「松阪の一夜」として知られる宝暦13年(1763)、本居宣長翁は、松阪市日野町の旅館「新上屋」に宿泊中の尊敬していた賀茂真淵との対面を遂げることができました。そこで真淵に古事記研究の志を告げ、真淵もこれを激励してくれ、同年末に宣長は真淵に入門しています。
翌明和元年(1764)、宣長35歳のときに古事記の研究に着手し、35年の歳月をかけて、寛政10年(1798)69歳で全44巻の「古事記伝」を完成させています。古事記伝は古事記の精密な解釈の書で、古代史研究の大成として、かつてだれもなし得なかった独創的な研究といえます。そんな中、宣長さんは、天明2年(1782)53歳のときに2階の物置を改造し、四畳半の簡素な書斎をつくっています。この小さな部屋が「鈴屋」で、宣長は研究に疲れると36個の小鈴を連ねた柱掛鈴を振って、その音を楽しみ癒されていました。
本居宣長翁は、本当に日本らしい文化とは何かを考えていたようです。仏教や漢文学、蘭学などは、海外から来たもので日本古来からの伝統あるものを伝えるのは、「源氏物語」以前の書物であると確信していました。
古事記の研究を始めるにあたって、最初の文字「天地」をどのように発音していたかが非常に大切なことで、読み方によって意味が全然違うと考えた。この最初の文字の解釈だけで数年も費やしたということです。
宣長さんは、自分で6個の小鈴を6ヶ所に赤い紐で結び、柱などに掛け、紐の端を振って鳴らす「三十六鈴の柱掛鈴」を作って鳴らしていたそうです。現在、本居宣長記念館に保存されている柱掛鈴は、長男春庭の作ったレプリカで、オリジナルは残念ながら現存していません。
宣長さんのシンボルは、なんといっても桜と鈴です。桜は一人の人としての象徴です。宣長さんは吉野水分神社の申し子として生まれ、山室にある奥墓の上には山桜が植えられています。鈴は書斎名「鈴屋」に象徴されるように学者としてのシンボルであったのです。
この家には宣長の子孫が明治時代まで居住していましたが、1909年(明治42年)鈴屋遺蹟保存会の手によって松坂城二の丸跡地に移築され、宣長当時の姿に復元された。1953年(昭和28年)本居宣長旧宅と移築前の魚町の跡地は国の特別史跡に指定されました。
宣長が診療を行った「店の間」や講釈や歌会に使用した「奥の間」など一部が公開されていますが、二階の書斎「鈴屋」は保存のため立ち入ることはできませんが、外の石垣の上から内部を見ることができます。
桜の季節に鈴屋をご覧になってください。
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