原田二郎旧宅は、松阪市殿町の同心町に残る江戸時代末期の武家屋敷で、近世松阪の武家屋敷遺構として保存されています。
社会福祉の進展に寄与した原田二郎の生家は、原田積善会から松阪市に寄贈され、建物や庭園の修復をして、昨年10月から一般公開されている新しい名所です!
お城の石垣が見渡せる2階の丸窓は、悟りの窓と呼ばれるそうです!
原田二郎(はらだ・じろう)
嘉永2年10月10日(1849.11.24)? 昭和5年(1930)5月5日
伊勢国松坂に駐在した紀州藩士の同心の家柄で、21才のとき松阪出身の勤王志士 世古延世に随行して京都に上り、23才のなると明治維新間もない東京で英語と医術を学びました。
31才で大蔵省に勤めその後、横浜の第七十四国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮するも2年で辞し松阪に戻っています。
明治35年(1902)54才の時、明治の元勲の一人である 井上 馨 の依頼を受け、家運の傾きかけた大阪の鴻池家とその経営する鴻池銀行(後の三和銀行の前身)の整理、再建に当たり、同40年同銀行専務理事、大正4年(1915)鴻池家監督に就任するなど、鴻池銀行および鴻池家政の事実上の最高経営者となりました。
鴻池家の事業を銀行経営中心とし、諸事業からの撤退をすすめるなど、その経営方針は堅実そのものであったそうです。
実子がなかったので、晩年は、自ら家を断絶して全財産1020万円を投じて「公益財団法人積善会(せきぜんかい)を創立して慈善事業に専心しました。日本の社会福祉財団を始めた人として敬意を表します。
公益財団法人「原田積善会」は、大正9年(1920)7月、多年にわたり財界で活躍してきた原田二郎が「天下の富は一家の私すべきものではない」との信念から、社会福祉に貢献すべく全財産を投入して創設した財団です。助成事業活動は社会事業分野と学芸事業分野の二つを柱に、継続して幅広く行っています。
建物内では、原田二郎の生誕、足跡などをパネルや資料で分かりやすく紹介されていますので、一度お訪ねください!
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