火除けの神、愛宕さん 


 松阪市愛宕町の龍泉寺は、熊野街道と呼ばれる国道42号線が横を走っていますが、入り口には、お寺の山門と神社の鳥居が仲良く並んでいるという、ちょっと珍しい光景を見ることができます。お寺の方は「愛宕山龍泉寺」で、真言宗の古刹ですが、もとは愛宕神社の別当寺だったそうです。愛宕さんといわれ市民から親しまれて1月24日、25日の「愛宕大権現」縁日には、農機具販売の市や屋台が出てにぎわいます。

 例年、愛宕さんは寒いといわれていますが、今年は少し良かったですね。平日にもかかわらず、次から次へ参拝客と市を見物に来たり買い求める人がいました。ここの山門は、松阪で一番古い建物といわれていて、桃山時代の建造物かもしれません。

 初愛宕といわれるこの縁日は、火防せ(ひぶせ)の霊験あらたかな竜泉寺で江戸時代から続いているもので、このお札を火の気のあるところに貼っておくと、火事や災難がまぬがれると信じられています。

  全国でも珍しい火の神様を祭ったお寺です。明治政府によって廃止されたはずの神仏習合が残っているのでしょうか。何事にも例外はつきもので、江戸文化が今後も継承されていくことはいいことでしょう。


    松阪肉の名店が寄贈した線香立てと燈籠でしょうか。

 夜になると、無病息災などを願い、火除けの護摩が焚かれた後、山伏姿の先達に続いて参詣者が火の上を歩く「火渡り」を行います。愛宕山龍泉寺は高野山真言宗の古刹。本尊の愛宕大権現は空海(弘法大師)が鎮護国家・万民快楽のために自刻したと伝えられる。今も神仏混淆時代の名残のある寺で、松阪霊地七福神の毘沙門天も祀られています。

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近長谷寺 初観音会


  多気町長谷の和歌山別街道から上った城山に近長谷寺(きんちょうこくじ)があります。千年以上の歴史を誇る古刹で、885年に地元の豪族「飯高宿禰諸氏」が建立した光明寺が始まりで、1690年の大雨洪水で仏閣が残らず破損したため、1694年現在の本堂が快舜によって再建され「近長谷寺」と改称されたようです。屋根は、昭和になって改修されています。
 近長谷寺には、丹生山という名がついていて、隣の丹生大師といわれる神宮寺の管理下に置かれています。

 御本尊十一面観音は、奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺とともに「日本三観音(三体の仏像を一本の樟から造られたものと伝えられている)」のひとつとして広く知られ、全国に二百ヶ寺以上あるといわれる大和長谷型観音に属するもので、なかでも右手に錫杖を添える姿は、日本唯一のものです。高さは、6.60メートル。

 1月18日は、初観音会で開帳していましたが、毎月の例祭である18日と土、日以外は、閉っていますのでくれぐれもご注意ください。なんせ駐車場から急な道を苦労して上がってきてこの十一面観音を拝めないのはさみしい限りと思います。
 二月十八日は、例大祭で厄除け祈祷、護摩法要などを行い、交通安全、学業、開運などの祈願をしに大勢の方が上ってこられます。現在、本堂前は改修中ですので、狭くなっています。


 険しい山道なので、歩きやすい靴にしてださい。昇り口には、親切に杖が置いてありますので、遠慮せずに使って少しでも楽にお参りしましょう。帰り道は、下り坂なので滑って転んだりしないように十分気を付けてください。巡礼の道は平たんばかりではないですね。

 長谷地区には、珍しい車田があります。「車田」は、文字どおり車の車輪のように円形の水田で、地域おこしの一環として5年ほど前から行われるようになったそうです。また、大きさについも「近長谷寺」の十一面観音様にちなんで、半径11メートルとしたところにもこだわりがあるようです。
 現在の全国では「車田」は、新潟県佐渡(国・無形文化財)と岐阜県高山市(市・無形文化財)にしか残っておらず、車状に植えるのは、豊作の神が降りてくる目印とも、恵みの太陽を表すともいわれています。
 この長谷の車田で取れたお米(かぐら餅)は、数キロ離れた手力男命(たぢからおのみこと)を祀る佐那神社へ献上されるほか、地元「近長谷寺」の春季大会式(2月18日)の厄払い餅投げの餅米として献上されていますので、来月の18日は餅拾いに参加しましょう。

 近長谷寺から下ってきて、集落の入り口には山の神さまが地元の方たちによってきれいにお祀りされていました。なごみますね!
 この里山の長谷は、隠れたパワースポットとして紹介したいところです。

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法然上人800年大御忌


  浄土宗の教祖、「法然」は、1133年4月7日、美作の国(岡山県久米郡誕生寺)に豪族の家にお生まれになりました。幼名を勢至丸と名付けられ、両親、一族の深い寵愛を受け健やかに成長されました。
 しかし、9歳の時に父が夜襲にあい、非業の死を遂げてしまうことになりました。父は、臨終間際に少年の法然上人に遺言を言われました。「決して仇を討ってはならない。仇は仇を生み、憎しみは絶えることがなくなってしまう。それならどうか、すべての人が救われる道を探し、悩んでいる多くの人を救ってほしい。」と残しました。

  法然上人は、父死後9歳で、母方の叔父のお寺である「菩提寺」に預けられ仏教に手ほどきを受け6年後には、比叡山に昇り正式な出家の身となり天台宗の勉学にいそしんだ。
 しかし、当時の比叡山は名誉や派閥争い等、俗世間的な争いも多かった。又出家のための仏教であって一般民衆は置き去りにされていた。勢至丸は比叡山の中でも高僧が集い、より修行、修学に励むことが最適な黒谷に隠遁する決意を固めた。

  法然上人の正式な名前は、「法然房源空」。黒谷青竜寺では、比叡山の厳しい修行を勤めると同時に、一切経と向い合って学問にも励んでいった。上人の比叡山での修学は28年間もの長きにわたる。その間、常人では一生かかっても読破できないような膨大な量の一切経を5度も読み返したのであった。そのため「智慧第一の法然房」「ふかひろの法然房」と名声ばかりが広がっていったが、求める教えは見つからず上人の苦悩が晴れることは決してなかった。
  善導大師に導かれて・・・法然上人は「観経疏」という唐の善導大師がお書きになった書物を8度も読み返していた。それには「南無阿弥陀仏と念仏を称えれば、全ての人が漏れなく救われる。なぜなら阿弥陀如来の誓い(本願)だからである」という一文をご覧になった。阿弥陀如来の誓い=本願念仏によってのみ全ての人が救われる。善導大師のご文に導かれ、ようやく長年の苦悩が晴れ「これですべての人々が救われる」という確信を得た。
 こうしてついに承安5年(1175年)43歳の春、法然上人は浄土宗をお開きになったのである。
(浄土宗のお寺と仏壇には必ず向って右側に善導大師をおまつりします)


  法然上人が75歳の時、無実の罪で四国へ流されることになり弟子達は高齢の上人を心配して念仏を止めてはどうかと勧める者もいたが、「たとえ死刑にされるとしても念仏の教えを説くことは決して止めない!」と断固とした厳しい態度で戒めた。そして「長年、地方に行って念仏の教えを説くことが願いだった。今回それが果たせるのも朝廷のお陰である。念仏の教えは止めようと思っても広がっていくだろう」とお話になった。そうして四国へと向い、行く先々で多くの人々に念仏の教えを説いて聞かせたのである。
 罪が許され約5年ぶりに京都に戻った。吉水の禅房は荒廃していたため大谷の禅房(現在の総本山知恩院)にお住まいになったが、高齢と所労が重なりほとんど病床につくようになった。
 亡くなる2日前、横になり念仏しながら過ごす上人に、弟子の一人がどうか形見に一筆書いて下さいと懇願をした。そして念仏の要諦、浄土宗の肝要を『一枚起請文』としてお誓いになられ、書き残してくださったのである。
(「一枚起請文」は現在の浄土宗においてもお勤めの中で拝読しお経と同様にお読みしている)
 建暦2年(1212)正月25日の正午、頭北面西のまま「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の経文を称え、眠るがごとくに極楽浄土へ往生された。80歳のご生涯であった。


 法然上人が亡くなられて今年が800年という節目の年になり、各地で追悼する行事が行われます。京都にある総本山智恩院の大遠忌法要は平成23年3月27日から4月25日までの30日間行われます。「またとない勝縁にお出合いしましょう」とご参詣をPRされています。
 法然上人は、お念仏を称えれば、誰でも極楽往生できるという教えを法然上人が広められたおかげで、初めて、仏教は万民のものになったのです。ぜひご縁をいただきましょう。

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弘法大師 空海


 全国各地に数多くの伝説を残す弘法大師・空海(774?835)。日本の山岳宗教を中国で学んだ密教により体系化し、真言宗を開いた日本史上最大の宗教家。
 空海は、その「空と海」というスケールの大きな名に相応しい、巨大な人物でした。空海には様々な顔があります。
 密教の思想家であり、山々を駈ける山岳宗教者であり、「弘法筆を択ばず」ということわざを生んだほどのすぐれた書家であり、当代一流の詩人であり、権力操作に長けた政治家でもあったようです。
 また、日本初の庶民のための総合大学「綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)」を開いたり、土木・建築・鉱業・自然科学・医療と驚くほどの才能を様々な分野で発揮しています。

  弘法大師が伝えてきたものは「密教」の教えです。 「密教」の教えとは何か・・・弘法大師は、その特徴を密教以外の仏教すなわち「顕教」と対比することにより明確にしています。その中で最も分かりやすい特色が悟りに至る考え方です。つまり、「顕教」では悟りに到達するまでに、何代にも渡って生まれ変わり、気の遠くなるような時間を要するとしているのに対して、 「密教」では今ある肉身のままで直ちに悟りに至ることができるとしています。

  弘法大師は、「六大」すなわち「地大」「水大」「火大」「風大」「空大」「識大」という、六つの根源的なものが宇宙の万物を構成しており、仏も人間も本質的な差はないと説いています。 また私たちが眼にしている現実の世界は、法身である大日如来の現れであるから、現実はそのまま絶対であるとも説いています。つまり、仏も人間も根源的なものは同じであり分かちがたいものであるから、大日如来の慈悲を固く信じ、悟りを求める心をもって仏と一体化できるよう努力をすれば、迷いから脱して真理を知ることができると教えています。

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岡寺山 継松寺


 松阪市中町にある岡寺さんは、聖武天皇42歳の厄年の際に、ここのご本尊如意輪観世音菩薩を宮中にお奉りし祈願した後、再び当山に安置したことから厄除け観音としてこの地域の厄年の参拝者が多く訪れます。
伝説によると、洪水によりお堂は流失した時、ご本尊を拾い上げた二見の漁師が弁財天のお告げを聞いて出家し継松法師となりお寺を再建したことから継松寺と名付けられるようになったようです。



 ご本尊「如意輪観音」は、厄除観音として親しまれている日本最古の厄除霊場です。
 毎年、3月の初午の日を中心に前後3日間にわたり「初午大祭」が行なわれます。振袖姿も美しい娘さんなど厄年に当たる男女をはじめ多くの参詣者が市内外からあり、松阪駅から職人町の通りは、露店が出て賑わいます。

  弘法大師空海が継松寺に逗留した折、本尊の両脇に不動尊と毘沙門天を造り安置したと伝えられています。

  昨年60年ぶりに復活した「厄まいり宝恵駕籠道中行列」が行われるようになりました。来年は3回目になりますのが、その時は、写真をアップしますね。
  初春の風物詩の初午大祭にお参り頂き、厄を落としてパワーをもらってください。それに松阪肉を食べてもっと元気を持って帰りましょう。

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