水屋神社?逆さま


  松阪市飯高町赤桶にある水屋神社は、神社名(水屋神社)・所在地(赤桶)・特種神事(水取り)・祭神(龍神姫)などすべてにわたって水との関係があります。


  水屋神社の裏手には、逆さまという景勝地があり、山と木々の緑それに岩と淵の織りなす素晴らしい景観に櫛田川の澄んだ水が流れています。ここで、伊勢と大和の国分け伝説が生まれました。

  『昔のこと、天照大神が白馬に乗って珍布峠(めずらしとうげ)にさしかかり、国境を尋ねると、天児屋根命があらわれ、「この下の堺ケ瀬が伊勢と大和の国境」と答えました。
 大神は、「この境は疑わしい。」と言い、大石を川の中に投げ入れ、波のとどまる所で決めることにしたのです。

  そしてそばにあった大石を礫のように投げ入れると、川の水は巨大な水柱となり、にわかに滝のように落下しので、このあたりを滝野の里と名付けたといいます。そして水は、勢いよく川上に逆流していき、その波の変化した様子から上流にあるそれぞれの地名を加波の里、波瀬の里、舟戸の里と呼ぶようになったと言い伝えられています。
 激しい勢いで櫛田川を逆流していった波は高見山に達したのです。この日より高見山を伊勢と大和の国境と決めました。


  水屋神社のご祭神は、天照大神、龍神姫命、天兒屋根命、素盞鳴尊、菅原天神、蘇民将来、神宮皇后、櫛稲田姫命、譽田別尊、多紀理姫命、市杵島姫命、多岐津姫命、武内宿禰、豐玉姫命、大山祇神、宇賀之御魂神、迦具土神、乙加豆知命


  お伊勢さまと春日さまの国分け伝説が残る水屋神社は、県天然記念物の樹齢千年以上の大楠などの巨樹があり、むささびの観察ができることでも知られています。春日大社へのお水送りの神事も復活し、櫛田川と山々にいだかれた神聖なところでパワーをいただけます。

  赤い桶が目印です。古戦と平和の祈りのことが書かれています。

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お多賀さま


  滋賀県多賀町にある「多賀大社」は、通称お多賀さまと呼ばれ多くの信仰を集めています。
 多賀の語義は、高地だと言われています。伊勢神宮、外宮の豊受大神をお祀りする正宮に次いで尊いとされる荒御魂をお祀りする別宮を多賀宮と言います。正宮から石段を98段登った丘の上の檜尾山にご鎮座しています。
 鎌倉以降は、多賀神社と称されていましたが、昭和22年、多賀大社と改称し、現在に至っています。

  室町時代中期の明応3年(1494年)には、神仏習合が推し進められ、多賀大社には神宮寺として不動院(天台宗)が建立され、多賀大明神として全国にお札を配って信仰を広めていきました。
 中世から近世にかけて伊勢・熊野とともに庶民の参詣で大いに賑い 「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」、「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあたったほどで、「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子である神話体系を歌詞に映したものでしょう。


  お多賀さまは、長寿祈願の宮として、年配の方が多く参拝に来ていらっしゃいます。


  神殿にある「延命石」は、鎌倉時代の初頭、東大寺再建を発念してはや20年にならんとする齢61の俊乗坊重源が、着工にあたり成就祈願のため伊勢神宮にて17日間の参籠(さんろう)を行ったところ、夢の中に天照大神が現れ、「事業を成功させるために寿命を延ばしたいのなら、多賀神に祈願せよ」と告げた。 重源が取り急ぎ多賀社に参拝すると、眼の前にひとひらの柏の葉が舞い落ちてきた。 見ればその葉は「莚」の字の形に虫食い跡の残るものであった。 「莚」は「廿」と「延」に分けられ、「廿」は「二十」の意であるから、すなわちこれは「(寿命が)二十年延びる」と読み解ける。 神の意を得て大いに歓喜し奮い立った重源は以後さらに20年にわたる努力を続け、見事、東大寺の再建を成し遂げている。 全てを終えた重源は報恩謝徳のため当社に赴き、そうして、境内の石に座り込むとそのまま眠るように亡くなったと伝えられる。


   「延喜式」によれば、近江国には五社があり、その中に”多何ノ神二座”とあります。 その二柱とは「伊邪那岐命」「伊邪那美命」であります。 この二柱によって「国生み」の大業がおこなわれ、日本国の生々発展の源となったので縁結びの神、生命の親神という信仰が生まれました。


  神殿の奥には、心落ち着く御庭がありとても癒されます。

  大鳥居と神門前の間を流れる車戸川に架橋されている太鼓橋は、相当急な傾斜の神橋なのですが、参拝者も実際に渡る事ができます。古例大祭時の御神輿は、この橋を渡るそうです。
 太閤秀吉が生母・大政所の病気平癒を同社に依頼した際の1万石によって築造されたたため「太閤橋」と呼ばれるようになったそうですが、現在の太閤橋は寛永の大造営によって寛永15年に再築されたものだそうです。

  「お多賀杓子(お-たが-じゃくし)」と称し、お守りとして杓子(しゃもじ)を授ける慣わしがあります。 これは「お玉杓子」や「おたまじゃくし」の名の由来とされているようです。

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竜神拝所に土器投げ


  滋賀県、琵琶湖に浮かぶ竹生島は、古来から信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われ、都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三箇所三十番)があります。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁財天社から改称しました。竹生島は、長い年月の間、神仏習合の聖地であったことから、分離の際には、混乱があったようです。

  宝厳寺から国宝に指定されている舟廊下を渡ると竹生島神社へとつながっています。


  都久夫須麻神社(竹生島神社)の本堂は、国の重要文化財の国宝に指定されるほど、歴史的文化的に貴重なものです。もともと弁財天様をお祀りしていた宝厳寺の本堂で、伏見桃山城束力使殿を移建したと伝えられています。明治時代の神仏分離政策により、宝厳寺の取り壊しを伝えられましたが、全国の崇敬者の強い要望もあり、弁財天像を観音堂(のちに塔頭妙覚院座敷)に遷座、本堂を都久夫須麻神社本殿とし、一応の妥結がなされました。

  本殿の先には、琵琶湖の湖面に向けて竜神拝所が鎮まっています。



  2枚の素焼きの皿(かわらけ)を300円で購入して、1枚に自分の名前を書き、もう一つに願いを書き皿を琵琶湖に突き出た鳥居をくぐらすように投げます。うまくくぐると願いはかなうといわれています。結構、難しいかもしれませんが、大量の皿たちはどうなるのでしょうか。

  竜神様に平和をお祈りしましょう!

  今、自分の願いをかなえることのできるとても強いパワーをいただける水の神様が棲む竹生島への巡礼にいい季節ですね。


お多賀さん


櫛の伝説


 櫛伝説とは、皇女「倭姫命」が第11代垂仁天皇の命を受け、皇祖神「天照大神」の鎮座地を求めて諸国を巡行されていたとき、倭姫命が「竹田の国」と呼んでいた地で頭に飾していた櫛を落とされたので、その地に櫛田神社を定め、櫛田という地名もそこから起こったとされます。また、曲がっていることをクシ、クネと呼ぶことから名付けられたとも言われています。

  櫛田神社には、2006年の9月4日(櫛の日)に三重県美容業生活衛生同業組合さんによって建立された「櫛の碑」が、神社前にあります。全国の理美容関係者から信仰があるようです。いつもお花が置いてあり和みます。

  社伝では垂仁天皇22年(紀元前8年)に倭姫命が天照大神を祀る場所を探す旅の途中でこの地を案内した大若子命を祀るために創建されたとされる。江戸時代の明暦頃に社殿も失われ中絶となったが、享保年間に再興された。
 翌明治41年(1908年)2月11日に山添町の神山神社に合祀されていましたが、櫛田の氏子たちが分祀を希望し、昭和8年(1933年)2月1日に現社地に分祠されました。

  ご祭神は、大若子命・櫛玉姫命・須佐之男・天忍穂耳・市杵島姫です。


  福岡市の博多の繁華街にある櫛田神社は、天平宝字元年(757)に、松阪市の櫛田神社より、大幡主大神 (おおはたぬしのみこと)を勧請し、創建されたと伝えられている。社殿の中殿に大幡主大神、右殿には天照皇大神、左殿に素盞鳴大神が祀られています。
 本家、松阪より有名なこの神社は、古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集めていて、7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事をおこなう。5月の博多松囃子(博多どんたく)は厳密には櫛田神社の祭事ではないものの、松囃子一行は櫛田神社から出発するしきたりになっている。地元の博多の人々からは「お櫛田さん」と愛称で呼ばれています。九州に行かれたらぜひ参拝してください。

  松阪の櫛田神社は、小さくてこじんまりしていますが、きれいに掃除がされ、お花が置かれているので、気持ちよくお参りができます。

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