潮騒の島


  神島の南側にある、ニワの浜は、太平洋に面して波が豪快に打ち寄せてきますが、石灰岩が風化してできたカルスト地形になっているので、青い海と白い岩肌の景色は素晴らしいです。鳥羽市の天然記念物に指定されています。


  ニワの浜と神島灯台の間にある監的硝(かんてきしょう)は、急な坂を上っていくことになります。ここは、昭和4年に建てられた軍事施設で、伊良湖の試砲場から撃たれた砲弾の着弾点を確認するための場所だということです。しっかりしたコンクリート製の建物で部分的には出入口などの木枠が残っていたりもして、雰囲気があるところです。屋上の三階まで上がることができ、見晴しもよく、眼下の断崖に波が打ち寄せて砕ける模様も見えます。三階からの景色が神島で一番よかったです。ちなみに監的硝は同じ鳥羽市の菅島にも残されています。

  映画のクライマックスで、嵐の監的硝の中で二人が全裸になるシーンがありましたね。百恵ちゃんが監的硝の屋上で歌も歌っていました。


  ニワの浜の隣には、島で唯一の中学校があり、校舎の前を通ると校長先生が、どこから来たのと声をかけてくださり、運動場の前にある祝が浜もきれいだから見ていけばいいよと教えてくださいました。
 神島中学校の生徒は、今年3人の新入生が入って9人ということです。関係者の先生や給食担当の人のほうが多いそうで、島の人みんなで見守ってくれている環境はいいですが、現実は厳しいですね。



  祝が浜は、波も穏やかで、空も海も真っ青なヒーリングスポットです。大きな岩は、八畳ヶ岩といわれる大きなものです。


  鏡石は、漁から帰ってきた船をむかへに来た女の人が、身なりを整えるために、岩に油を塗って鏡にしたことからついて名前だそうです。

大きな地図で


恋人の聖地「神島」


  三重県鳥羽市になっている神島は、鳥羽港から14?もある離島で、伊良湖岬からは、5?ほどで渥美半島のある愛知県ほうが近いですが、江戸時代に鳥羽藩が管理していたため、三重県の行政地域になっています。
 この島が「恋人の聖地」に選ばれている理由は、NPO法人地域活性化支援センターが、「少子化対策と地域の活性化への貢献」をテーマとした『観光地域の広域連携』を目的に「恋人の聖地プロジェクト」を展開していて、全国の観光地域の中からプロポーズにふさわしいロマンティックなスポットを選定し、地域の新たな魅力づくりと情報発信を図るとともに、地域間の連携による地域活性化を行っているからです。
 また、このプロジェクトでは「非婚化・未婚化の進行」を少子化問題のひとつとして捉え、若い人々のみならず地域社会に向けて「結婚」に対する明るい希望と空気の醸成を図るための活動をしています。過疎化の進む神島の特効薬となればいいのですが…。
  神島は、北緯34度32分にあり、「太陽の道」といわれる太陽信仰の東の始まりとされ、春分の日と秋分の日は、太陽が真上を通って行きます。
  元旦の夜明けには、太陽をたたき落とすとか、おてんとう様の虫下しともいわれる「ゲーター祭り」が行われ、年の初めに太陽を迎える儀式、すなわち迎旦であるとも言われています。


  伊勢湾の入口に浮かぶ、周囲約4km、人口500人余の小さな神島は、標高170mの灯明(とうめ)山を中心として全体が山地状で、集落は季節風を避けるように北側斜面に集まっている。鳥羽港から710円の定期船で40分ほどの船旅ですが、遠く離れた島に来た気分にしてくれるのんびりした異空間のようです。そして、三島由紀夫の小説「潮騒」で歌島のモデルになったことで有名ですね。

  灯台へと坂道を登り、歩いていくと断崖絶壁になって海に落ち込むような細道を進んでいきますが、伊勢湾や向かいに伊良湖岬から渥美半島が見えて太平洋の景色がすばらしいです。この東側は、伊良湖水道で「阿波の鳴門か 音戸の瀬戸か 伊良湖度合が恐ろしや」と船頭歌に歌われ、狭くて潮の流れが速いので、日本三海門の一つと言われる昔から海の難所とされてきたところです。


  神島灯台は、1909年(明治42)に灯台の建設が始まり、翌1910年(明治43)5月1日に初点灯した歴史を持ち、「日本の灯台50選」にも選ばれています。小説「潮騒」の中では、新治、初江が灯台職員宿舎(退息所)を訪ねる印象的なシーンがありましたが、その退息所は無人化に伴い撤去されていて空き地となっています。その奥に白亜の灯台が立っていて、小説「潮騒」の案内板がありますが、そこからの眺望もとてもよくて、小説の場面を彷彿とさせるものです。また、灯台についての描写は、新治、初江の前途とも重ねて描かれていて特に秀逸でした。この小説は、青山京子、吉永小百合、山口百恵、堀ちえみ等の主演により5回にわたって映画化されていますので、みなさんこの地へ来ていらっしゃるのですね。



  灯台前の展望台から潮風を受けて、白波が踊る太平洋の海原を見ていると、小さなことなど吹き飛びそうな爽快感に癒されるパワースポットです。この灯台のところが、「恋人の聖地」でので、ここで愛の告白をして、カップルの写真を撮るというストーリーになっているのでしょう。親切にもカメラがセットできるようにスタンドが設置されているのが嬉しいですね。利用しない人には、景色を楽しむだけなので目障りかもしれません。

大きな地図で
癒しの旅、歴史散策、神社スポット、寺院スポット、巡礼の旅、グルメな旅
ヒーリングツァー http://healingtour.jp
  三重県松阪市白粉町357-5
TEL 0598-23-0663 FAX 0598-23-0664

癒しの旅について等、お問い合わせありましたらお気軽にご連絡ください。 highlandybb@ybb.ne.jp TEL 0598-23-0663

★☆★☆大きい写真のブログも見てください・・・
 http://healingtour.blog116.fc2.com/


春分の日、松阪に「太陽の道」


  東は三重県鳥羽市の神島から、西は淡路島の舟木石神座までの東西200キロメートルに及ぶとされる「太陽の道」は、春分と秋分の日に太陽が通るラインのことで、このライン一帯には古墳、神社、寺が並んでいるというのです。
  1980年2月にNHKが、「知られざる古代 謎の北緯34度32分をゆく」という特集番組を制作し、放送してからよく知られるようになりました。
  松阪市内では、斎宮から櫛田神社に入って大河内神社、堀坂山、宇気郷(うきさと)を通り美杉へと通ります。


  松阪と伊勢平野を代表する山といえば、堀坂山です。堀坂峠からの登山道には、大日如来像があり、古代より太陽崇拝の山と思われます。

  大日如来は、大乗仏教の仏様で太陽神に起源をもち,宇宙の根元とされ,あらゆる仏,菩薩(ぼさつ)の本地です。
  昔も今も変わらない動きをするものと言えば太陽、月、星。。。基準とできるモノは天空に求めるしか無かった時代があり、時計も日時計で、これらを利用して、古代人が生活をしていたということでしょう。それにくらべ現代文明のなんとありがたいことか考えさせられます。被災地の復旧が進まない生活のご苦労や輪番停電による不便さに自然の驚異と原子力問題など発展からの負の遺産を実感しています。しかし、人類は進化し続けなくてはいけないのですから、ネガティブ志向にならないで前向きに乗り越えて行きましょう。毎日、太陽は昇り、地球に恵を与えてくれます。

  松阪の山間部にある隠された名所といわれる「うきさとむら」は、”ふれあい”をモットーに、遊んで体験して学べるまさに「おいしい」ところ。市街地から車で、約30分ほど行った「うきさとむら」は、夏でも夜は涼しく、自然を十二分に満喫できます。また、お休み処の物産館には季節の山菜と薬草の天ぷらや、地鶏の焼き鳥、モロヘイヤうどんなどなど、地元産品を使った素朴な料理が味わえたり、藍の生葉染めや茶染め・桃染め、あまごつかみにコンニャク作り、陶芸教室などいろんな体験学習ができる施設もあり充実しています。宿泊も可能ですので、自然をたっぷり堪能してください。


 堀坂山の麓、伊勢寺地区の堀坂川近くに「すいせん栽培」をしているところがあります。まだ、新しく小さいので、来年の成長が楽しみです。小さな花たちがたくさん集まると華やかになり、元気をもらいます。

  すいせん栽培からすぐ近くに烏戸集会所があり、すぐ上を伊勢自動車道が通っています。そこに常夜灯と道標があり「左 ほっさか」「右 よこたき」としるされています。

  よこたきは、浄土宗のお寺で、奈良時代の僧行基の開基と伝え、もとは国分寺の一寺で奥の院と称されました。境内には「横瀧観音」と称される聖観音を祀る観音堂があり、寺宝のひとつとして琵琶が伝えられている。昔、一人の盲人が琵琶を抱いて当寺に登り、17日間その開眼を祈願したが、なんの利益もなく、「滝とてもすくなる滝か横滝の堂も仏も同じ木のきれ」と恨みの詩を詠じ、門を出ようとするとき、御堂の内から盲人の名を呼ぶ声があり、振り返ったらパッと両眼が開いた。盲人はその霊験に感激し、持っていた琵琶を仏殿に奉納して立ち去ったと伝えられている。
 いまも境内にある霊泉は眼病に効くといわれ、毎月14日に供養が行われている。また、本堂の大提灯に「萬人開眼供養」とあり、堂内には「め」の字などが描かれた眼病平癒の奉納額が所狭しと並べられています。
 毎月14日が命日ですので、眼病で困っている方は、お参りに行かれるとご利益があると思います。

  今年の春分の日は、あいにくの天気で真上を通る太陽を見ることができませんでした。次に通る秋分の日に見れたらいいですね。

大きな地図で
癒しの旅、歴史散策、神社スポット、寺院スポット、巡礼の旅、グルメな旅
ヒーリングツァー http://healingtour.jp
  三重県松阪市白粉町357-5
TEL 0598-23-0663 FAX 0598-23-0664

癒しの旅について等、お問い合わせありましたらお気軽にご連絡ください。 highlandybb@ybb.ne.jp TEL 0598-23-0663

★☆★☆大きい写真のブログも見てください・・・
 http://healingtour.blog116.fc2.com/


里山の太郎生に太陽の道


 津市美杉町太郎生は、津市の中心部から車で約1時間半もかかる、奈良県境ですが、名張市内へは、約20分ほどで行けます。過疎化のすすむ太郎生では、昨年に小学校が廃校になりますますさみしい感じがします。東に大洞山を、西に倶留尊山を望む里山で、ここは、太陽の道といわれる北緯34度32分上なので、3月21日の春分の日には、太陽が真上を通っていきます。

  太郎生には、太陽信仰にかかわりのある、国津神社があり、大国主命と9柱がお祀りされています。さほど大きな神社ではありませんが、暖かい気がするところです。
拝殿に奉納されている赤い顔のお面は、やさしそうな天狗さんのように見えますが、大国主命でしょう。


  明治40年(1907)、地域内の9社を合祀。その際、日神(ひかわ)の山王権現境内にあった石造十三重塔も移築した。この十三重塔は、制作年代不詳ですが、この地方産の石で造られ、初層の4面に薬師・阿弥陀・釈迦・弥勒の4仏が刻まれている。高さ約3.3m。国の重要文化財です。

  境内にはケヤキの巨木があります。南北に並んだ2本が根元で癒着してして1本の樹となっていて、南側の大きいほうが目通り7.6m、北側の方は4 mの大きさで、樹齢800年以上と言われていて、県の指定文化財になっています。




尖ったように見える倶留尊山(1,038m)とまーるい感じの大洞山(1,013m)を左右に見る太郎生は、旧美杉村のイメージが似合う自然豊かでのどかな癒しの里です。この里山の伝統文化が継承されていかれることを希望しています。

大きな地図で
癒しの旅、歴史散策、神社スポット、寺院スポット、巡礼の旅、グルメな旅
ヒーリングツァー http://healingtour.jp
  三重県松阪市白粉町357-5
TEL 0598-23-0663 FAX 0598-23-0664

癒しの旅について等、お問い合わせありましたらお気軽にご連絡ください。 highlandybb@ybb.ne.jp TEL 0598-23-0663

★☆★☆大きい写真のブログも見てください・・・
 http://healingtour.blog116.fc2.com/


天照大神の神人分離


  崇神天皇6年(紀元前92年)、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。これを神人分離という。
 天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせ、その後各地を移動したが、垂仁天皇25年(紀元前5年)に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。倭大国魂神を渟名城入媛命に託し、長岡岬に祀らせたが(現在の大和神社の初め)、媛は身体が痩せ細って祀ることが出来なかった。
 崇神天皇7年(紀元前91年)2月、大物主神、倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣する。11月、大田田根子(大物主神の子とも子孫ともいう)を大物主神を祭る神主とし(これは現在の大神神社に相当し、三輪山を御神体としている)、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、疫病は終息し、五穀豊穣となりました。

  第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿(どうしょうきょうでん)」にお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎王)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててお祀りされました。その神蹟は実にこの檜原の地であり、大御神の伊勢御遷幸ののちもその御蹟を尊崇し、檜原神社として天照大神を引続きお祀りしてきました。そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。

  大神神社の摂社「檜原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。

  檜原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。
  三輪山がご神体ですから三ツ鳥居があるだけで、本殿は持っていません。

  大和では、三輪山が聖なる山とされていて、ここは、「太陽の道」といわれる北緯34度32分のライン上にいくつかの山や神社、寺、遺跡などが存在するところを春分の日と秋分の日に真上を太陽が通ることから太陽信仰の象徴と言えるでしょう。檜原神社もこのライン上にあります。
  東は、伊勢湾の入り口にある「神島」でここから太陽が昇るとされ、斎王宮を通り、堀坂山から美杉、室生寺、長谷寺を経て三輪山、檜原神社と来て、卑弥呼の墓といわれている箸墓古墳を通り西へ、二上山そして日本武尊が白鳥になって飛んで行ったといわれる「大鳥神社」から淡路島の伊勢の森までが太陽の道と呼ばれているところです。

  「三輪山」を中心にして、真東に103キロ行ったところに神島があり、真西に80キロ行ったところが淡路島北淡町の伊勢の森。この伊勢(遠いところという意味)を結ぶ北緯34度32分の上に、ほぼ3キロの等間隔に神社(それも天神を祭った神社)や遺跡(巨石)が並ぶといいいます。天神を祭るということは、太陽信仰ということ。真東は陽が昇り、真西は陽が沈む。つまり、産まれる所と死ぬところの象徴です。

大きな地図で
癒しの旅、歴史散策、神社スポット、寺院スポット、巡礼の旅、グルメな旅
ヒーリングツァー http://healingtour.jp
  三重県松阪市白粉町357-5
TEL 0598-23-0663 FAX 0598-23-0664

癒しの旅について等、お問い合わせありましたらお気軽にご連絡ください。 highlandybb@ybb.ne.jp TEL 0598-23-0663

★☆★☆大きい写真のブログも見てください・・・
 http://healingtour.blog116.fc2.com/


カレンダー

 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

お問合せ先

住所:三重県松阪市日野町12
TEL:0598-23-0663
営業時間:9:00 ー 18:00
定休日:日曜日、祝日、年末年始
URL:http://www.healingtour.jp/theme/index.html

ログイン