松阪市射和町(いざわちょう)にある浄土宗伊馥寺(いふくじ)は、延命寺と並立しており、門前を櫛田川岸にあけ、高い石垣を築いている。
射和石は、天保(1830年?44年)辺りまで射和町内の慶徳山で採石されていて、伊馥寺の石垣は、名工といわれた右平が積み上げたものだそうです。やわらかくて積みやすく、仕上がりが綺麗なことから使用されていたようです。
寺の歴代記によると本堂は延宝8年(1680年)に建立供養をおこなっている。 また、表門は延宝4年の建物であり、庫裏、方丈、書院も17世紀後半代の建立です。
京都の清凉寺にある釈迦如来像と同じものがおられます。
小さなお堂のそばに瓦と思いますが飾ってありました。昔、本堂の屋根に上がっていたのでしょうか。今度、確認してみます。ちょっと怖い感じです。
延命寺山門は、文明15年(1483年)建立という歴史と風格あるもので、松阪最古の木造建築として、松阪市指定文化財です。構造は、四脚門式で本柱は円形でその間を冠木で繋ぐ和式の伝統的な建物です。
豪商の竹川家の菩提寺であります延命寺も浄土宗のお寺さんです。釣鐘と桜がとても日本らしい感じがします。昔、門前を熊野街道が通っていた賑わいが嘘のように静かなところです。
延命寺から飛び出している桜が満開で、パワーを感じます。
射和石の伊馥寺と延命寺山門
豪商屋敷が残る町
松阪市射和町(いざわちょう)は、櫛田川の流れに沿って古い町があり、両郡橋を渡ると多気町相可です。この界隈の繁栄は、室町時代から明治初期頃までと長い歴史を持ったところです。
両郡橋の射和町の交差点の所には、食品会社で知られている国分家、その前には、射和文庫をつくった竹川竹斎の竹川家と古くからの家があります。
国分家は、醤油醸造場を土浦市に設け、江戸日本橋本町に店を構えて、屋号を「大国屋」と称しました。「亀甲大」印の醤油として評判が良かったようで、銘柄「むらさき」は、高級醤油として有名になり、今でも料亭や寿司屋でしょうゆを「むらさき」と呼ばれています。
竹川竹斎翁は、書籍1万巻、古書画、古物等を集めて開いたのが、「射和文庫書院」です。また、地場産業として「射和萬古」や「お茶」、「桑」の生産も始めました。竹斎翁は、裏千家や勝海舟と親交があり「海防護国論」や「護国後論」を著しています。
櫛田川の上流の丹生で採れた丹砂(水銀鉱石)を加工して造る軽粉(伊勢白粉)によって中世以来繁栄し、室町時代後半以降、伊勢神宮の御師が布教とともに各地に軽粉を持ち運び、伊勢白粉として全国に知られました。明治になるまで軽粉業は繁栄を極め、最盛期の室町末期には釜元が83軒もあったそうです。
射和の著名な豪商に富山家・家城家・国分家・竹川家・山本家・長井家・小野寺家などがあります。
国道のバイパスができ、両郡橋の交通量が少なくなり、古い街並みの界隈は、静かにゆっく散策できます。
隣の中万町にもいくつかの豪商の家を見ることができます。軽粉や木綿を扱い繁栄した、紺田家・堀木家・竹口家・山上家などの豪商です。
富山家は江戸に呉服の店を出していた豪商で、「伊勢の射和(いざわ)の富山さまは、四方白壁八棟造り、前は切石切戸の御門、裏は大川船が着く」と江戸のわらべ唄に歌われたほどです。
竹口家は、ちくま味噌で有名な老舗ですが、HPによると「当社は初代竹口作兵衛松方(さくべいよししも)が元禄初(1688)年深川永代橋にて味噌醸造を始めたことを創業としております。 味噌で「ちくま」というと信州の「千曲」を想像されることと思いますが、当社の「ちくま」は創業者の故郷の地名、伊勢国乳熊郷(ちくま)郷(現在の三重県松阪市中万町)から由来しています。」と説明されています。
いにしえの繁栄を想い歩いてみると時代の移り変わりを感じます。
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奥墓のヤマザクラはいつ咲くの
満開だった桜が散り始め、春爛漫という光景がいろんなところで見かけられます。そこで、少し遅れて咲くと思われる本居宣長の奥墓までハイキングのつもりで上っていきました。階段は道が掘れているところがあるので、距離はありますが、息を切らせながら車道を行きました。しかしなんとまだ蕾もありませんでした。このヤマザクラは咲くのでしょうか。
奥墓に行くまでのヤマザクラはもう満開をすぎています。木々の芽も出て、もうすぐ新緑の季節ですね。このあたりは、本当に気がいいところです。
なんとしても、今年は奥墓のヤマザクラを見て宣長翁の感じたものを体験すると決めていますので、また、来週のいい天気に日にハイキングに行かなくては思っています。奥墓の桜予報を知りたいものです。
このお墓に来れることは、ありがたいことと感謝して拝みます。山室山は、宣長翁が何度も足を運んで決めた場所だけにここから湧き出ている強いエネルギーにパワーをいただけるようです。選挙カーからの声になれてしまっていましたが、ここで聞くうぐいす嬢は、透きとるようで響きますからとてもいいですね!
事務所のそばにある神社の花のトンネルから桜吹雪が舞っていました。一番いい気持ちになれる季節ですね。
かなえ滝の待受け画面
道啓きの猿田彦大神様をお祀りする椿大神社の別宮であります椿岸神社の境内を流れる『かなえ滝』を携帯電話の待ち受け画面にすると、恋愛運がアップするそうです。
かなえ滝は、金龍明神の滝からの流れで、本来の滝がこの奥にあり、容易に見学、祈願できるように作られました。
この水は、神水とされ、清く柔らかで昔より万病に効く薬水とされていますから、酌で飲んでみるとご利益があるかもしれません。
恋愛運を上げたい方は、待受け画面にご利用ください。
手水舎の龍の口から出る水のなんとも清らかで透きとおったきれいなことに感動しました。神様からの恵みの水なのですね!
「かなえ滝」と同じ神水ですから、願うばかりでなく、感謝を忘れず、穢れを落として清らかな気持ちでお参りしましょう。
猿田彦大神の奥様にあたる、天之鈿女命(あめのうずめのみこと)が祀られていて、芸事や縁結びのご利益があります。俳優 (わざおぎ)、神楽、技芸、鎮魂の祖神(おやがみ)と仰がれています。
境内にある「招福の玉」は、縁結び、夫婦円満、招福導きの玉です。この玉を3回なでながら、「祓へ給へ、清め給へ、六根清浄」と3度唱えてお祈りすると、心の中に幸せを招き念願が叶えられるとのことです。
芸の道に精進される人が、常に新たな気分で芸の修行・稽古に励むことができるように、古くなった扇を納め、さらなる上達を願って参拝するところが「扇塚」です。朱色の真新しい建屋に扇が祀られ、いくつもの扇子が奉納されています。
たくさんのいいことがある椿岸神社です。
天之鈿女命は、天岩戸の前で神楽を踊って八百万神が大いに盛り上がり、天照大神が現れ明るく平和な世が戻って来ることに貢献しました。それで、元気でおおらかな女性の鏡とされてきました。生涯の美しさを求める女性にとっては勿論ですが、あらゆることから自立し誇りを持って自ら生きようとする人にとって極めて大切な神様ですね。
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御城番の今
全国的に現存例の少ない武士の組屋敷である松阪御城番の住まいは、小路を挟んで主家2棟からなる構成で残されているのは全国でもここだけです。主屋2棟・前庭・畑・南竜神社・土蔵よりなり、周囲に槇垣が巡らされて、江戸時代にタイムスリップします。
主屋2棟は国の重要文化財に指定され、土蔵は県指定文化財(建造物)です。
明治35年、松阪工業高校創立時、主屋西棟の北端2戸が仮教室として使用されたため、1戸が切り詰められて現在は東棟10戸、西棟9戸で住むことができ、そのうちの1戸を松阪市が借り受けて公開しています。。1戸あたり、正面5間、奥行5間、裏に幅1間の角屋が付く広さをもち、右手に通り土間、左手に田の字型に8畳2間、6畳2間を配し、式台を構える屋内です。
御城番の先祖は、徳川家康に仕えた横須賀党の勇猛な武士団でした。横須賀党は、家康の息子・徳川頼宣のお付きとなり、紀伊の国へ。しかし、和歌山城勤めではなく、南の田辺の勤務となりました。当時、田辺城主は安藤家が務めており、「田辺与力」の名前で安藤家で仕事をしていたそうです。現代社会でいう「出向」ですね。
安政2年(1855年)に、安藤家の家臣になるよう命令が下された田辺与力らは、徳川家直系でいたいと猛然と抗議しましたが、認められませんでした。そこで、藩士の身分を捨てて浪人になる道を選んだのです。
仕事を辞めた彼らは、6年にも及ぶ浪人生活という苦渋の間、藩復帰のために様々な活動を続けた後、紀州徳川家の菩提寺である長保寺の住職・海弁僧正の支援により、松阪城の御城番として藩に復帰することとなりました。こうして御城番屋敷が建設されたのです。
幕末の1863年、松坂城内三の丸に新築された屋敷に40石取り紀州藩士20人が松坂御城番職として、藩士および家族が住むことになりました。 しかし、時代の激動にもまれ武士として復帰して間もなく明治維新となり、後に士族授産で得た資産を元手に住民士族が合資会社苗秀社を設立し、以来維持管理にあたってきました。
現在は、19戸中12戸が借家として貸し出され、一般の方も住んでいます。賃貸の張り紙のあるところもあリますので、興味のある方はご覧になってください。
松阪市は、平成元年から、電柱の移転・共同受信によるテレビアンテナの撤去・中央の小路の石畳化工事を行うなど景観整備を行ってきました。多くの方が観光で訪れるようになりましたが、お土産、お休み処や情報センターなどの拠点を作って一層の観光客を受け入れていければ町の活性化につながる気がします。
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