持ちさらわれた道標


 松阪市小片野町下出の伊勢本街道と和歌山街道の分岐点にあたる国道166沿いにあった道標は、上部が破損して下半分が埋まっていましたが、3年ほど前に盗掘されなくなってしまった。誰かコレクションで持っているのでしょうか。歴史の一部分を独り占めしないで、もとの位置に帰して皆さんがいつまでも忘れないようしてほしいものです。

 最近のウォーキングブームで、たくさんの人がリュックを背負ってこの国道を横断して伊勢本街道を神宮へ歩く姿をよく見かけます。アスファルトの道になってもお参りに行く気持ちは、江戸時代と同じ感覚なんでしょうか。趣味の仲間とおじゃべりしたり景色を楽しんだり、健康や体力向上にと歩く方が多いのでしょう。現代は、好縁社会になっているようです。
 この先に半肉彫りのお地蔵さんがあります。 「右 山田六里 観照 左 松阪 三里 弁慶」とありますが、今は、国道と県道の間になってしまい車や人通りがほとんどありません。歩るいて行かないと見逃しています。

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花のトンネル


  サザンカの大木がある松阪市飯南町粥見の高瀬さん方の見頃となった花を楽しんできました。今夏の猛暑のためか、例年より半月ほど遅れているそうですが、ピンクの大きな花のかたまりが高さ12メートルの木にびっしり付き、甘い香りを放っていました。

 この大木は、市の天然記念物で樹齢120?150年。幹回りが1.5メートル、枝は15メートルほどに広がっている。花が農道を覆い、トンネルのようになっています。一見の価値はありますので、ぜひともご覧になってください。
 


 松阪市飯南町は、お茶の産地。絶妙な味わいの深蒸煎茶は、絶品です。今年のお歳暮はこれにしました。清らかな水と山の風をいっぱいに受ける素晴らしい自然の恵みをいただいてください。
 
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和歌山街道 珍布峠と礫石


 珍布峠(めずらしとうげ)は、R166からはずれて旧和歌山街道の宮前と赤桶の間にあり、国分け伝説の残る史跡です。
 伝説によると、天児屋根命(あまこやねのみこと)がいう国境に疑問をもった天照大神(あまてらすおおみかみ)が、そばにあった大岩を川に投げ込み、その波の止まったところを国境に定めたといわれています。
 その二人が出会った場所が“珍布峠”で、投げ込んだ大岩がその近くの川の中にある“礫石(つぶていし)”です

  和歌山街道は、伊勢参宮の道者が行き交う道であるとともに、紀州の殿様が江戸と地元を行き来するのに使った道で、殿様の行列が通る際は、付近の村々から人足を調達してこの峠を越えたそうです。宮前から山に入り「死人谷」「道行谷」などを経ると、珍布峠に至ります。険しい山道をふさぐ巨岩を削り取った切り通しの景観は圧巻です。まさしく和歌山街道で最も強いパワースポットの一つといえるところです。

 礫石(つぶていし)?国分け伝説
 むかしむかし、ある日のこと。天照大神(あまてらすおおみかみ)が白馬に乗って旅をしていました。飯高町の赤桶(あこう)にさしかかった時、「誰か、この地の国境を知るものはいないか?」とお尋ねになりました。
 すると、水屋の森から春日の神でもある天児屋根命(あめのこやねのみこと)が現れ、「この下の“堺ヶ瀬” が伊勢と大和の両国の堺でございます。」と答えられました。ところが大神はその答えに満足されず「この堺はちょっとおかしい」とおっしゃられ、石を川に投げ入れて、波の止まるところを国境と決めることになりました。
 大神はそばにあった大石を軽々と持ち上げ礫のように川の中へ投げ込まれました。川水は滝のように流れ落ち、後にそのあたり一帯は「滝野」と呼ばれるようになりました。また落下した水は川上へ流れ込み、その波の様子からそれぞれの地名を「加波(かば)」の里、「波瀬(はぜ)」の里、「舟戸(ふなと)」の里、そして波は止まったところを「波留(はる)」と名付けました。波は高見山にまで達し、大神はこの日から高見山を伊勢と大和両国の国境とするとお決めになりました。(旧飯高町ホームページより)

 『倭姫命世紀』によれば、垂仁天皇二十二年、天照大神がご鎮座される地を求めて伊勢に入られた倭姫命がこの地を旅したとき、お迎えした飯高氏の族長、乙加豆知命(おとかずちのみこと)にこの地の国名を聞かれ、乙加豆知命が「飯高国」と申し上げると、「飯高(ご飯が茶椀に高々と盛られている)とは貴い」とおよろこびになったという倭姫命の碑が礫石に向って建てられています。

 

 車が停めれる所から櫛田川に沿って400mほど歩いていきます。眼下に見える清く澄んだ川と景色に癒されます。


 車を停めることのできる所には、お地蔵様と常夜灯が安置されていますが、もとは礫石の上にあったそうです。お参りしてからでかけましょう。

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和歌山街道 大河内


 松阪市大河内町のR166根木峠口信号のそばあるの運送会社車庫裏の旧街道に自然石に大きく「左大師道」書かれた道しるべがあります。江戸時代には、ここから根木峠をこえて茅広江から丹生に続く道が大師道となります。これほど大きくはっきりとわかりやすい道標は、あまり見かけられません。


 旧道をはさんだ前には、「南無阿弥陀仏」「金剛大日」と刻まれた石碑があり、街道全体として石ものが少ない感のある和歌山街道において、一箇所に4つも立つこの場所は、希少価値があるかもしれません。


 大河内城は、街道から坂内川を渡った先の標高110m余りの丘陵突端部に築造されており、城地の東裾と北裾とを阪内川と矢津川が洗い、西側と南側には深く谷が入って自然に要害の地を形成している。

 永禄12年(1569)、織田信長が南伊勢攻略の大軍を発したとき、伊勢国司北畠具教は本拠を多気(津市美杉町多気)よりこの城に移し、補強して信長の軍勢を迎えうった。
 八月末より一ヶ月余りも戦いは続いたが、北畠軍は利あらず、信長の二男信雄に家督を譲る条件で信長の軍門に降り、具教は城を退去した。
 天正4年(1576)、信雄は南伊勢を統治する拠点を田丸城(度会郡玉城町)に移し、廃城とした。
 現在は、本丸跡・二の丸跡・西の丸跡と呼ぶ台状地や平坦な馬場跡、土塁や堀切りが城のおもかげを残すにすぎない。


 大河内神社は、丹生寺町に近いR166と坂内川のそばにある立派な神社です。車を停めて参拝してみてください。癒しとパワースポットです。

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和歌山別街道 丹生


 松阪駅から15kmほど離れた櫛田川の中流に多気町「丹生」があります。江戸時代は和歌山別街道の宿場町としてにぎわっていたところですが、歴史は古く奈良時代以前より水銀の産地として記録が残っている弘法大師ゆかりの由緒あるところです。
 丹生の街道筋には道標が点在し、かつての風情を残しています。伊勢神宮への参詣や高野詣のほか、近長谷寺、金剛座寺へと足を向ける旅人も多くあったと思われます。また、この辺りの集落には、宿屋や茶屋・酒屋・古着屋・餅屋などの商家が点在していたとされ、現在でも格子戸、切妻屋根のある民家が美しい家並みを残し、当時の面影を今に伝えています。

 丹生の大師さんといわれる神宮寺の大師堂の奥に丹生都比売(ニウズヒメ)神社があります。「丹生」とは、丹砂(朱砂・辰砂ともいわれ、水銀(Hg)の原鉱石である硫化水銀(HgS)のこと)を生ずる意味である。
  また、特殊な採鉱民としての一族丹生氏の活動と関連づけ、その植民的進出の跡とみることもできる。神社の祭神である丹生都比売は、丹砂を掌る女神であるとともに、丹生氏一族の氏神でもあったといわれる。

 唐から帰国した空海は、諸国を巡拝しここにも立ち寄ることとなった。その際、本堂(観音堂)の梁に勤操大徳創立とあるのを見て不思議な縁と感激し「すでに高野山に伽藍建立を考えているが、まずこの地に仏閣を建立し衆生をすくわん」と発願し、弘仁6年(815)に七堂伽藍を完成したと伝えられている。
 のちに大師の像は、再度の兵火にも無事免れ、今日なお霊験あらたかに鎮座している。大師堂の本尊である弘法大師像は、大師42歳の自画像で、衆生の厄除と未来結縁のために、自ら刻んで安置されたと伝えられている。

 神宮寺は、真言宗山階派の一等格の寺院で女人高野として多くの信者を集めてきました。毎月21日の例祭には近郷、近在から参詣者が訪れ、わけても春・秋の大会四季は門前や境内に露店が並び、弘法大師の慈悲にすがりたいと願う参訪者で賑わいます。諸願成就をかなえてくれる丹生大師に訪れてみては・・・。

 多気町丹生は、奈良・平安・鎌倉・室町時代、小京都といわれるほど栄えたところで、先ず感動することは、雄大でしかも壮大な山門を見上げると当時の丹生の姿が偲ばれます。山門をくぐると、四季を通じて美しい風景に包まれる境内、また格調高い古刹な建物が丘陵地に建っています。

 現在、紅葉真盛りの境内は、豊かな自然と古刹な建物が見事に調和したパワースポットでとても癒されます。今週はライトアップされた奇麗な紅葉を見に是非お出かけください。
 門前には、交流館ふれあいの館で地元のお土産が手に入り、せいわの里「まめや」は、地元で愛情をこめて、育てられた食材を使用した素朴で昔懐かしい田舎料理をバイキングで提供していて、毎日多くの、お客様が来られています。
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