職人町?清光寺


 松阪市中町にある浄土宗、三緑山清光寺。749年(天平21年・天平感宝元年・天平勝宝元年)創建。知恩院の末寺で、松阪城を建設した武将・蒲生氏郷の菩提寺でもあります。元禄4年(1691)現在地に移り、度重なる社殿消失後を経て、現本堂は、明治43年(1910)建立。本尊(阿弥陀如来坐像:国指定重要文化財)及び脇侍は、京都から遷座したものといわれています。

 本堂の賽銭箱の前に牛のご焼香台があると思って近づいてよく見ると象のようです。牛に惹かれて松阪だからとつい勝手な想像をしてしまいました。

 1956年(昭和31年)10月15日に参宮線六軒駅で発生した列車衝突事故で亡くなった42名の追悼碑が境内にあります。

 いつも綺麗に掃除が行き届いています。

 美味しいうなぎ専門店「大口屋」さんとの境界に建っています。


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  三重県松阪市白粉町357-5
TEL 0598-23-0663 FAX 0598-23-0664


大石の不動さん


 松阪市大石町にある石勝山金常寺不動院は、約1,200年前の弘仁 3年(812年)に建立された弘法大師空海上人が開創と伝えられる真言宗のお寺です。ご本尊の不動明王像は、弘法大師が当地を訪れた時、当地の青石を刻んで安置したと伝えられています。
 現在の本堂は、今から 400年以上前の慶長 7年(1602年)松阪城主古田重勝公が再建したものです。


 本堂のすぐそばに夫婦の滝といわれる不動滝があります。暑い夏には涼を求める人が訪れ、マイナスイオンがたっぷりのヒーリングスポットです。

 本堂から国道166号線を100mほど北の小片野町との境に「ほうろく岩」という国道にせり出した大きな岩があり、この岩面に「ムカデ蘭」という蘭科の植物が群生しています。
 昭和2年に国の特別天然記念物に指定されました。

 大石不動院と前を流れる櫛田川と奥香肌峡のその周辺は、いよいよ紅葉が見ごろになりました。また、池にはたくさんの鯉が悠々と泳いでいます。
 葉と枝は硬くて細長く根をあちこちから出しムカデに似ています。春、白い新しい根をはり真夏に、米粒程のピンクの小さい可愛い花をつけます。ここはパワースポットですので、ぜひご覧ください。

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松阪市白粉町・常教寺


 松阪市白粉町465番地にある「常教寺」は、浄土真宗高田派の寺院です。1671年に松阪市駅部田(まえのへた)町から移ってきたようでうす。本堂の建立は1799年。
 弊社のご近所で、白粉町では、同じ4組(町会)なんです。
 市指定の文化財「木造阿弥陀如来立像」が安置されています。通肩で肉髻、地髪とも低く、螺髪はやや粗い。眉長く、わずかに開く玉眼の目尻は少し上がる。鼻はほそく、口は小さくまとまる。肩はなだらかで、胸が張り、腹の出は少ない。左肩から左腕や腹部、そして両脚間へ垂下する衣文には淀みがない。左肩前と右腹前に衣文のたたみがあり、時代の好みを示している。なお、さし首で左手第三指先が欠ける。もとは笹川町字只越の地蔵堂に安置されていたが、明治末の廃寺の際、個人蔵となったが常教寺に施入された。


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弥勒院善福寺


 松阪市日野町、弥勒院善福寺(みろくいんぜんふくじ)は、真言宗高野山金剛峰寺の末寺で毎年2月の節分には、『星まつり』が行われ、一年間の安全祈願・祈祷・古い人形や御札の炊き上げ、豆まき、餅まき、火渡り等が行なわれる。寺伝によれば、もともと隣接する八雲神社(牛頭天王社)の別当寺だったという。

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松阪市白粉町・来迎寺


 来迎寺は天台真盛宗に属し、永正年間の創建と伝え、松ヶ島にあったが、天正16年(1588)蒲生氏郷による松阪築城に伴い、城下の白粉町に寺地を拝領して現在に至っている。  表門は、文政4年(1821)に竣工した一間鐘楼門で、大棟には瓦の鯱を挙げる。一階が通路、二階に鐘が掛ける。鐘は門より古く貞享元年の銘文がある。扉はケヤキの一枚板。
 本堂などは、享保元年(1716)の松坂大火で焼失したが、程なく三井家などの尽力で再興された。その費用は8700両にもなったという。再興された本堂は現在、国重要文化財に指定されている。
 境内には芭蕉の句碑もある。墓地には、本居宣長次女・小津美濃夫婦や門人・小津信業夫婦の墓がある。近くには三井家の別荘「畑屋敷」もあった。檀家には三井家の他、安南貿易の角屋七郎兵衛一族や、豪商長井家である。
 塔頭・覚性院の戒言は本居宣長の門人。宣長もしばしば覚性院に遊び、桜や紅葉を楽しみ歌会を開いた。

 本堂は、享保11年から再興にかかり、同16年に完成した複合仏堂で、前後に並ぶ外陣(げじん)と内陣(ないじん)を合の間で繋いでいる。前方の外陣は桁行(けたゆき)7間、梁間(はりま)4間、寄棟造、本瓦葺、前面に向拝(こうはい)3間をつける。後方の内陣は、身舎(もや)の周囲に裳層(もこし)を巡らした宝形造(ほうぎょうづくり)、本瓦葺の建物。身舎は方3間、阿弥陀、観音、勢至の三尊来迎像を配し、その背後の壁には二十五菩薩来迎図を描く。本堂は複雑な外観をもつとともに内部の空間構成は豪壮で、意匠的にも優れており、江戸時代中期を代表する建造物である。


 本堂の再興にあたっては松阪が生んだ豪商三井家が深くかかわっており、再興費は8,700両にもなったという。 なお、境内建物のうちで裏門(別記)が最古に属し、現表門(鐘楼門)は文政4年(1821)に、客殿は明和2年(1765)に完成している。


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