第6番壺阪寺

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奈良県高市郡高取町にある真言宗系の壺阪寺は、山号が壺阪山で正式寺院名は、南法華寺。

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壺阪寺の由来は、壷阪山に庵をおき、水晶の壷を愛でていた弁基上人が大宝3年(703年)にその壷の中に千手観音像を感得したという。弁基上人はその姿を刻み、像を庵に安置したとされるのがこの寺の創始と伝えられています。

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建暦2年(1212)建立の仁王門は、室町期と安土桃山期に大修理をして、昭和に解体修理を行いましたが、平成10年の台風により屋根が半壊しました。平成15年壷阪寺開創1300年の際に防災上から建立場所を現在の場所に移し、再度解体修理を行っていますので、新しく見えます。 仁王尊は各、一丈一尺の大きさがありります。

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平成15年壷阪寺開創1300年を迎えるにあたり、この宝塔の建立を発願し、多くの信徒の勧進により建立され平安時代に作られた大日如来さまをご本尊としてお祀りしています。

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禮堂は本尊を礼拝するために建てられたもので創建当初からあり何度も模様替えなど大改築がなされ、規模も縮小されてきました。現在のものは、室町時代のものに戻されていて、組物の方式は東大寺法華堂礼堂や、般若寺楼門にみられた室町時代中期にみられた手法になっていて国の重要文化財です。

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ご本尊の十一面千手観世音菩薩を祀る八角形の八角円堂で現在のものは江戸時代の再建と言われています。

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胸の前に手を合わせ法力を携えたお姿で衆生救済への力強い意地を感じさせる観音様は、眼病に霊験あらたかで、目の観音さまとして広く信仰を集めてきました。

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インドでの奉仕活動のご縁から始まった国際交流・石彫事業の一環で、製作された大釈迦如来石像は、台座を含め高さが15mの通称「壺阪大仏」で、平成19年11月に開眼しました。前に控える文殊菩薩は釈迦如来の「智慧」を普賢菩薩は「行」観音菩薩は「慈悲」を表しています。

 

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第十五番 今熊野観音寺


  西国三十三ヶ所観音霊場の第十五番札所は、京都の東山三十六峰今熊野山のふところにいだかれた「観音寺」で、後白河法皇より山号を賜り、「新那智山」と称しています。

  古くからの霊験記にも記されている通り「頭の観音さん」として広く人々の信仰をあつめ、善男善女が参拝や巡礼におとずれています。

  弘法大師が唐の国で真言密教を学んで帰国された翌年の大同2年(807)熊野権現のご霊示を受けてこの地に庵をむすばれたところです。

  弘法大師が、観世音をまつるのにふさわしい霊地を選ぶために錫杖をもって岩根をうたれると霊泉が湧き出しましたので、観音御利生の水として崇められ「五智水」と名付けられました。

  御本尊は、弘法大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を体内仏として自ら彫刻された十一面観世音菩薩であり秘仏となっています。

  本尊と同じ姿をしているお前立ちと言われる仏像が厨子の前に立たれているので、それを拝観することが出来ます。

  観音寺は、四季の自然を感じる別天地でまさに壮麗な堂宇が甍を連ねる幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城といったところで、人心とも落ち着きます!


第8番 長谷寺


  長谷寺を開いた徳道上人は、8世紀に創められた西国三十三所霊場めぐりの創設者と伝えられています。今では、日本で最も古い巡礼として参拝者が多い事で知られています。

  真言宗豊山派の総本山である長谷寺は、万葉集で「こもりくの泊瀬(はつせ)山」と詠われところです。第107代後陽成天皇の御辰筆による額が掛かっている国の重要文化財の仁王門が立派で、最初は、平安時代の第66代一条天皇の頃に建てられ、その後9回も火災にあっています。現在の仁王門は、明治18年に再建され、楼上に十六羅漢を安置し、左右の両脇に金剛力士が立ち参拝者を迎えます。

  仁王門を入ると、丸い長谷寺型灯籠を梁に吊す399段の回廊形式登廊が本堂へと続きます。

  「登廊」も国の重要文化財となっていますが、最初は、1039年(長暦3年)に春日大社の社司中臣信清が我が子の病気平癒の御礼で寄進し、上中下の三廊になっていて、現在の下廊と中廊は、明治22年に再建されたものです。

  雨の日にはありがたい「登廊」は、僧侶のお勤めにも使われています。

  国宝になって10年の「本堂」は、1650年(慶安3年)に徳川第3代将軍家光によって寄進、再建されていますが、奈良は東大寺の大仏殿に次ぐ最大級の木造建造物で、間口柱間9間、奥行5間の正堂、9間・4間の礼堂の南に更に5間・3間の外舞台がある壮大なの建物です。

  本尊「十一面観世音菩薩」は、1538年(天文7年)仏師東大寺仏生院実清良覚によって彫られた長谷寺型観音で、金色に輝き、右手に錫杖と念珠、左手に蓮華を挿した水瓶を持って方形の石の上に立ち、我が国最大の木造仏(楠の霊木)で、身の丈は3丈3尺6寸(約10m)、光背が4丈4尺(約12m)、観音様とお地蔵様の徳を持っておられるのです。

  本堂の舞台から見た長谷寺の風景で、目につく大きな木は、仁王門から一直線に上に伸びる「登廊」が丁度直角に曲がる右側に目通り4m樹高約60mの巨木で、天狗杉と呼ばれるています。

  花の御寺といわれる長谷寺は、四季折々の花が境内をにぎわしています。特に牡丹が有名でGWの頃には、150種、7000株のたくさんの牡丹が咲き誇ります。

  土佐日記の紀貫之が長谷寺を参詣した際に読んだ和歌の記念碑が登廊の中と上の間にあります。

  「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」
 意味は、あなたは、さあね、昔のままの心なのでしょうか。わかりませんね。でも、昔なじみのこの里には、昔のままに梅の花の香りが匂っていますね。
  百人一首の35番に選ばれているこの歌は、紀貫之が何回もお参りをしていた長谷寺で、定宿としていた宿があったのですが、しばらく足が遠のいていたので、宿の主人が「昔どおりに宿はちゃんとありますのに。」と、無沙汰を遠まわしに責めたときに、貫之は、その宿に生えている梅の枝を折り、返した和歌なのだそうです。

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第5番、葛井寺


  大阪にある西国巡礼地のひとつ葛井寺(ふじいでら)のある河内の文化は、飛鳥時代より奈良時代にかけて発展し、当寺葛井寺も百済(くだら)王族「辰孫王」の子孫王氏一族の『葛井給子』が当時の天皇の仏教興降政策に協力し、国家のためと称して創建されたものです。

  本尊の千手観音像は、乾漆(かんしつ)造りで、大阪府下で唯一の天平時代の仏像として、国宝に指定されています。

  「ふじいでら」という呼び名が、寺名でも地名でもあり、また駅名もあるので、地元の方は、葛井寺のことは親しみを込めて「観音さん」と呼んでいます。

  8月9日は、年中行事の中でも「千日参り」として大変なにぎわいで、境内にはびっしりと夜店がたち並び、歩くのも難しいほどの人がお参りします。

  毎月18日には厨子の扉が開かれ、本尊を拝観することができます。

  街中にあるお寺らしく市民の方がお参りにたくさんこられたりする一方、多くの方が境内を通り抜けて行かれます。

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第4番、槙尾山施福寺


  西国第4番札所は、槙尾山にある十一面千手千眼観世音菩薩がご本尊の施福寺です。第29代欽明天皇の勅願寺で仏教公伝538年頃の創建という日本で最も古いお寺の一つです。

  槇尾山は、大阪府和泉市にある標高600mの山で標高500mくらいのところに「施福寺」があるので、登山する心構えが必要です。ここは、役の小角、行基菩薩等の山岳修行の道場であり弘法大師 空海が勤操大徳について出家得度した寺と有名です。

  駐車場とバス停から本堂まで急勾配の参道や階段を30分ほど登るになるりますが、約10分歩くと「仁王門」をくぐります。

  施福寺の建物は、1845年の山火事でほぼ全て焼け落ちてしまいましたが、その際に唯一焼け残ったのが仁王門で迫力ある仁王像が迎えてくれます。

  ここから本堂までは、20分ほどですが険しい階段が続いていきます。
  途中にベンチがあるので、休憩しながらマイペースで気を付けて進んでいってください。

  施福寺の本堂は、江戸時代に再建されたもので、山寺の様相です。

  施福寺の本堂は、中に入ることができるので、西国三十三ヶ所ゆかりの仏さん紹介や「四天王像」、「弁財天」、「不動明王像」、巨大な仏様「方違大観音像」、怒りの形相で露歯の「馬頭観音像(半跏)」などお祀りされています。

  施福寺は度重なる火災で古記録が失われていて史実がはっきりしないのですが、江戸時代に入り徳川家の援助で栄え、その関係で寛永年間頃に真言宗から天台宗に改宗、江戸の寛永寺の末寺となったようです。

  槇尾山は、奈良県の二上山・屯鶴峯(どんづるぼう)から続く、全長45kmの縦走コース「ダイヤモンドトレール」の起点になっていて、ハイキングを楽しむ方も多く訪れます。

  お参りをして少し休憩をして体力回復したら、帰りは下りなので軽快に15分ほどで降りられますが、不安定な階段が多かったり登ってくる方がいらっしゃるので、気を付けてください。

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