松阪市白粉町・来迎寺


 来迎寺は天台真盛宗に属し、永正年間の創建と伝え、松ヶ島にあったが、天正16年(1588)蒲生氏郷による松阪築城に伴い、城下の白粉町に寺地を拝領して現在に至っている。  表門は、文政4年(1821)に竣工した一間鐘楼門で、大棟には瓦の鯱を挙げる。一階が通路、二階に鐘が掛ける。鐘は門より古く貞享元年の銘文がある。扉はケヤキの一枚板。
 本堂などは、享保元年(1716)の松坂大火で焼失したが、程なく三井家などの尽力で再興された。その費用は8700両にもなったという。再興された本堂は現在、国重要文化財に指定されている。
 境内には芭蕉の句碑もある。墓地には、本居宣長次女・小津美濃夫婦や門人・小津信業夫婦の墓がある。近くには三井家の別荘「畑屋敷」もあった。檀家には三井家の他、安南貿易の角屋七郎兵衛一族や、豪商長井家である。
 塔頭・覚性院の戒言は本居宣長の門人。宣長もしばしば覚性院に遊び、桜や紅葉を楽しみ歌会を開いた。

 本堂は、享保11年から再興にかかり、同16年に完成した複合仏堂で、前後に並ぶ外陣(げじん)と内陣(ないじん)を合の間で繋いでいる。前方の外陣は桁行(けたゆき)7間、梁間(はりま)4間、寄棟造、本瓦葺、前面に向拝(こうはい)3間をつける。後方の内陣は、身舎(もや)の周囲に裳層(もこし)を巡らした宝形造(ほうぎょうづくり)、本瓦葺の建物。身舎は方3間、阿弥陀、観音、勢至の三尊来迎像を配し、その背後の壁には二十五菩薩来迎図を描く。本堂は複雑な外観をもつとともに内部の空間構成は豪壮で、意匠的にも優れており、江戸時代中期を代表する建造物である。


 本堂の再興にあたっては松阪が生んだ豪商三井家が深くかかわっており、再興費は8,700両にもなったという。 なお、境内建物のうちで裏門(別記)が最古に属し、現表門(鐘楼門)は文政4年(1821)に、客殿は明和2年(1765)に完成している。


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