いにしえの京の文化が栄えた、明和町斎宮で、天皇から伊勢神宮へ巫女として奉仕した未婚の内親王を偲んで行われる「斎王まつり」が昨日から始まり、今日の午後は、曇り空のもと「禊の儀」、「発遣の儀」と「斎王群行」が古式ゆかしく執り行われました。
もとあったとされる斎王宮跡で儀式は行われました。
斎王様の登場に場内は、美しさにくぎ付けになりました。今年選ばれた斎王は、地元明和町の三重大生‘竹内あずみ‘さんです。
斎王制度は天武天皇の時代から始まったもので、南北朝時代まで約660年間続き、大津皇子の姉・大来皇女(おおくのひめみこ)を初代に60余名の斎王が伊勢へと赴いてきました。斎王は未婚皇女に限られ、ト定(ぼくじょう)という亀の甲羅を焼く占いの方法で選ばれたといいます。斎王は選ばれると、京の都で3年の潔斎の後、斎王に仕える官人・官女ら約500人の供まわりを連れ、5泊6日の行程で伊勢へと群行してきたのです。
とてもたいそうに手を洗うしぐさは、「禊の儀」ですね。
実際に、斎王が天皇にあてた文を読み、伊勢への出発を宣言する「発遣の儀」
斎王の最も重要な務めは伊勢神宮の三節祭り(6・12月の月次祭(つきよみさい)、9月の神嘗祭(かんなめさい))への奉仕。20km離れた伊勢神宮へ2泊3日かけて赴き儀式を行うことです。普段の生活は祈りの日々を過ごし、また和歌を詠んだり、貝会わせのゲームに興じ、宮廷のような生活が営まれていたようです。最も華やかだったのは平安時代で、「伊勢物語」「源氏物語」などの平安文学に登場。伊勢物語では主人公と斎王とのロマンスが描かれ、題名の由来にもなったとされています。
斎王制度は、室町時代におこった承久の乱の後、斎王の不在期間が多くなり、南北朝動乱の中で終わりを迎えたようです。武家社会の到来とともにその歴史を閉じたのですね。
一番華やかだった平安時代期の群行の再現がはじまりました。
子供斎王の役は、地元斎宮小学校の‘市野音衣‘さんです。
広場から出て、近鉄電車の踏切を渡り、古代から多くの人々の往来があった参宮街道をいく群行に歴史と文化を感じます。
女官の総括をする女別当(にょべっとう)もまた、とても美しいです。
660年の間に60人以上存在したと言われている、斎王。 そのなかには2?3歳で選ばれた人や、結婚を考えていたのに結婚できなかった人、斎宮で叶わぬ恋をして愛しい人を港から見送った人、神に仕える身ゆえに恋をすることも許されず、己の命を絶って身の潔白を証明した哀しい人や、恋ゆえに斎王を解任されたり、恋人と引き裂かれたりした人など、さまざまな斎王がいたと伝えられています。
見物の人や報道関係者が大勢いて、なかなかうまく写真が撮れなくて残念でした。もっと望遠のきく一眼レフがほしいと思ったお祭りでした。
竹の都と言われた斎宮は、北緯34度32分の太陽の道と言われる太陽信仰における東の重要地(生まれる地)とされていました。春分の日、秋分の日にはこの上を太陽が通っていきます。ここから西へ堀坂山、室生寺、長谷寺、三輪山、檜原神社、箸墓古墳、大鳥神社などと著名な寺社や山が並んでいきます。
斎宮の地は、古代の人たちの思いや技術が感じられる場所です。
すぐそばを走る近鉄の線路も斎宮遺跡の一部です。
斎宮駅は、各駅停車しか停車しないローカル駅ですが、今日は、混雑していました。斎宮跡のほか、竹神社や歴史博物館など普段はゆっくりと散策できるパワースポットです。
今なお、古代ロマンの発掘が一部続けられています。
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斎宮跡の周辺には、ハナショウブが植えられていますが、今年は少し開花が遅れていて、これからが見頃になります。ほとんどが、原種に近いノハナショウブという紫色の花を咲かせて楽しませてくれます。