松阪神社の鳥居


  松阪神社の一の鳥居が、作業車の接触で上部が崩壊したため支柱も抜かれています。

   今後新たに再度建立するための検討が行われているようです。

  古来の松阪神社は、意悲(おい)神社と称し、古代国司の飯高氏は産土神と崇敬した。天正11年蒲生氏郷が、この四五百の森(古くは意悲の森、又は宵の森と云った)に築城し、地名を「松阪」と名付け、当社をお城の鎮守神とした。元和5年松阪は紀州徳川氏領地となり、以来領主は着城時に必ず参拝、又毎年元旦に名代を代参させた。明治41年全国で神社の合祀が行われた時、松阪市内の中心部の十七神社が、合祀せられ、「松阪神社」と改称されたということです。

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熊野奥宮「玉置神社」


  紀伊山地の奥深く玉置山に鎮座する玉置神社は、神武天皇御東征のときこの地で兵を休め「十種神宝(とくさのかんだから)」の「玉」を鎮め(置き)武運を祈願されたことから玉置(たまき)の名前の由来となっています。


  世界遺産大峯奥駈道の「修験道の聖地」十番目の行場として今も行者たちが訪れ、修行を行います。修験道の開祖である「役の行者(えんのぎょうじゃ)」、弘法大師、天台宗の智証大師もこの地で修行されてました。

  「大和なる(古代は熊野じゃった)玉置の宮の弓神楽(ゆみかぐら)弦音すれば悪魔退散」と詠まれ、全国的にも珍しい「悪魔退散」という特殊なご神徳があり、古くは皇族の方の悪魔祓いが行われていました。

  玉置神社は、玉置山(1076m)の頂上近く標高1,000m付近に鎮座しておられ、 神仏習合の時代境内には別当寺の高牟婁院をはじめ7坊15ヶ寺があり熊野三山の奥の院とされていました。
 社務所及び台所と梵鐘は、国の重要文化財に指定されています。

  1959年(昭和34年)、国の重要文化財(工芸品)に指定された梵鐘は、総高84.2センチメートル、口径46.8センチメートルの小型のものです。上帯は無文で、下帯には唐草文を表し、乳の間には小振りの乳(ち)を縦3段に鋳出する。乳の間には梵字で陀羅尼、光明真言等を表し、末尾に「応保三年癸未三月三日甲午」(1163年)の銘があります。頂部の竜頭を、2つの撞座(つきざ)を結ぶ線と直交する位置に設けるのは、奈良時代から平安時代にかけての梵鐘にみられる形式です。

  襖は、杉の一枚板を使っていて、狩野派の狩野法橋・橘保春の筆による豪華な花鳥図が描かれています。どれも素晴らしいです。

  境内には天然記念物の老巨杉郡(神代杉・常立杉・磐余杉・大杉などの)樹齢3000年の御神木が叢生しており、清浄な空気と荘厳な世界に圧倒され、太古の世界から宇宙へと思いを抱きます。

  3万平方メートルの玉置神社境内は永らく聖域として伐採が禁じられていたため、温暖多雨の気候と土壌に恵まれ、樹齢3000年の巨樹林となったようです。

  神武東征の折、玉置山で兵を休めた神武天皇は、玉石の上に神宝を置いて勝利を祈ったと伝えられています。

  聖域である玉置山は、山頂を除く標高1000メートルから1040メートルにかけて枕状溶岩堆積地があり、海底火山の噴火により玄武岩質の溶岩が水中に噴出して急速に冷却・固化したことにより生じた、不規則な楕円状または曲がった丸太状の形状をした溶岩が一帯に露頭しています。こうした溶岩性の地質により、玉置山の標高800メートル以上の植生はブナ林帯であるにかかわらず、山頂付近のみはスギ、ヒノキ、モミ、ツガなどの針葉樹と、ブナ、ミズナラ、アカシデといった落葉広葉樹が混在するようです。こうした地質と特異な植生からなる景観こそが、玉置山を霊地とし、宿を成立せしめたのでしょう。

  大地創造のエネルギーが詰まったこの地は、紀伊半島最大のパワースポットの一つであり、心身を浄化し、最高の癒しと心の安らぎいただき、最強のパワーをもらえます。

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玉置神社


庚申さん例大祭


  10月26日、松阪市新座町の庚申堂の秋季大祭が行われていました。

   いつも静かな路地に鎮座されていますので、気にせず通り過ぎますが、紅白の幕で飾られるとお参りしたくなり足を止めました!

  1588年、松阪を開いた蒲生氏郷公が守護神として祀ったと言い伝えられています。

  ご本尊の青面金剛童子は、1710年、宝永七年(庚寅)三月十二日に大阪の四天王寺から分祀されました。当時は、真言宗の清長院として山伏12人の修験道場となっていたようです。

  1836年、天保七年三月には、正一位百枝稲荷大明神を歓請してともに祀られるようになりました。

  このあたりでは、八丁四方の魔除け、無病息災、長寿繁昌の霊効があると信仰されています。

    新町通りから殿町へつながる道のそばに鎮座されています。

    いつもご近所の方々が大切にお守りされているのがわかります。

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松陰神社と名言


  江戸時代、長州藩毛利家の別邸があった東京・世田谷区若林に、吉田松陰の門下生・高杉晋作、伊藤博文らが、小塚原回向院にあった吉田松陰の墓をこの地に改葬しましたので、この地が松陰神社として祀られています。

  吉田松陰は、幕末の激動の時代に生きた人です 。短い生涯を自ら激しく燃やし、その情熱で周囲の人たちの心を揺り動かしました。そして、門人たちの中からやがて明治維新の中心となって活躍する人物が多く出たのです。

  明治維新の先覚者吉田松陰は天保元年(1830)、萩松本村の藩士、杉百合之助(26石)の次男として生まれ、幼くして山鹿流兵学師範の家柄である吉田家(57石6斗)を継いだ。
 19歳の春、独立の師範となって藩校明倫館に多くの生徒を教えましたが、21歳の秋から、学問研究のために肥前平戸に遊学して以後の数年は、江戸、水戸、東北地方、再び江戸、長崎、江戸と旅行を続け、沿道各地も視察し、また多くの学者や志士をたずねて、学事を問いまた時事を論じたのです。
 嘉永6年(1853)6月、アメリカ軍艦が浦賀に来航するにおよんで、松陰は海外の事情を視察、研究する必要を感じ、翌年3月、下田からアメリカの軍艦に便乗しようとしましたが失敗に終わり、その年10月萩に送られ野山獄に入れられました。

  入獄および謹慎中を勉学の好機として驚くほど多くの本を読み、自らも原稿を書き、さらに松下村塾を継承して多くの青少年を教えた。
 この期間は松陰の生涯の中で最も平和な時期であり、また最も輝かしい業績をのこしたときであるのです。

  松下村塾の松陰先生から学んだのは、高杉晋作をはじめ久坂玄瑞、入江九一、吉田稔磨、前原一誠、品川弥二郎、野村靖、山田顕義、伊藤博文、山県有朋(以上松下村塾)木戸孝允(明倫館)などで、各々よくその特徴を発揮して、明治維新の大業を翼成した人物ばかりであります。

   松陰神社の境内には、松下村塾の建物が復元され展示されています。


  吉田松陰先生は安政6年10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。その4年後の文久3年、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文、等によってこの世田谷若林の地に改葬されました。

                夢なき者に理想なし、

                理想なき者に計画なし、

                計画なき者に実行なし、

                実行なき者に成功なし。

               故に、夢なき者に成功なし

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