夜の神様 月読宮 


  近鉄・五十鈴川駅から約10分で、月読宮に歩いて行けます。内宮と外宮を結ぶ御幸道路沿いのこんもりとした森に4柱の神様がお祀りされています。月讀宮(つきよみのみや)、月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)、伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の四宮が一列に並んで建てられています。

  大昔、月読宮の辺り一帯は五十鈴川の川原であったといわれています。月読宮は現在地から北に向かった二光の森に祀られていましたが、仁寿二年(852)の大洪水に遭遇し現在の地に奉納されました。月読の森には四社が並び祀られ、向かって右から二つ目が月読宮で御祭神は天照大神の御弟神にて月の神様として月の世界を支配し水の干満を支配する水利農耕の神様です。向かって右側のお宮は月読尊の荒御魂をお祀りされています。足利氏の末世にいたり造替遷宮が行われず中絶となったため月読宮に合祀され、明治六年に御神殿を造立することができ荒御魂をお迎えし復旧しました。向かって左から三つ目は天照大神の御父神、伊佐奈岐命をお祀りする伊佐奈禰宮、向かって左端の社の御祭神は天照大神の御母神、伊佐奈禰命をお祀りする伊佐奈禰宮でした。戦国時代に造替遷宮を行うことができず伊佐奈岐宮に合祀されていましたが、明治六年に復旧しました。


  月読尊は、外宮の別宮に祀られている月夜見尊と同神で、天照大御神の御弟神になります。さらに、こちらの月讀宮では、その月讀尊の荒御魂、御父神のイザナギノミコトとイザナミノミコトも祀られています。天照大御神のご家族の神様ということになりますね。ところで、一番下の弟のスサノオノミコトは、伊勢神宮の125にも及ぶどの社にも祀られていません。
 黄泉の国から戻った、イザナギノミコトが、禊をしている時、最後にうまれた三柱の神々は、左の目をお洗いになった時に出現したアマテラスオオミカミ(天照大御神)、右の目をお洗いになった時に出現したツクヨミノミコト(月読命)、鼻をお洗いになった時に出現したスサノオノミコト(須佐之男命)です。
 イザナギノミコトは、「わたしは、これまで多くの子を生んだが、一番最後に貴い三人の子どもたちを得た。」とお喜びになられました。そして、ご自分の首にかけていた玉の首かざりをゆらゆらと鳴らせながらアマテラスオオミカミに授け、「あなたは、天を支配しなさい。」とおしゃっいました。次にツクヨミノミコトに「あなたは、夜の国を治めなさい。」といい、スサノオノミコトには、「あなたは、海原を治めなさい。」とおっしゃいました。
 月読宮は、天照大神を祀る内宮のような太陽パワーではなく、疲れたり、傷ついたものを回復させる夜の力なのでしょう。

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皇女 倭姫命


  倭姫命(やまとひめのみこと)は、第11代天皇垂仁天皇第4皇女で、景行天皇の妹であり、日本武尊の叔母とされています。
 大和にご鎮座されていた天照大神の御杖代として大和国から伊勢にご鎮座奉り、伊勢神宮創祀した倭姫命はアマテラスをお祀りする最良の地をもとめ 伊賀 近江 美濃 尾張を旅し伊勢の国に入った ここでアマテラスから神託があり、ここに鎮座すると仰せられ”是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國
(この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ)

  倭姫宮は、大正時代に外宮と内宮の間の倉田山に創祀され、すぐ前に神宮徴古館・農業館・美術館・神宮文庫・皇学館大学等の学校があるところで、伊勢神宮に関係する施設が集約されている場所といえます。古代からの由緒ある神宮にあって新しい神社ですが、それほどまでに神宮関係者や市民から敬意を持たれていた神様なのでしょう。

  倭姫命の役割であった、「御杖代」とは皇大御神の御杖となって、ご神慮を体して仕えられるお方のことです。倭姫命から後、代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に遣わして皇大御神に奉仕させられましたが、このお方を斎王(いつきのみこ)と申し上げます。倭姫命は皇大神宮ご鎮座ののち、神嘗祭をはじめとする年中の祭りを定め、神田並びに各種ご料品を奉る神領を選定し、禰宜(ねぎ)、大物忌(おおものいみ)以下の奉仕者の職掌を定め、斎戒(さいかい)や祓(はらえ)の法を示し、神宮所属の宮社を定められるなど、神宮の祭祀と経営の規模を確立されました。
 斎王の住まいは、伊勢から10?ほど離れたところで、年間に3度神宮へ出かけるだけで、斎宮で神祭りを中心に生活されていました。

  伊勢の神宮には125の社と年間1500回を越えるお祭りがあります。神宮徴古館では、祭典の関係資料や御装束神宝、 歴史や参宮についての史料を展示。農業館では、自給自足の伝統を守る神饌など、農林水産関係の標本・資料を展示。 通常の参拝だけではうかがい知ることのできない神宮の精神文化を体感していただけます。
 国の重要文化財11点を含む、歴史・考古・美術工芸品など約13,000点が収蔵展示されており、見ごたえがあります。
建物も、ルネッサンス様式の重厚で格調ある外観が素晴らしく、広々とした雰囲気でゆったりしています。倭姫宮に参拝してから訪問してください。

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  徴古館から御幸道路へ出る信号の正面に、御師「福島みさき太夫」屋敷から移築された通称黒門があります。しゃちほこが乗っかるりっぱなもので、数少ない御師遺構の1つです。この黒門は、安永9年(1780)に建築されたものです。また、伊勢市の指定文化財になっています。


和御魂・荒御魂(にぎみたま・あらみたま)


  伊勢神宮の外宮は、正式には「豊受大神宮」といい、古くは豊受宮、度会宮とも称され、祭神は天照大神の御饌都神です。豊かな食物の神であることから衣食住、ひいては産業全般の守護神として広く崇められています。
 ご鎮座について、「大神宮諸雑事記」によると、478年雄略天皇の夢に天照大神が現れ「丹波の国、比冶の真名井(京都府天橋立)にいます、わが御饌都神の等由気大神をわがもとへ迎えたい」と仰せられたので、今の地に御饌殿を設けたといわれています。皇大神宮の鎮座から500年後のことです。
 外宮では、鎮座より現在まで1日も欠かすことなく、毎日朝夕の二度、大神をはじめとする神々に御饌を奉り、国家の安寧と皇室の弥栄を祈念する「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」と呼ばれる祭典が行われています。

 和魂と荒魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、外宮の正宮(和魂)と多賀宮(荒魂)といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっている。また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされている。


 和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れであるのに対して、荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。このことから、正宮でのお参りは、日々の生活や無事を感謝するようにして、お願い事や勇気をもらうことは、荒祭神でお参りするときに行うのがいいとされています。


外宮の正宮社殿は、内宮と同じ唯一神明造ですが、千木の先端が、内宮が水平であるのに対して、垂直に切られています。また、屋根にある鰹木の本数が内宮より1本少ないんです。

 外宮の別宮、多賀宮(高宮)は、九十八段の石階を昇った丘の上に鎮座し、豊受大神の荒御魂をお祀りしています。内宮の荒祭宮と同様に正宮に続いて祭典が執り行われ、奉幣の儀には正宮と同様に勅使が参列し、式年遷宮の諸祭も正宮と同様に同じ年に行われています。「第一別宮」として特別扱いの格を持っています。

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風日祈宮橋(内宮)


 伊勢神宮・内宮の別宮であります「風日祈宮(かざひのみや)」にお参りするには、島路川にかかる風日祈宮橋を渡ることになります。晩秋の橋からの風景は、神宮で一番素晴らしい景色の一つです。式年遷宮の一つとして今年九月には、新しい橋が渡れるようになりました。昨年の宇治橋ほどは注目されませんでしたが、静かな森の中で檜の匂いが清々しいです。

 内宮の背後にある山と原生林から流れてくる川の澄んだ美しさと、紅葉と緑のコントラストは、心をわしづかみにして洗ってくれます。この川の上流は、伊勢道路と寄り添うように流れていますが、この道沿いの紅葉も是非体験ください。

 風日祈宮の祭神は、級長津彦命(しなつひこのみこと)と、級長戸辺命(しなとべのみこと)で、内宮の祭神である天照大神が太陽神なのに対して、風雨をつかさどる神々です。
 この宮が内宮の別宮に「出世」したのは、13世紀、元が日本に攻めてきた、いわゆる蒙古襲来がきっかけです。
 蒙古軍団の強大な武力に危機感を抱いた朝廷は、全国の有名寺社に対し敵国降伏の祈祷を行うよう命令します。風日祈宮でも祈祷が行われた結果、神意により博多湾に神風が吹き、侵略者どもは撃退され、神国日本は防衛されたのです。この御神徳をたたえ、別宮に昇格したといういわれがあります。

 神楽殿の向いにある参道から橋を渡って風日祈宮へお参りに行きます。


 神楽殿横では、新春の初詣の準備がすすめられていました。年末年始、たくさんの人たちがお礼参りやお願いに訪れにぎやかな季節を迎えます。もう師走になりこの1年間無事過ごせたことは、神恩感謝です。

   神楽殿前には、菊の大輪が飾られていました。
御神楽(おかぐら)は「神遊び」とも言われ、太古から神事に用いられてきた歌舞で、大御神の広大な御神恩に感謝の気持ちをささげるために奏するものです。

 江戸時代には「おかげ参り」とよばれる伊勢神宮参拝の大ブームがおこりましたが、この伊勢神宮で御神楽をあげることが人々のあこがれでした。
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外宮の朔日参り(ついたちまいり)霜月


 朔日の伊勢神宮は早起きです。いつもより早く起きて、無事に過ごせた一ヶ月を感謝し、新しく始まる一月間の息災をお祈りする「朔日参り」の習わしがあります。
 台風が通り過ぎ、雷を伴った大雨の上がった早朝の神宮は、すがすがしく澄みきった空気に心身とも癒され元気が出てきます。今年も残り二ヶ月となり、身が引き締まる思いです。
 毎月一のつく日には、神馬もお参りします。一日、十一日、二十一日の三度、神職と護衛官に伴われ、紫地に白く染め抜いた菊花紋章の馬衣を着け参道を歩いて行き、御正殿の前で御辞儀をする姿が見れます。

     豊受大神宮(外宮)の御正殿前の「草音号」

 豊受大神宮(外宮)の祭神は天照大御神の御饌都神(みけつかみ)である豊受大神である。祭神名の中の「ヶ」とは、食・饌のことであり、その名は豊かな食物の神であることを意味し、衣食住、ひいては産業全般の守護神として広く崇められている。

  拝殿のそばにある、三ツ石は、式年遷宮の時、お祓いをする場所ですが、この石の上に手をかざすと温もりを感じるパワースポットとして有名です。

  朝の外宮は、ピンとした空気に包まれていて、清々しい気持ちで参拝できます。


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