鈴屋にあがる


本居宣長翁が、松阪市魚町で暮らした家が松阪城跡の現在地に移築され、当時の姿に復元され公開しています。この建物の二階の書斎を「鈴屋」といいますが、普段は、保存のため上がることができません。

  今回、宣長エッセイで最優秀賞を受賞された方の訪問で、特別に上がって見せていただくことができました。

  いつも石垣の上に設置された見学場所から、中を見ていますが、今回は、中から庭や石垣を見ることができとてもいい感じです。

  この部屋で、吉田館長さんのお話を聞いていると、不思議と宣長ワールドに引き込まれていくようで。館長が宣長翁に見えてきます!

  この場所にて、医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆するしたのでしょう。

  あまりにも高さが違う急な階段となっているので、着物を着ての上り下りが大変だったような気がします。

    すごく気がいい清々しい空間でした! ありがとうございました。

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伊賀の風


  伊賀歴史観光を紹介する、「芭蕉気分で!城下町探訪ミステリーツアーに参加するため、伊賀市に行きました!

  だんじり会館に20人が集合して、上野城跡へ入りました。松尾芭蕉ゆかりの地で俳聖殿や、藤堂高虎が築城した上野城を歩きました。

  お城の立派な内堀を見て、高虎の物がまえや構想を聞き、なるほど城作りの名人といわれた考えがわかったような気がしました。

        上野の市街を約8キロ歩いてさすがに足に来ました!

       伊賀市のマンホールの蓋は、忍者のイラストです(^J^)

  昼食は、元割烹旅館の九重さんでゆっくりおいしくお弁当をいただきました!

  芭蕉のゆかりの地である、蓑虫庵を訪れ、俳句体験をしました! 庭が広くて気持ちのいいところです。

  町の博物館になっているお茶道具を扱っている「むらい萬香園」でお茶や抹茶アイスをいただきながら、ご主人の楽しいトークに癒されました!

 街なかの美味しいコロッケ屋さんで買い食いしたりして楽し1日でした!

         歴史と文化が触れ合える街、伊賀上野でした!

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松浦武四郎とアイヌの人


  今日は、松浦武四郎記念館にお邪魔して、山本学芸員さんからお話を聞くことができました。松浦武四郎翁は、文化15年(1818年)2月6日、松阪市小野江町に松浦家の四男として武四郎は生まれました。父親は干支にちなみ「寅」と関わりの深い竹に、四男の「四」をつけ「竹四郎」と名づけられました。

  好奇心旺盛で、やると決めたらとことんやる性格の武四郎翁は、28歳で蝦夷に渡たり、最初、商人たちの援助を受けましたが、後は、自分で探索に道なき道をアイヌの人達に手伝ってもらいながら合計6回も行い、択捉島にも渡っています。そして見事に北海道の地図を書き上げています。

  航空機や電車,自動車のない時代に,アイヌ民族の協力を得て,歩いて調査をおこなった武四郎翁は,その土地の様子をスケッチし,アイヌ語の地名,地形,動植物,アイヌ文化など見聞きしたことを事細かに記録しています。
一私人として誰から頼まれたわけでもなく,個人の意志で始めた調査であったが,3回の調査を終え,詳細な調査記録をまとめた武四郎のもとには,ロシアとの対外関係の中で蝦夷地に関心を持っていた各地の大名が使いを送り,その記録を写しに来たといいます。

  武四郎翁は,アイヌ民族の若者が次々と漁場へと連れて行かれ,過酷な労働で倒れていく姿を目の当たりにし,幕府に対し,明日の開発はもちろん大事であるが,それよりもまず今日のアイヌ民族の命と文化を救うべきであるという内容を,調査報告書の随所で訴えている。そして,民族と文化を守るためには,まず人びとにアイヌ文化を正しく理解してもらうことが必要であるとし,アイヌ民族の紹介に努めました。


 お話しの中で、現在、松阪木綿がアイヌの民族衣装に好まれよく使われているということに驚きました。江戸時代に粋と言われ江戸中で好まれていた松阪もめんが、北海道から反物での注文がたくんあるようです。

  武四郎翁が目指していた北海道は,アイヌ民族が安心して暮らすことができる大地です。そのためには,江戸時代にアイヌ民族を苦しめていた「場所請負制度」の廃止と商人の排除などを強く訴えたが,商人たちも自分たちの利益を守るために,長官に賄賂を送るなどして抵抗した結果,武四郎翁は疎外され,意見が聞き入れられることはなかった。そればかりか,政府の開拓政策は先住民族であるアイヌの人びとが長く暮らしてきた土地や生活・文化を奪い,民族としての尊厳を傷つけていくことにつながっていきました。

武四郎翁は,長年の功績が認められ国から従五位という位を贈られていましたが,開拓使を半年ほどで辞職するとともに,この従五位を国へと返上している。そこには,政府のアイヌ民族に対する政策への反発とともに,地位や名誉ではなく,アイヌの人びとを守るために力を尽くしたが果たせなかった無念な気持ちでいっぱいだったことと思われます。

松浦武四郎記念館で、蝦夷地であった江戸から明治のしらざる知識をたくさんいただいことに感謝しています。

  今から150年前の江戸時代,武士を頂点とする社会では,すべての人びとが平等ではなく,人権という考え方は多くの人びとの心の中には芽生えていませんでした。

その中で,アイヌ民族の人権を守るために力を尽くした武四郎翁でしたが,ともすれば閉鎖的で同調を強いる社会構造の中で,彼はなぜアイヌ民族の文化を受け入れることができたのでしょうか。その答えは,彼が蝦夷地へ渡るまでの間にあると思われます。

武四郎翁の生家は伊勢参宮街道沿いにあり,小さい頃から多くの旅人を見て,その姿に刺激を受けて育ったいたのです。

そして,若い頃から全国各地を歩き,各地の文化に触れ,学者に出会い,見聞を広めることで,さまざまな考え方,価値観を受け入れることができる広い心をもつ人間へと成長していったのでしょう。

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芭蕉祭が命日


  旅に生き、旅に死んだ漂白の詩人、松尾芭蕉翁は元禄7年(1694年)10月12日、51歳で亡くなりました。その翌年から、伊賀上野では毎年、翁の遺徳を慕う者が集い、「しぐれ忌」が営まれてきました。その後、昭和22年からわが国の詩歌史上に「俳諧」という庶民詩を確立した芭蕉翁の偉業を顕彰するため、「しぐれ忌」は「芭蕉祭」へと改められました。

  上野公園に俳聖松尾芭蕉を顕彰するために建てられた壮大な殿堂の俳聖殿は、木造檜皮葺き屋根の二層の塔建てで、初層は八角、二層は丸型という八角重層塔建式の特殊な構造の建物です。旅に生涯をおくった漂泊の詩人芭蕉翁の旅姿を象徴しています。二階の屋根は旅笠、「俳聖殿」の文字(故川崎氏の書)辺りは顔、一階の八角型の屋根は衲衣(着用していた衣服)の肩から腰の姿、その屋根を支える周囲の柱は足と杖を表しています。

  俳聖殿内には伊賀焼の芭蕉翁座像が安置されています。原型は芸術院会員の故長谷川栄作氏が製作、伊賀焼の研究家としても知られる故川崎克氏が自ら築いた伊賀窯をもって焼き上げたもので、等身大の伊賀焼はかつての陶窯の歴史に例を見ない大作であり、穏やかな風貌の瞑想像は陶芸芸術の傑作といわれています。


  10月12日の芭蕉翁の命日にはここで「芭蕉祭」が挙行され、翁の業績を称え遺徳を偲ばれます。そして、全国から応募された俳句や連句が芭蕉翁像に奉納されるほか、「芭蕉祭」創設時からの選者献詠句並びに特選句、俳文学研究の優秀著作に贈られる文部大臣奨励賞の懸額もここに 永久保存されています。この全国俳句大会や芭蕉翁遺跡参観などは、山都伊賀上野にふさわしい、文化薫る歴史のまちの象徴といえるでしょう。旅人と建築をひとつのものとして表現した日本でも類例のない俳聖殿は、建築美術の上でも傑作といわれます。

  松尾芭蕉翁は、寛永21年(1644年)に現在の三重県伊賀市に生まれました。伊賀上野でも熱心に活動していた窪田政好・保川一笑らから俳句のてほどきを受けた芭蕉は、20歳になる前に京都の北村季吟に師事して本格的に俳諧の道へ進みました。旅の作品を作り始めまたのが41歳からで「野ざらし紀行」、「更科紀行」、「奥の細道」、「嵯峨日記」等です。


      1644年の芭蕉翁生誕の場所は史跡に指定されています。

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蒲生氏郷公のふるさと


  天正12年(1584年)豊臣秀吉により、滋賀県日野町から松ヶ島十二万石に封じられた蒲生氏郷公は、天正16年、四五百(よいほ)の森に城を築き、この地を「松阪」と名付けました。
 氏郷公は、は弘治2年(1556年)滋賀県蒲生郡日野町に、六万石の大名蒲生賢秀の嫡男として生まれました。永禄11年(1568年)蒲生賢秀は織田信長に降り、氏郷(幼名鶴千代)は人質として信長に仕えますが、信長は一目で鶴千代の非凡さを見抜き、翌永禄12年にはわが娘冬姫を氏郷に与え、若年ながら武将の列に加えたといわれています。当時、文武兼備の武将として有名な稲葉一鉄は「この子の行く末は百万の将たるべし」と賞賛したと伝えられています。

  日野町では、蒲生氏郷公を郷土の誇りとして顕彰するため、大正8年(1919)日野町上野田・ひばり野に銅像が建設されましたが、昭和19年、第二次世界大戦に資源として供給されその後、幾度か再建への努力がかさねられました。
 現在の銅像は、銅像建設審議会の答申に沿って、地域活性化及び景観対策事業として起工、地域の建設協力会はじめ、各地の多くの方々の尽力と協賛のもとに昭和63年(1988)4月に完成しました。

  松阪で行われる氏郷まつりの50周年を記念して、9月18日にシンポジウムを開催します。そこの日野町長様と氏郷顕彰会の関係者様の参加依頼をしに町役場にお邪魔しました。

  日野商人の特徴の一つには日野で造られた漢方医薬の販売があり、これが大きな利益を上げる一つになりました。
 正徳四年(1714)に正野玄三が造り出した萬病感応丸は日野を代表する薬となって全国に広められました。ここは、現在、観光協会に利用されています。


  近江商人の中でも、日野地方出身の商人を日野商人と呼び、他の近江商人と比べ出店数においては群を抜いていました。
 しかし大店といわれるものが少なく、千両もたまれば新しい店を出すといわれるくらい小型店の拡張が多く、このことから日野の千両店という名称が生まれたようです。



  風流郷邸(ふるさとてい)は、日野町商工会が、先人の残した遺産を地域の活性化に役立てようと、商人屋敷の活用をするため、約120年前に建てられた屋敷を借り受け、地元の物産品を販売するなど、人やモノ、情報の交流拠点を目指しています。ここに手作り甲冑が展示されています。


  新名神高速道路の土山SAでも、松阪と氏郷まつりをPRしました。

  真夏の暑さの中で、甲冑を着てのPRは大変でした。お疲れ様です。

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住所:三重県松阪市日野町12
TEL:0598-23-0663
営業時間:9:00 ー 18:00
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