香肌峡の奇岩


  櫛田川の中流から上流にかけて大きな岩の花崗岩や青石が多くあり、急流や深淵が造り出したV字渓谷で、飛瀑・奇岩が続く景勝地です。水の流れと岩肌が織りなす自然の芸術は、圧倒的な迫力で独特の景観を呈しています。四季折々に変化する山の彩りや、そびえ立つ垂直岸壁が迫力満点の見どころで県立公園となっています。



  櫛田川の上・中流域を中心とする香肌峡県立自然公園は、大断層・中央構造線を境として南北に地質が明確に分かれており、公園を特徴づける景観になっています。

  不動院ある大石あたりから、上流40kmの櫛田川の渓谷が香肌峡です。この渓谷は、昔からお茶、椎茸、山菜、鮎の産地で、香りの高い高品質のものが産出することから、香肌峡と名づけられたということです。

  大石不動院の鐘楼堂は、享保 7年(1722年)住職甚隆和尚(じんりゅうおしょう)の時建立されましたが、昭和16年(1941年) 8月、武器生産等に必要な金属資源の不足を補うため「金属類回収令」が公布され、この梵鐘も強制供出させられましたが、無事に戻ってきました。 

  

  不動院に隣接する焙烙岩は、もともと観音岩と言われていたようです。
  焙烙は、豆やゴマ等を炒る鍋。言い伝えによると昔、焙烙売りの行商人が休んでいた所、頭上に迫出す様にそそり立つ岩を見て、今にも落ちそうに思い、慌てて焙烙を割ってしまったということです。このことが言い伝わり焙烙岩になったと伝えられているそうです。
 ここには、国の天然記念物「ムカデラン」の群落地になっています。

  ムカデ蘭は蘭科の植物で、葉と枝は硬くて細長く根をあちこちから出します。水分が少なくても強くムカデに似て、足のように葉を出しています。
 春、白い新しい根をはり 7月の下旬になると米粒程の(7ミリ)ピンクの小さい可愛い花をつけます。双眼鏡か望遠鏡を持参しないと肉眼では見えにくいのでご注意ください。

     今、焙烙岩の下の池には睡蓮が綺麗に咲いています。

    岩の下には、大日如来様と馬頭観音様がお祀りされています。

  本堂から展望台へ向かって上ると大師堂があります。中には、弘法大師坐像と薬師如来三尊が祀られています。


    暑い夏は、大石の不動さんで厄除けと夕涼みがおすすめです。

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珍布峠の朝


  梅雨の晴れ間の朝、松阪市飯高町にある旧和歌山街道の珍布峠(めずらしとうげ)に朝の散歩に出かけました。このところの暑さでぐっすり寝れない体にマイナスイオンを一杯いただき元気回復しました。


  長雨の影響で、水分をたっぷり含んだ切通しの岩から水滴が落ちてきます。岩の間は特に狭くなっていて涼しい風が吹き抜けていました。

  和歌山街道(紀州街道)は、伊勢参宮の道者が行き交う道であるとともに、紀州の殿様が江戸と地元を行き来するのに使った道で、殿様の行列が通る際は、付近の村々から人足を調達してこの峠を越えたと言われています。飯高町宮前から山に入り「死人谷」「道行谷」などを経て珍布峠に登ってきます。珍布峠には、昔々、伊勢の神様と春日の神様が珍しくもここで出会ったという伝説があり、険しい山道をふさぐ巨岩を削り取った切り通しの景観は圧巻です。


  大和の神様、天児屋根命(あまこやねのみこと)がいう国境に疑問をもった伊勢の神様、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、そばにあった大岩を川に投げ込み、その波の止まったところを国境に定めたといわれています。
 “珍布峠”で問答をしたあと、投げ込んだ大岩がその近くの櫛田川の中にある“礫石(つぶていし)”です。ちなみに国境は、高見山となったようです。



  峠を下っていくと、櫛田川を左手に見る風光明媚な道を飯高町赤桶に出ます。



  街道にあった由緒ある橋には、案内があります。


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大師の里ササユリ


  多気町丹生の山里にササユリが咲き始めました。先週のあじさい祭りのときにはまだでしたので、今年は、例年より遅れていますが、これから見頃を迎えるでしょう。


  ササユリは、中部地方から九州にかけての山地の草原や明るい森林に生育分布する多年草です。地下に白い鱗茎(いわゆるユリ根)があり、花茎をのばして、6月から7月にかけて美しい花を咲かせます。花は1つであることが多いのですが、複数咲くこともあります。花の長さは10?15cmで、淡紅色。雄しべは6本で葯は鮮やかな赤褐色。そして強い香りがあります。葉が厚く、名前の由来になっているように、ササの葉によく似ているので、笹と混生していると、花が咲かないとわかりにくいですね。

  近年、ササユリが減少しているとよく言われます。確かに群生で咲いているのを見ることは少なく、自然が壊れてきているとの声を聞くことがあります。
 ただ、ササユリは、新鮮な土地に定着し、数年間で花を咲かせて移動するのが本来の姿のようです。山の手入れをしていけば綺麗な花を見ることができていくのでしょう。

  アジサイの小路のまわりに可憐な花を見ることができて、紫陽花や雨に映える緑とのコントラストに癒されます。


  ササユリは、野に咲いてこそであり、自宅の庭でカサブランカと競わせることは慎みたいですね。


  アジサイの小路の先には、奈良の大仏建立にも使われた水銀鉱山跡があり、歴史と花をゆっくり堪能できます。

  丹生の町は、水銀によって繁栄し、平安時代から鎌倉時代がピークのようです。水銀を商う梅屋(長井氏)という豪商も現れ、丹生村は経済的に豊かな村であったようです。江戸時代は、伊勢参宮にむかう和歌山別街道の宿場町としてと丹生大師への参詣の人たちでにぎわいました。

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江戸を指す最西端の道標


 奈良県東吉野村鷲家(わしが)にある道標は、高見越え伊勢街道と東熊野街道が交わる要衝に立てられてます。江戸時代の文政11年(1828)建立の銘があり、上部に常夜燈がとりつけられています。
 

  鷲家は当時紀州藩領で、本陣・伝馬所・旅籠がありました。宇陀地方と熊野を結ぶ交易の中継として賑わったようです。また、参勤交代路として、江戸と和歌山間の七里役所の所在地でした。
 (東)右紀州 かうや  左大峯山 たかはら 道
 (南)右いせ 江戸  左はせ 大坂 道
 (西)右小川谷 河上  左いせ  くまの
 (北)文政十一戌子年       施主当村岩井庄兵衛と刻まれています
 大和(奈良県)に現存する道標のなかでは、一番遠方の江戸を示す道標といわれています。

  伊勢南街道(三重県側では、和歌山街道)は、吉野川沿いに高見峠へ出て、櫛田川沿いに下る道で、一方、五条(五條市)からは西へ川を下って紀州にも出るので紀州街道、紀州では大和街道ともいう
 橋本(和歌山県橋本市)から五条へ入った道は吉野町の上市・三茶屋から東吉野村の鷲家・杉谷と進み、高見峠を越えて三重県に入り、松阪市波瀬を経て末は、松阪市飯南町横野で伊勢本街道と合流する。
 南北朝時代、北畠親房が興国4年(1343)吉野の行宮へ向かい、正平2年(1347)楠木正行の使僧寂恵が伊勢へ向かった道でもある。
 江戸時代に和歌山藩主が参勤交代の道としてからは、鷲家には宿場の本陣や宿屋が並び、伊勢参や行商の人で賑わったといわれています。

 和歌山街道で伝馬所があったのは、伊勢国内では松坂・大石・粥見(かゆみ)・滝野・七日市・波瀬、大和国内では鷲家・越部・土田、紀伊国内では橋本・名手・岩出に設けられていました。
 この伝馬所には、人馬を常備して、藩役人の往来、公用文書や荷物の逓送を行なっていたところです。
 七里役所の制というのは江戸と和歌山の間の交通を円滑にすりために七里ごとに七里役所を設けるとともに「七里の者」を配置したところです。
 役所では毎月、江戸では五の日、和歌山では十の日に公用の書状を発送するほか、人馬の継立てなど普通の宿駅と同じような業務を行っていたようです。

  鷲家の道標の少し北に八幡神社があり、天文2年(1533)に岩清水八幡宮より勧請されました。上鷲家の大岩に天正3年(1575)に社殿を造営慶長年間(1596?1615)頃に現在地に遷座したといことです。朱色が鮮やかな清々しい境内です。
 


  手水舎の水は、龍の口から勢いよく噴出しています。下の水溜り場には、榊が入れてあり冷たい水にもありがたさを感じました。

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和歌山街道 波瀬


  松阪市飯高町波瀬は、江戸時代に本陣が置かれた宿場町で、伊勢と大和を分ける国境、高見山の麓にあり自然と歴史を感じられます。波瀬は江戸時代のはじめは松阪藩領、元和5年(1619)から紀州松阪藩領になっている。波瀬宿は和歌山街道の宿場町で吉野(奈良県)から高見峠を越えて伊勢国に入った最初の宿駅で、本陣(中村甚之進)が置かれ、旅籠屋も4軒あった。

 和歌山街道は、和歌山と松阪を結ぶもので、紀伊半島を横断し、海上交通に較べて時間短縮に役立っていた。
元和9年(1623)に徳川頼宣が参勤交代の帰りに、この和歌山街道を通り、以後暫く参勤交代路として利用され、波瀬にも本陣・脇本陣が決められた。だが、延享元年(1744)第6代藩主宗直の帰国を最後にこの街道は利用されなくなった。
 街道筋は百姓・人足では足りず、助郷はもとより、旅籠の不足、膨大な出費に耐えられず、百姓総中は和歌山街道を通らぬよう嘆願し、以後伊賀越え、船旅となったらしい。
 だが、慶応4年(1868)にも紀州藩主徳川茂承の夫人倫宮則子女王が、波瀬の本陣に泊まっている。この時にも勢州奉行を中心とした沿道住民の苦労は大変なものであったようだ

 現在も中村屋「田中家」が本陣跡として保存されている他、往時を偲ばせる町並みが残されています。
櫛田川左岸の対岸の段丘上に国道を見下ろす形で集落が形成されており、国道166号線がバイパスとしてつくられたので、これらの町並みが宿場町の雰囲気を色濃く残しながら存続しています。

 波瀬地区から8キロほどの所に、中央構造線がむき出して見れる珍しい場所があります。月出の里から山中へ急こう配を登っていきます。車を置いて急坂を上り下りしますので、歩きやすい靴がいいですね。

 月出の中央構造線は、高さ80?×幅50?ほどの範囲で山の斜面が大きく崩れており、明らかに色の違う地層が観察できる。向かって左側が領家系(日本海側)の変成岩層、右側が三波川系(太平洋側)の変成岩層で、約60度の角度で直接接している。超高温・高圧の状態が長年月続くと地層の界面は変質し、脆(もろ)くなって岩屑帯となっている様子がはっきりとわかる。
 西日本全体にまたがる中央構造線ですが、岩石がもろくなっており、地下水もしみこみやすいため、地表で見ることのできる場所はほとんどありません。月出のワサビ谷の崖には、断層部分が30メートル以上にもわたり露出しており、調査していただいている専門家からは、日本で最も規模が大きく、しかもわかりやすい観察地であると高い評価を得て、国の天然記念物に指定されています。

 中央構造線は日本で最大規模の「断層」で、関東から九州まで約1,000キロメートルも続いています。中央構造線近辺は鉱物資源が多く、銅や水銀等の鉱物資源が豊富である。
 はるか昔は、中央構造線の一部に沿って流れる櫛田川では、鉄や銅がとれ、多気町丹生では水銀採掘がされていた。生活において神仏と央構造線のつながりが結構深くあるようで、中央構造線が通過する場所の地形が、急に変化する場所や人里と山との境、また鉱物資源が豊かな場所であるため、その不思議さから神仏につながり神社やお寺が多くあるのでしょうか。
 三峰山の山麓にある月出の冬は、空気が澄んで高見山、国見山など台高山脈といわれる紀伊山地の山々が美しいです。

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