただけることを期待しています。

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