宝塚古墳の船形埴輪


  松阪市街から南に3キロほどの宝塚町から光町にかけての「ごけ山」の丘陵地の西から東へ伸びる山の尾根を利用して築造した古墳が、伊勢地方最大の前方後円墳である宝塚古墳です。3年ほど前から整備が進められ、宝塚古墳公園となり、古代ロマンを感じられる市民の憩いの場になりました。

  宝塚古墳は、二つの形の違う古墳があります。昭和7年に二つともに国指定史跡になっていましたが、詳しい調査は、平成11年6月から約半年かけて、古墳の保存整備事業として、松阪市と松阪市教育委員会を調査主体とした発掘調査が実施されました。その調査でともに5世紀はじめ頃の築造と判明して、1号墳は前方後円墳、2号墳は帆立貝式前方後円墳です。


  1号墳は、後円部前方部ともに3段築成で全長111m、後円部経約45m、後円部高7.8m、前方部幅約54m、前方部長約41m、前方部高 4.8mを測る伊勢地方最大の古墳です。

  宝塚古墳の最大の特徴は、前方部と後円部のくびれ部分に大きな方形の2段構造になった「造出し」(祭祀場と考えられている)があり、墳丘と土の陸橋で結ばれているのです。大きさは東西18m、南北16mです。この上部や周囲に船形、囲み形、家形、壺形などの埴輪が、ほぼ据えられた状態のままで並べられていました。


  埴輪の出土量が多いことでも貴重な古墳ですが、国宝級といわれるのが船の形をしたもので、この船形埴輪は、これまで近畿地方他から出土した埴輪に比べて極めて良好な遺存状態にあるため、今まで判明しなかった大型準構造船の構造は元より、琴柱形や蓋形埴輪などの威儀具とともに出土したことで、船形埴輪の持つ意味についても多くが明らかになったようです。
 船形埴輪は、軍事力の象徴だけでなく、葬送儀礼にも首長の権威を示し、黄泉の国までその権威が及ぶようにと考えられていたようです。
 ヤマトから離れたこの松阪でどれほどの権威を持った人がいて、この古墳が作られたのか、古代ロマンを感じます。


  一番高いところで、40mほどあります。そこからは、伊勢湾や松阪城跡の四五百森(よいほのもり)そして堀坂山が見える景色がいいところです。古墳の造り出しの周りにある埴輪は、市民の方々が作って焼いたものが並べられ、古代ロマンをより実感できます。

  公園内の桜が花を開きました。1500年の古代から草木や花は、変わらず春を告げてきたのでしょう。天気のいい日には、お弁当を持って散策に出かけたいところの一つです。

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