松阪市射和町(いざわちょう)は、櫛田川の流れに沿って古い町があり、両郡橋を渡ると多気町相可です。この界隈の繁栄は、室町時代から明治初期頃までと長い歴史を持ったところです。
両郡橋の射和町の交差点の所には、食品会社で知られている国分家、その前には、射和文庫をつくった竹川竹斎の竹川家と古くからの家があります。
国分家は、醤油醸造場を土浦市に設け、江戸日本橋本町に店を構えて、屋号を「大国屋」と称しました。「亀甲大」印の醤油として評判が良かったようで、銘柄「むらさき」は、高級醤油として有名になり、今でも料亭や寿司屋でしょうゆを「むらさき」と呼ばれています。
竹川竹斎翁は、書籍1万巻、古書画、古物等を集めて開いたのが、「射和文庫書院」です。また、地場産業として「射和萬古」や「お茶」、「桑」の生産も始めました。竹斎翁は、裏千家や勝海舟と親交があり「海防護国論」や「護国後論」を著しています。
櫛田川の上流の丹生で採れた丹砂(水銀鉱石)を加工して造る軽粉(伊勢白粉)によって中世以来繁栄し、室町時代後半以降、伊勢神宮の御師が布教とともに各地に軽粉を持ち運び、伊勢白粉として全国に知られました。明治になるまで軽粉業は繁栄を極め、最盛期の室町末期には釜元が83軒もあったそうです。
射和の著名な豪商に富山家・家城家・国分家・竹川家・山本家・長井家・小野寺家などがあります。
国道のバイパスができ、両郡橋の交通量が少なくなり、古い街並みの界隈は、静かにゆっく散策できます。
隣の中万町にもいくつかの豪商の家を見ることができます。軽粉や木綿を扱い繁栄した、紺田家・堀木家・竹口家・山上家などの豪商です。
富山家は江戸に呉服の店を出していた豪商で、「伊勢の射和(いざわ)の富山さまは、四方白壁八棟造り、前は切石切戸の御門、裏は大川船が着く」と江戸のわらべ唄に歌われたほどです。
竹口家は、ちくま味噌で有名な老舗ですが、HPによると「当社は初代竹口作兵衛松方(さくべいよししも)が元禄初(1688)年深川永代橋にて味噌醸造を始めたことを創業としております。 味噌で「ちくま」というと信州の「千曲」を想像されることと思いますが、当社の「ちくま」は創業者の故郷の地名、伊勢国乳熊郷(ちくま)郷(現在の三重県松阪市中万町)から由来しています。」と説明されています。
いにしえの繁栄を想い歩いてみると時代の移り変わりを感じます。
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