四日市から鈴鹿、亀山にかけて日本武尊の陵墓と伝えられる古墳がいくつかあったが、明治12年(1879年)、内務省が「王塚」あるいは「丁字塚」と呼ばれていた前方後円墳が日本武尊の墓であると治定し、能褒野陵とした。
地元の有志により日本武尊の遺徳をしのぶため能褒野陵周辺での神社の創建が企画された。 明治16年に神宮祭主・久邇宮朝彦親王より「能褒野神社」と社号が選定され、明治17年3月に能褒野陵の側に神社創建の許可を得、有栖川宮その他の宮家から幣帛料をたまわった。明治28年(1895年)に社殿が竣工し、神宮祭主・賀陽宮邦憲王より御霊代を拝戴して鎮座祭がとりおこなわれた。
社殿の中には、日本武尊の大きな御旗が掛けられています。