水屋神社?初冬


 松阪市飯高町赤桶(あこう)にある水屋神社は、千数百年前、大和の春日大社より、天児屋根命を奉祭したのを創始とし、その後、大化四年(648)大和国三笠山から素盞鳴尊、龍神姫命を勧請。和銅三年(710)興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり、慶長五年(1600)関ヶ原合戦以降伊勢領となったという。

 国道166号沿いにある神社ですが、とても清々しい気持ちになれます。境内や社殿の周りには、もみじや桜、杉の木に比べ断トツ大きい楠が堂々と立っています。

 千年を越えるという水屋の大楠。境内には、むささびやコウモリ等が多数棲息し自然との調和が素晴らしく生命の営みが感じられます。
 木から気を沢山もらうことのできるパワースポットです。


 神社名が、水屋神社で所在地は、飯高町赤桶、特殊神事にお水取りがあり、祭神に龍神姫とすべてにわたって水との関わりがあり、神社の西方約700メートルのところには「閼伽桶(あかおけ)の井」がある。
 9世紀から16世紀頃にかけて春日大社へ奉納していたという記録が残っています。平成14年11月に425年ぶりに復活して続いているという嬉しいニュースがあります。
 桶が赤く塗られているのは、仏教で聖水のことをアカ水ということや、赤桶のもとは、ラテン語で水を意味するアクアから来ていると言われているようで、いずれにしても水の神様が座するに相応しいところなのでしょう。
 
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  三重県松阪市白粉町357-5
TEL 0598-23-0663 FAX 0598-23-0664

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四五百森・本居宣長ノ宮


 四五百森(よいほのもり)に鎮座する本居宣長ノ宮の御祭神は、秋津彦美豆櫻根大人こと本居宣長翁と相殿神 神霊能真柱大人こと平田篤胤翁です。
 明治初年、川口常文等が本居宣長翁を神として祀る運動を起こし、明治8年山室山の本居宣長翁の奥墓の傍に社字を建て、山室山神社と号し祭祀したのが創祀です。明治22年に現松坂市役所所在地に遷座、明治36年県社に昇格、大正4年現在の鎮座地に遷座。昭和6年本居神社に改称。平成7年社号を本居宣長ノ宮に改称。全国的にも珍しい氏子の居ない神社ですが、受験シーズンには地元だけでなく市外からも受験生と家族が訪れます。

 実在した偉人を祀るというのは、大昔で言うと菅原道真(天神)や平清盛(首塚)、近世の日本だと徳川家康(日光東照宮)や上杉謙信(上杉神社)、乃木希典(乃木神社)など、どちらかというと武士・軍人が多いのかもしれません。武士以外だと鹿児島の唐芋神社とかでしょうか。中国で言うと孔子廟や関帝廟になるんでしょうかね。大別すると、魂を鎮める系統と、功績をたたえる系統があるように思いますが、本居宣長ノ宮は、もちろん功績をたたえる系統でしょう。

   1959年4月に建てられた、宣長の歌碑 
 「しきしまのやまとこころをひととはばあさひににほう山さくらばな」

   1970年11月に牧戸正平氏より寄進された石の駅鈴

 学問の神様として今もなお敬愛されており、合格祈願、七五三、初詣などで多くの参拝客が訪れている

 とても静かで癒されるお宮さんです。隣にある松阪の産土神の松阪神社とお参りください。

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北畠神社の紅葉はお見事!


 津市美杉町上多気にある北畠神社の主神は、初代伊勢国司北畠顕能公、配祀を北畠親房公・北畠顕家公です。創建に際しては、寛永20年(1643)に北畠氏の一族とも家臣ともいわれる鈴木孫兵衛家次という人が、旧縁のこの地に祖霊を慰めるべく小祠を建てたのが最初のようです。

 このところの冷え込みで、境内と国の文化財に指定されている「北畠氏館跡庭園」の紅葉は見事なものです。拝殿の正面には、天狗の面が飾られていて霊験ある山の神様という風情です。

 北畠氏館跡庭園とは、北畠神社の神苑にある庭園です。別称として「北畠庭園」「伊勢国司居館跡庭園」など色々呼び名があります。昭和11年9月に国の「名勝及び史跡」に指定されました。この庭園の作成時期については以前は色々諸説が乱立し、南北朝時代につくられたのではないかとか戦国の時代につくられたのではないかとか主張されていましたが、現在では管領細川高国の作と決着しています。

 この庭園の総面積は約850坪で庭のジャンルとしては武家書院庭園という種類です。池泉観賞様式であるため中央部には池があり、古くから「米字池」と呼ばれ汀線が複雑に屈曲し、護岸の石にも工夫された配列がほどこされている。この石が約500年の風雨から池を守護しているのです。築山に関しては、樹齢400年以上の杉の大木が立ち並び、その山裾にひろがる枯山水もすばらしい景観を与えてくれます。また中央方面には6尺4寸の立石(孔子岩と呼ばれている。)があり、これを取り巻くようにして数十の石が並んでいます。江戸期には各石に訪れた著名人らが各々名称を付し、仁王石・達磨石・三人唐子石・船石・虎石・大黒石などが代表的なものです。現在はどの石がどの名称かは判別不可能ですが、一つの石に対して数個もの名称が付されるということはこの庭が訪れる人々にとって、忘れ得ないところだったのでしょう。この石が生存しているかと思える石組、岸石巧妙配列の池泉、巨木の生い茂る築山、これらを見ていると京都などにある庭園とはまた違う、素朴・豪放という感じがします。

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能褒野神社(のぼのじんじゃ)


 四日市から鈴鹿、亀山にかけて日本武尊の陵墓と伝えられる古墳がいくつかあったが、明治12年(1879年)、内務省が「王塚」あるいは「丁字塚」と呼ばれていた前方後円墳が日本武尊の墓であると治定し、能褒野陵とした。
 地元の有志により日本武尊の遺徳をしのぶため能褒野陵周辺での神社の創建が企画された。 明治16年に神宮祭主・久邇宮朝彦親王より「能褒野神社」と社号が選定され、明治17年3月に能褒野陵の側に神社創建の許可を得、有栖川宮その他の宮家から幣帛料をたまわった。明治28年(1895年)に社殿が竣工し、神宮祭主・賀陽宮邦憲王より御霊代を拝戴して鎮座祭がとりおこなわれた。


 社殿の中には、日本武尊の大きな御旗が掛けられています。


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